少年の悲哀/国木田独歩=大人になれば強くなれると信じていませんか?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

少年の悲哀-国木田独歩-イメージ

今回は『少年こども悲哀かなしみも/国木田独歩』です。

文字数6000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約17分。

僕は少年の悲哀を回想する。

からゆきさんをご存知ですか?
学校では教えてもらえないそうです。

大人は泣きたいことばかり。
少年の悲哀とは大人の悲哀。

少年にも大人にもおすすめ!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

彼は少年こども悲哀かなしみを回想する――。

少年は八つから十五のときまで田舎の叔父の家で育った。そこには徳二郎という二十五歳くらいの気のいい下男が働いていた。

十二歳の夏、ある夜のこと、少年は徳二郎に誘われて、入江を舟で渡り、ある家に連れていかれる。

そこでは十九、二十ほどの女が一人、少年が来るのを待っていた。女は果物菓子などでもてなしてくれるが、少年は理由がわからず困惑する。

少年は女と小舟に乗って話をする。女曰く、彼女には四年前に生き別れになった弟がいる、少年はその弟によく似ている。

女の持つ弟の写真から、そのことを知った徳二郎――女は、明々後日やのあさって、朝鮮に連れて行かれてしまう……。

少年の悲哀-国木田独歩-狐人的あらすじ-イメージ十七年後の今日まで、彼はこの夜の光景をはっきりと覚えている。

子供の頃には薄い霞のようだった哀情かなしみは、今や、深い、静かな、やる瀬のない悲哀かなしみになった。

徳二郎も今では二児の父である。彼も徳二郎も、女のその後について何も知らない。

狐人的読書感想

……この小説、いつかどこかで、読んだことがあるような――そんなはずないのですが、薄い霞のような懐かしさを思わせる作品でした。

幼少時代を懐かしく回想する文学を「追憶文学」といったりします。国木田独歩さんの作品の中には「少年もの」と呼ばれる追憶文学が十三篇ほどあるのですが、『少年の悲哀』はそのうちの一篇で、『春の鳥』とともに高い評価を得ています。

この追憶文学には一ついわれがあります。

追憶文学が流行すると、その時代は暗い時代だといえるのです。

それはなぜか?

人間は、明るい未来を展望できるとき、過去を振り返らない生き物だからです。すなわち、つらい現実が目の前にあると、人は古き良き過去の時代を振り返っては、自身を慰めようとするもの……。

そう考えてしまうと、内容的にはおすすめしたい小説なのですが、読んでくれた人が「すごく良かったよ」とか言ってくれると、「ひょっとしていまこの人の前にはつらい現実が……」とか勘繰ってしまいそうで、狐人的におすすめしづらい小説でもあります(考えすぎだし、勘繰りすぎだし、どんなおすすめの仕方だよ)。

とはいえ。

過去を振り返ることが大事なこともあります。

たとえば読書する場合においても、その小説の書かれた時代背景を知ることで、より味わい深く作品を楽しめたり、またそれを知らないとよくわからない部分があったりします。

そんなわけで。

作品初出当時(1901年)の時代背景など交えつつ、『少年の悲哀』について書いてみたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。

『少年の悲哀』というタイトルとなっていますが、この小説には主に三人の人物が登場して、それぞれ三人の悲哀が描かれています。

どうにもならない運命に翻弄される女の悲哀。その女を救ってやれない男(徳二郎)の悲哀。そして、そんな大人たちの姿を見て、少年が心に抱いた言いようのない哀情。

そんな三人の悲哀。

少年の悲哀-国木田独歩-狐人的読書感想-イメージ

しかし中心にあるのは、やはり女の悲しみである、といえるのではないでしょうか。

この女性は遊郭で働く遊女で、明々後日やのあさってには朝鮮に売られていくことが決まっています。

大戦中(1910~1945)、朝鮮を日本が統治しようとしていた時代があります。年代だけみると、作品初出時の1901年、朝鮮はまだ日本の統治下に置かれてはいないので、ここを不思議に思う方もあるいはいらっしゃるかもしれませんが。

1876年の日朝修好条規以降、日本から商人、海運業者、白木綿業者などが続々と朝鮮へ進出しました。それに伴い多くの日本人が朝鮮に移住しましたが、そのほとんどが独身男性だったので、風俗を乱す事件がしばしば起きていたといいます。

そのため、朝鮮の主要都市に遊郭が設置され、男たちの息抜きの場となったそうです。この遊郭には、地理的に近い長崎県、山口県、熊本県など中国・九州地方の貧しい家の女性たちが、遊女として売られていきました。

上の本にあるように、こうした女性は「からゆきさん(唐行きさん)」と呼ばれて、異国の地でどんな思いを抱いて生きていたのか――「からゆきさん」という言葉だけからでは、現代に生きる僕たちには、なかなか想像しにくいところがあります。

からゆきさんは、「戦前日本の恥部」とされ、教科書などにも載っておらず、教えられることもなく、しかしながら派遣・非正規雇用の増加など、所得格差が広がっている現代日本においては、もっと知られてしかるべきことだと思いました。

一方で、思春期、多感な年頃の少年少女に向けた教育テーマとして、これが適切か否か、というようなことも同時に考えさせられました。

学ぶべきことのすべてを学校が教えてくれるわけではありません。

ならば、こうした歴史を学ぶためのきっかけとして、国木田独歩さんの『少年の悲哀』を、僕はおすすめしたいと思うのです。

――という、「狐人的におすすめしづらい」という前言を、直ちに撤回する読書感想となってしまいましたが。

またこの小説は、歴史ばかりでなく「少年こども悲哀かなしみ」ばかりでなく、「大人の悲哀かなしみ」というものを、実感させられる作品でもあります。

国木田独歩さんの「少年もの」ではありますが、その意味では大人の方におすすめしたい小説です。

子供の頃、早く大人になりたくありませんでしたか?
大人になれば強くなれると信じていませんでしたか?
歳を重ねるほど人は弱くなることを知っていますか?
泣きたいことばかりだということを知っていますか?

少年の方も大人の方も、ぜひご一読あれ!

読書感想まとめ

学ぶべきことのすべてを学校が教えてくれるわけじゃない。

[まとめ買い] 南国少年パプワくん(デジタル版ガンガンコミックス)「俺は子供の頃早く大きくなりたかった。信じてたんだよ。大人になったら強くなれるって。親父にも誰にも負けねぇって! 俺は知らなかったんだ。歳をくうほど人は弱くなるなんて! 泣きてぇことばかりだなんて知らなかったんだッツ!」

狐人的読書メモ

やっぱり国木田独歩さんの小説はいい。感じること、学ばされることが多いし、中には凄くおもしろいものがある。

・『少年の悲哀/国木田独歩』の概要

1901年(明治34年)『小天地』にて初出。追憶文学。国木田独歩さんの「少年もの」。

・国木田独歩さんの「少年もの」(十三篇)

『詩想』(1898年)、『二少女』(1898年)、『鹿狩り』(1898年)、『初恋』(1900年)、『画の悲み』(1902年)、『少年の悲哀』(1901年)、『指輪の罰』(1902年)、『日の出』(1903年)、『非凡なる凡人』(1903年)、『馬上の友』(1903年)、『山の力』(1903年)、『春の鳥』(1904年)、『泣き笑ひ』(1907年)。

以上、『少年の悲哀/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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