狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『一枚の切符/江戸川乱歩』です。
文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約46分。
一枚の切符と真相はどこに? あなたにはわかりますか?
リスペクトする人が犯人だと疑われていたらどうする?
YoutubeやブログやSNS。発言力と公正な心。
江戸川乱歩もう一つのデビュー作!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
――あるレストランで、左右田五郎という大学生が、親友の松村に「富田博士夫人の事件」について話していた。左右田は事件発生時にたまたま散歩で現場を通り、興味を持ってその事件を調べていた。
概要は以下のとおりである。
十月十日の午前四時、富田博士邸裏の鉄道線路で、富田博士夫人が列車に轢かれて亡くなった。
夫人は長年肺病を患っており、自分の苦しみのこと、周囲の迷惑のことを考えた末、世を儚んでこの世を去る旨、たしかにしたためられた遺書が懐中から出てきたために、当初はそれだけの事件として片づけられようとしていたが、黒田清太郎という刑事がそれに待ったをかけた。
この黒田名探偵の調査に基づく推理によれば、この事件の犯人は富田博士なのだという。その証拠は二つあった。
第一に犯人のものと思われる短靴の足跡が、真夜中頃まで雨が降っていたために、富田博士邸の裏庭から事件現場の線路わきまでくっきりと残っていた。深く食い入った踵の跡から、何か重いものを運んでいたのは明らかだ。この短靴は邸内奥座敷の縁の下から発見されて、召使の証言から博士のものであることが判明した。
第二に書き損じた手紙が数枚、富田博士の書斎のゴミ箱から見つかった。それは博士が夫人の筆跡を真似て書いたと思われる手紙で、たしかに夫人の筆跡と鑑定された遺書も、博士の偽造である可能性が出てきた。
案の定、夫人の身体からは毒物反応が検出された。動機はありがちな痴情のもつれだと思われた。
しかし左右田は言う。自分が尊敬する聡明な富田博士ともあろうお人が、もしも犯人だったとして、こんなにもずさんな犯行をするだろうか? 左右田は一枚の切符を松村に見せる。そして宣言する。この一枚の切符をもって、僕が博士の無実を証明してみせる。
――翌日の新聞に載った左右田五郎の投書文は、世間の人たちをあっと驚かせた。そこには疑う余地は皆無だと思われていた、富田博士の無罪であることが、説得力ある証拠とともに証明されていたのだった。
以下、その概要である。
左右田の持っていた一枚の切符は、事件現場で発見した前日の十月九日発券のものだった。おそらくは列車の窓から飛んでしまったのだろうと推察できるが、それがあったところが問題だった。切符は事件現場にある、かなり大きな石の下に挟まっていた。
では、切符が落ちてから、わざわざ誰かがそこまで重い石を運んで、切符の上に置いたことになるが、いったい誰が何の目的で? 左右田はこれを富田博士夫人の仕業だと推理した。博士の短靴を履いて、重い石を運ぶことでわざと深い靴跡を残した。当然遺書は自分で書いたのだ。博士の犯行に見せるため、遺書の偽造も偽装した。
ではなぜそんなことをしたのか? それは肺病で世を儚んでいた夫人の、浮気をしていた博士に対する、最後の復讐だったのではなかろうか?
――真相を巡り世間はこの話題で持ち切りだ。
前日と同じレストランで、やはり左右田が松村に話をしている。
富田博士を失うことは世界の大損失だ。予審判事が喚問してくれれば、自分はいつでも博士の無罪であることを証言する。だけど自分の言っていることだって、じつは有力な証拠であっても、たしかなものではかもしれない。もしもあの一枚の切符を、石の下から拾ったのではなくて、その石のそばから拾ったのだとしたら、どうだ?
左右田は理解できないらしい松村の顔を眺めて、意味ありげにニヤリと笑った。
狐人的読書感想
ニヤリじゃないですよ左右田、怖いですよ左右田、といった感じでしたがいかがでしたでしょうか?
これまでも何度か紹介してきましたが、『一枚の切符』のように、明確な真相を最後まで読者に明かさず、その解答を読者に委ねるような物語の形式を「リドル・ストーリー」といって、僕はこの物語形式がけっこう好きなのですが、もやもやしたまま終わってしまうために、受け入れがたいという意見も多いです。
ミステリーの叙述トリックの一種に「信頼できない語り手」というものがあって、これは語り手の嘘や錯誤や妄想や精神的問題や子供であるための経験不足など、様々な要因によって読者のミスリードを誘う手法なのですが、あるいは左右田も読者を騙すタイプの語り手だといえるかもしれませんね。
ここから彷彿とさせられるのは、『シャーロック・ホームズシリーズ』の語り手であるジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズから事件の描写の正確性を疑われてしまうシーンですが、じつは『一枚の切符』のトリックは、『シャーロック・ホームズシリーズ』の『ソア橋』と同様のものが用いられています。
とはいえ、オマージュ的な意味合いがここに含まれているにしても、江戸川乱歩さんがこれをパクったというわけではなくて、正真正銘のオリジナル作品なのですが、じつは『一枚の切符』の出来がすごくよかったので、海外ミステリーを翻訳したんじゃないか、というあらぬ疑いを掲載誌サイドに持たれてしまい、その確認に時間を要したため雑誌掲載が遅れてしまった、というおもしろい経緯があります。
そのため、一般的に江戸川乱歩さんの処女作といえば『二銭銅貨』ということになっていますが、実際には『一枚の切符』と『二銭銅貨』はほぼ同時期に書かれ一緒に投稿されているので、雑誌掲載順の前後こそあれ、『一枚の切符』も江戸川乱歩さんの処女作であると見ても、とくにおかしなことではないでしょう。
ミステリーといえばやはり読者も、探偵や語り手とともに推理するという、想像する楽しみが醍醐味なわけですが、このトリックは無理があるだろ、とか、探偵の提示する推理にべつの解釈をしてみたり、だとか、アンチミステリー的な読み方をするのもあるいは一つの楽しみ方だと考えるのですが、当時このことに気づいていて、デビュー作とも呼べる作品でそれを実践していたことは、のちの江戸川乱歩さんを思わせる、ものすごい才能を感じさせる部分かもしれませんね。
……例のごとく前置きが長くなってしまいましたが、以下本作で気になったところを綴っておきたいと思います。
まずは富田博士夫人の残した遺書ですね。
肺病で肉体的にも苦しくて、それで周囲の人たちに迷惑をかけてしまい精神的にもつらくて、この世を去る決心をするというのは、ちょっと前までの僕ならわからなかったように思いました。
しかし最近、横光利一さんの『春は馬車に乗って』や中島敦さんの『斗南先生』、あるいは梶井基次郎さんの各作品を読んでいて、その度に肺病の苦しみを実感してきたからなのでしょうか、夫人の遺書に綴られた動機はすとんと腑に落ちるような気がしました。
日本近代文学には肺病をテーマに扱った作品が多く、切っても切れない縁がある、といわれるのが改めて実感できたところです。
富田博士の冤罪を証明しようと、左右田のとった行動は興味深かったというか、思わされるところがやはり多かったです。
左右田のおもな行動原理は、博士への「尊敬」ということになりますが、尊敬する人のために骨身を惜しまず……、というのは、わかるような気がしました。
というのも、左右田の置かれた立場を、自分にも置き換えて想像してみると、けっこうおもしろいように思ったからです。
もしも自分のリスペクトするマンガ家・小説家さんやアニメ・映画監督さんや俳優・女優さんやアイドル・モデルさんや歌手・アーティストさんやなんやかやが、なんらかの事件に巻き込まれ、犯人として逮捕されてしまい、その犯行の疑いが濃厚なとき、偶然にもその疑いを晴らすことのできる手段(一枚の切符)を手に入れたとき、自分ならどうするだろう? あなたならどうしますか? 左右田のように、博士の無罪を主張するために動けますか?
じつは左右田の行動原理は「尊敬」だけじゃなくて「打算」も含まれている、というところも興味深いです。
もしも富田博士が投獄されてしまえば、今後すごい発表をしたかもしれないことを考慮すれば、学会にとってそれは大きな損失ですし、左右田自身も大いに感銘を受けた論文や著作が読めなくなってしまいます。
もしそれが偉大なクリエイターの人なら、その人のマンガや小説や映画やドラマや新曲が楽しめなくなってしまうわけで、そんなことになるのはいやだ! という理由であれば、ひょっとしたら自分も行動するかもしれないなあ、などと考えてみました。
それだけに、左右田の言っているように、一枚の切符は石の下にあったのかそばにあったのか、真犯人は博士と夫人のどちらなのか、あるいはさらなる可能性が……、とかいろいろ推理してみたくなります。
左右田がこのことをもって博士に恩を売っておいて、将来博士の著書が出るとき自分の名前を共著者として加えてもらおう、とか画策しているところも、あざといリアルな人間感情ではないでしょうか?
江戸川乱歩さんはこうした「リアルな人間感情」を描くのが本当に巧みな作家さんだと改めて実感しました。
左右田が警察にこの話を持ち込む前に、新聞に投書したところは周到だし、上手い手だと思いました。
仮に、左右田がすぐに警察にこの話を持ち込んでいたら、メンツをつぶされたくない警察がこのことを隠ぺいするかもしれない、と疑ったところはさすがです。「何事も疑ってかかる」(とくに公権力)というのはひとつ人生の教訓のように受け止めました。
新聞(現代ではおもにテレビといったことになるでしょうか?)、メディアの力というものを思わされたところです。
新聞やテレビ以外でも、Youtube(ユーチューブ)やブログやSNSなど、誰もが気軽に発信できるツールといったものが現代には数多くあって、最近のニュースなどを見ていても「言った者勝ち」の世の中になってきているような、漠然とした印象を抱くことがあります。
寡黙に頑張っている人が「正直者が馬鹿を見る」社会ではないことを願いますが、一方で発言することの重要性を思わされるところでもあって、これについては一概には言えない複雑な思いを抱かざるを得ません。
正直者が馬鹿を見ないためにしっかりと自分の考えを発言できる人間になりたいと思うと同時に、感情任せな不当な発言はしないように心がけたいところではあるのですが、これがなかなか難しく感じている今日この頃です。
読書感想まとめ
著者が秘めていた底知れぬ才能を感じられる江戸川乱歩さんのもうひとつのデビュー作。
あなたの尊敬する人が犯人として疑われていて、その疑いを晴らす手段をもしもあなたが持っていたとしたら、どうしますか?
発言力と公正な心を持ちたいと心がけたい。
狐人的読書メモ
いまは当たり前になっていても、当たり前じゃなかったときにそれを思いついていた人のすごさ。いまのミステリーと昔のミステリーとではどちらが優れているのだろうか?
・『一枚の切符/江戸川乱歩』の概要
1923年(大正12年)『新青年』(7月号)にて初出。江戸川乱歩のもうひとつのデビュー作とも呼べる作品。その経緯がおもしろい。もちろん作品自体もおもしろい。文豪の底知れぬ才能が感じられる初期短編小説。
以上、『一枚の切符/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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