愛と婚姻/泉鏡花=近年急増する結婚したくない人は強く共感できるかも。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

愛と婚姻-泉鏡花-イメージ

今回は『愛と婚姻/泉鏡花』です。

文字数3000字ほどの随筆。
狐人的読書時間は約分。

結婚なんて何がいいの? ただの社会システムでしょ。
煩わしいことばっかじゃない?
結婚するから愛せなくなるんでしょ、
結婚しなきゃ離婚はない。

って、鏡花先生……。

少子化対策にも言及。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

仲人が、両親が、親戚が、知人・友人が、みんな「おめでとう」と言うけれど、結婚は全然めでたくなんかない。

たとえば恋愛小説の結婚はめでたい。すでに彼らはあらゆる困難を乗り越えてからのハッピーエンド。しかし現実は、結婚してから困難が始まる。

結婚してしまえば、お互いのこと、お互いの両親のこと、子のこと、知人・親類のこと、家のこと、子の学校のこと、地域のこと、お互いの働く会社のこと、などを考えて行動せねばならず、それすなわち社会のための奉仕だ。

結婚は愛ではない。結婚はシステムだ。

結婚すれば男は夫に、女は妻に、社会システムの一部として組み込まれてしまう。互いに愛そうとしても、システムが愛することを許さない。愛することをできなくさせる。

結婚が浮気、夫婦げんか、離婚争いなどをもたらすことを考えてみよう。結婚がなく、男女がみな、ただの男と女であると仮定してみよう。浮気、夫婦げんか、離婚争いなどなくなるはずではないか。

されど結婚をなくすなど社会が許さない。結婚は親孝行であり、家を存続させる責任であり、友人・知人に対する世間体であり、子孫繁栄のための社会全体に対する義務である。が、個人に有益なことなどは一つとしてない。

社会は人によってつくられる。人は結婚によってつくられる。すなわち社会は結婚によってつくられるから結婚はめでたいというのだ。

みんなが結婚を「おめでとう」と言うのは社会のために「おめでとう」と言っているのだ。むしろ彼らは、新郎新婦に対して「ごめんなさい」と謝るべきだろう。

もう一度いう。人類がそれによって生きるべき愛は結婚では得られない。かつて日本人は国家のために喜んで戦争に行ったが、結婚もまたこれと同じだ。社会のために自分を犠牲にして、みんなが「おめでとう」と言わざるを得ないのが結婚なのだ。

狐人的読書感想

愛と婚姻-泉鏡花-狐人的読書感想-イメージ

『愛と婚姻』の初出は1895年(明治28年)。明治時代、いわずもがな昔は日本のみならず、世界的にも結婚は、家を守り存続させていくための社会制度の一つでした。

もちろんいまでも子孫を繁栄させるための一制度には変わりなく、昔のように「お家のため」という意識はかなり薄れているとはいえ、現代でも思わされるところの多い作品です。

お金がない、自由に遊びたい、嫁は画面のなかにいる(笑)、結婚はコストパフォーマンスが悪い――なんでもこのところ、結婚したくない若者が急増しているのだとか。その意味では現代だからこそ共感できる作品かもしれませんね。

『愛と婚姻』は泉鏡花さんの最初期の随筆で執筆当時22歳、結婚についてはなかなか先進的な考え方を持っていたようです。これには学生時代に学んだキリスト教の教えが強く影響しているのだとか。ご両親もご自身も、封建的な結婚とは無縁な、愛のある結婚をしていることを思えば、この随筆には一定の説得力が感じられます。

そんなこんなでこの随筆の要旨をまとめるならば、「結婚はこんなにも嫌なものなんだ!」ということを言っているように思えるのですが、じつは「封建的結婚制度を批判している」のであって、なにも「こんなにも嫌なものだから結婚はするな!」とまでは言っていないのではないかと愚考するのですが、どうでしょう。

なので、改めて要旨を一言で表すならば、「封建的結婚制度はよくない!」ということになるでしょう。

とはいえ、どうしても「結婚なんかクソくらえ!」的な意味で読んでしまいますよねえ、これ(僕だけ?)。

少子化が叫ばれ、結婚したくない人が増えている現代、人におすすめしていいのかどうか、ちょっと迷う作品ですね(汗)

しかしながら語り口が独特で、読んでいてとてもおもしろいので、狐人的にはおすすめしたいところ。

たとえば、冒頭。「小説の結婚はめでたいが現実の結婚はそうではない」といった件は思わず頷かされた箇所です。

恋愛小説やマンガやドラマの男女は、あらゆる困難な状況を乗り越えてゴールの結婚に辿り着くわけで、それらに比べればたとえ何があったとしてもあとは平和なもの、幸福な人生を送りました、などというところは「たしかに」と思わされてしまいます。

ですが、現実は結婚してからのほうが苦労が多いのでしょうねえ。子育て、嫁姑問題、地域のイベント、あるいは互いの浮気などによる夫婦の危機だってあるかもしれませんよね。

結婚が個人のためでなく、社会全体のためのシステムである(「システム」は僕の意訳ですが)、というところもまさにそのとおりだと感じます。

「結婚はまだなの?」と訊いてくる親、会社の同僚や友達に対する世間体、そういったものも、人間社会を存続させるための社会システムの一部なのだと捉えれば、新しい見方を学んだような思いがします。

人間が社会的動物であり、社会によって生かされている以上は、何事も社会のための行動だという考え方はある意味当然のことで、仕方のない事実なのですが、どうしても個人の自由というものを求めてしまう自分がいますね。

最近は有名人の不倫報道なども多く見られて、人間が一人の人を想い続けることの困難さも思います。

たまに考えてしまうのですが、単純に少子化問題を解決するには、多夫多妻制を認めてしまえばいいのかなあ、ということです。

もちろん制度化が難しいかもしれないとか、無責任な大人たちが不幸な子供をたくさん生み出してしまうんじゃないかとか、いろいろ負の部分も考えられるわけではありますが、種の繁栄のみを願うならば、結婚ほどそれを制限する制度はないようにも感じるのです。

生まれてきた子供をきちんと育てることを考えれば、その能力のある富裕層の男女ばかりが子孫を残せることになってしまいますが、もはや経済対策によってこの不況をどうにかできる見通しは立たないように思い、多くの所得的不満を持つ人たちが、おそらく二人以上の子供を生むことを諦めている現状を思えば、やむを得ないことかもしれないなどと考えてしまうことがあります。

倫理観、貞操観念などは時代によってこれまでも移り変わってきたわけで、時間が解決してくれるささいなことというふうにも思えてきますし、そのように割り切ってしまえば、パートナーの浮気なども気にならなくなるでしょうし、けんかや離婚争いなどもなくなって、一定年齢に達した子供にとっては「親はたまに会う程度がちょうどいい」なんて考え方もしてしまい、それほど悪いことにはならないんじゃないかなあ、みたいな。

これは「勝ち組だけが子孫を残し、負け組は子供をつくれない」といった自然の摂理「弱肉強食」を奨励するような考えで、平等という観点からはかけ離れてしまいますが、「さとり世代」ともいわれるいまの若者たちにこれを非難するだけの気力がはたして残されているのかなあ、という気がします。

貧しい自分たちの代わりに、お金持ちが少子化問題を解決してくれるのなら別にいいよ、みたいな。

自分でいっておいて、なんだか違和感を覚える意見ですが、その違和感だって道徳教育によって拭い去ることができるように思うんですよね。

自分でいっておいて、ひねくれたものの見方かな、という気がしますが、みなさんはこのあたりどう思われますか?

読書感想まとめ

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「結婚なんかクソくらえ!」じゃなくて「封建的結婚制度はよくない!」という随筆。多夫多妻制の導入が必要なのかなあ、と考えさせられた随筆。

狐人的読書メモ

人間社会のシステムがすべて効率的に組み上がっているとは限らない。人間は感情の生き物であって、その感情のために出来上がっている制度がたくさんあるからだ。一夫一妻制もその一つだと思った。

結局人間は感情を排することができず、これを美化していくしかないのだろうか。とはいえそれが人間なんだ。感情を失くせばそれはもう人間ではない。なんだかすごくむずかしい。

・『愛と婚姻/泉鏡花』の概要

1895年(明治28年)『太陽』にて初出。泉鏡花の恋愛観。現代だからこそ共感できるところが多くおもしろいが、現代だからこそおすすめをとまどう作品。

以上、『愛と婚姻/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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