狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『竹青/太宰治』です。
文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約37分。
不幸な三十代男性がカラスの世界に異世界転生。
そこで美少女ヒロインと出会って幸せになる?
税金・物価は上がるのに給料上がらず、
非正規雇用で生活は安定せず……、
異世界転生したくない?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
これは昔の中国の話、あるところに魚容という貧しい書生がいた。魚容は見目もよく、勉強もして、悪いこともしなかったのだが、運に恵まれていなかった。
父母を早くに亡くし、財産もなく、親戚たちには厄介者扱いを受け、たらい回しにされた。大酒飲みの伯父の言いつけで、この伯父の妾だとの噂のある、醜い下婢と結婚せねばならなかった。この下婢が性格も悪く、魚容の学問に理解を示さず、女の汚れ物を魚容の顔に投げつけては、「洗濯してくださいね」などと平気で言ったりする。
こんな境遇に耐えかねて、魚容は三十歳になった年、家を飛び出し郷試を受けたが、見事に落第した。故郷への帰り道、空腹のために動けなくなった魚容は、洞庭湖の湖畔にある呉王廟の廊下に寝転び、己の悲運を嘆いた。
大空をカラスの大群が舞っていた。このあたりでは、カラスは呉王の使いと敬愛され、湖を行く舟子は羊の肉片など投げたりする。魚容はカラスをうらやましく思った。
魚容がうとうと、夢心地でいると黒衣の男が現れて言った。「黒衣隊が一人欠けているから、お前を採用してやろうという、呉王様のお言葉だ」。魚容はカラスになった。
カラスのなんと悠々自適な生活――すると、艶やかな女の声がして、魚容がそのほうを見ると、同じ枝に一羽の雌のカラスがとまっていた。
竹青と名乗る雌のカラスは、呉王の命令により、魚容の世話をしにきたのだという。二羽は食後の散歩を楽しみ、羽をすり寄せ合って眠った。
翌日の午後、飛翔の喜びに舞い上がっていた魚容は、仲間のカラスたちの忠告を聞かず、兵士の舟の上を旋回して弓矢で胸を射られてしまい、……呉王廟の廊下で人間の魚容が目を覚ます。
夢だったのか……。消沈して故郷に帰る魚容。また貧しくつらい生活が始まった。
三年後、魚容は再び故郷を飛び出し、郷試に挑戦したが、またもや落第してしまう。呉王廟の廊下で世を儚み、もはやこんな世界には何の未練もなく、カラスの群れの中に竹青を探していると、二十ばかりの美しい女に声をかけられる――竹青だった。
魚容は竹青に導かれるようにして漢陽にやってくる。竹青の屋敷に到着し、漢陽の春の景色を楽しもうと窓の外を眺めた魚容は思わず、「故郷の女房にも見せてやりたい」と漏らしてしまう。それを聞いた竹青は、自分の真の正体とその目的を魚容に告げた。
竹青は女神だった。一連のできごとは神の試験だった。獣になって幸福を感じる人間を、神は最も嫌うという。もしも魚容が本当にそのような人間であれば、女神さえ口にするのも恐ろしい刑罰が、魚容に科せられることになっていた。郷試に落第した魚容は、神の試験には及第したのだ。
人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければなりません。そこからは誰も逃れることはできないのです。ただ努力をするしかありません。現実から逃げるのは卑怯です。もっと現実を大切に、愛し、悲しんでみてください。神はそうした人間の姿を一番愛しているのです。
故郷の家に帰った魚容は、そこにいる竹青の姿を見て驚いたが、それは彼の現実の妻だった。妻が語るに、病を得て発熱し、その苦しみの中で、これまで夫を虐げ、粗末に扱ったことは間違いであったと反省した、すると皮膚が破れ青い水がどっさりと出て、今朝鏡を見たらこうなっていたのだという。
一年後、二人の間には玉のような男子が生まれ、魚容はその子に「漢産」と名付けた。名前の由来は生涯誰にも語らなかった。郷試に受かり、故郷の人たちに尊敬されること、自分を馬鹿にしていた人たちを見返したやることを人間の最高の幸福と考えていた魚容は、人々に敬われることなく、平凡な農民として一生を終えた。
狐人的読書感想
『竹青 ―新曲聊斎志異―』というのが初出時のタイトルで、この作品は中国清代の短編小説集『聊斎志異』(全十二巻五百三篇)の一篇である「竹青」から着想を得て書かれた小説ですが、本文の最後の自註にあるように、これは原典の翻訳ではなく、あくまで太宰治さんの創作である、とのこと。
芥川龍之介さんや中島敦など、文豪作品にはこうした古典や他作からモチーフをとったものも多いように感じますが、こういうのも二次創作小説とかいってしまってもいいのでしょうかね?
本作は太宰治さんのオリジナル要素が多分に含まれていて、原典とは大きく異なっているとのことなので、ちょっと『聊斎志異』の「竹青」と読み比べてみたいような気もしましたが、とりあえず今回は太宰治さんの『竹青』のみで読書感想を綴っていきたいと思います。
近年「異世界転生もの」というジャンルがラノベを中心に流行りましたが、『竹青』もどこかこれを思わせる小説だったように感じます。
「異世界転生もの」は、現代の子供というよりも、初代『ドラクエ』や『FF』などに夢中になった三十代、四十代の世代にウケたとされていて、それは何もゲームの影響だけではなくて、まさに『竹青』の魚容が感じていた世に対する悲観的な思いが反映された現象である、といった見方があります。
作中の魚容は自身の不幸な境遇や、そのために郷試に落第してしまったことを嘆いていましたが、日本の現代社会の若い労働者世代もまた、「さとり世代」などと例えられることもあるように、現状の社会に悲観的な思いを抱いているとはいえないでしょうか?
税金は上がる、物価も上がる、だけど給料だけは上がらず、派遣労働の普及、ブラック企業やブラックバイト、低賃金・非正規雇用で安定しない生活などなど、「現実世界がいやになって、楽しそうなカラスの世界(異世界)に転生して気ままに生きたい」という気持ちに共感できる人はきっと多いと考えるのですが、どうでしょうね?
「現実の世界から逃げ出したい」と願ってしまうのは、人情とでもいうべき人の抱く自然な気持ちであって、昔も今もさして変わらないんだなあ、ということを実感してしまったのですが、あるいは『竹青』の著者であるところの太宰治さん自身も、こういった思いを強く抱いていたのかなあ、などと想像してしまいます。
不幸の星のもとに生まれたものは、いつまで経っても不幸のどん底であがいているばかり。
小説を書いたり、マンガを描いたり、絵を描いたり、歌ってみたり、Youtubeに動画をアップしてみたり――何か人にチヤホヤされることがしたくて、それが人間の最高の幸せだと考えていて、だけどそれがなかなかうまくいかなくて鬱……。
魚容が抱いたこのような思いに共感される方もまた多いのではないでしょうか?(どうでしょうか?)
そんな魚容が望み通りカラスとなり、竹青というヒロインと出会い、「その半生の不幸をここでいっぺんに吹き飛ばしたような思いであった」というのも、異世界に転生した主人公が美少女ヒロインと出会ってはじめの頃に感じることと通じていますよね。
だいたいのラノベでは、そこから現実のことは忘れて、転生した異世界でおもしろ楽しく、ときにはつらい冒険を乗り越えて、やはりおもしろ楽しく異世界で暮らしていくパターンと、現実の問題に立ち向かっていくパターンがあるように思いますが(前者が主流ですかね?)、『竹青』は後者でした。
竹青は女神で、魚容の身に起きたできごとは神による試験でした。
正直、魚容がすばらしい漢陽の春の景色を見て、なぜあれほど嫌っていた醜い下婢であった妻のことを思ったのかは理解に苦しむところなのですが、夢を追うとき、夢中でその夢を追いながらも、どこかで現実を見つめているような気持ちの表れなのだとしたら、なんとなくわかるような気もします。
結局人間は人間の社会で生きていかねばならず、そこからは誰も逃れることができず、だからこそ異世界(都合のいい幻想)に逃げるのではなくて、自分の現実をよりよいものにするために、もっと現実を楽しんで、たくさん悲しんで、現実の人間社会を好きになる努力をしなければならない。
竹青の言うことはもっともなことばかりで、逃げてばかりいる僕としてもとても胸の痛い言葉でした。
醜い下婢の妻の姿が美人の竹青の姿になっていたラストは、相当なご都合主義にも思えましたが、一つの悟りを得て変わった、魚容のものの見方が表れているのかとも感じました。
見た目だけでなく、性格も悪かった奥さんが心を入れ替えたところにも、教訓があるように思われます。
人は変わることができるし、また変わっていかなければなりません。
自分が変われば相手も変わる、相手が変われば自分も変わる。
「人こそ人の鏡なれ」ということでしょうか。
魚容は結局誰からも尊敬されることなく、一人の農民として平凡な人生を送りました。
誰かに認められたい、構ってほしい、チヤホヤされたい、と誰しも願ってしまうことだと感じます。
しかしそれは誰かの目を気にして生きていることにも通じていて、誰かの目を気にするばかりでは本当の自分の、本当にやりたいことはできないようにも思えます。
夢を追いかけることはもちろん大切ですが、夢を諦めていまある現実を大切にすること。どこにでも幸せはいつも転がっているのだということ。
そのことを心の隅に留めておくことが、何ごとをするにも大切なことなのかもしれないな、ということを今回の読書では学んだような気がします。
夢破れても絶望するばかりでなくて、いまあるどこかに希望を見出せるようにありたい、みたいな。
――とはいえ異世界に転生したいし、誰かに尊敬されたいし、構ってもらいたいし、チヤホヤされたいし――とか願ってしまうのは僕だけ?
――というのが今回のオチ。
読書感想まとめ
異世界転生したい気持ち、だけど異世界転生などできない現実、誰も現実からは逃げられない、ならば現実をよいものにする努力をしなければならない、だけどどうしようもなく現実から逃げたいと考えてしまうのは僕だけ?
狐人的読書メモ
なんとなく、著者自身が抱えていたであろう葛藤を感じられたように思う。異世界転生、現実を見つめ直すこと、結局誰も現実からは逃れられない、しかして未来社会は? ……創作のよいモチーフになるような気がする。その意味でもぜひ心に留めておきたい作品。
・『竹青/太宰治』の概要
1945年(昭和20年)、『文藝』(4月号)にて初出。現実を生きることについていろいろなことが学べる小説。異世界転生したい人ばかりでなく、万人におすすめできる小説。
以上、『竹青/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント
こんにちは。
竹青の記事を拝読いたしました。
偶然に「幻想文学名作選 文豪の怪談」というCDを入手し、その中に太宰治の本作が収録されており、その関連解説を検索して貴サイトに到達しました。
本作品を、「異世界転生ものでおにゃのこにモテモテ」という把握に感服したあまりに、こちらで一言申し上げた次第です。
一般的に文学解説というと、作品の周辺状況と歴史的経緯の解説が当該作品の理解であると把握する記事が多い中で、こちらの理解は作品の内容を率直に扱い、非常に身に染みる理解を与えてくれました。
本当にありがとうございます。
これから楽しんで他の記事も読ませていただこうと思っております。
こんにちは。貴重なCDをお持ちですね。
こちらこそ(嬉しいコメント)ありがとございます。