狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『河霧/国木田独歩』です。
文字数9000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約25分。
夢を追い、夢に破れ、帰ってきた豊吉に、
故郷の人たちはあたたかかった。
故郷で新たな人生の道が開けた矢先、
しかし豊吉の選んだ選択は……。
さとり世代の夢と故郷と夢破れて生きることの考察。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
上田豊吉が立身出世の志を胸に、故郷を出たのは二十年前のことだった。故郷のみんながその門出を祝福したが、一人不吉な予言をする者がいた。それは「杉の杜のひげ」とあだ名される並木善兵衛という老人だった。
いわく「豊吉は何もなすことなく、五年か十年のうちには、きっと帰ってくる」というのだ。そしてその予言はみごとに当たった。豊吉は失敗してもすぐに逃げ帰ることができず、二十年後の帰郷にはなったが。
そんな「ひげ」もひとつだけ取り逃がした予言がある。幾百年も人間の運命を眺めていた「杉の杜」だけは、あるいはその最期を知っていたかもしれない……。
夏の末、秋の初め、九月の半ばの日曜日の午後一時頃、「杉の杜」の四つ辻にぼんやり立っている上田豊吉の姿があった。二十二歳だった青年は四十ばかりの壮年になっていた。
豊吉は、いまでは兄の家になっている実家になかなか足を向けることができず、ぶらぶらとこのあたりまできてしまった。町はずいぶん変わってしまったが、このあたりは子供の頃と変わらない――と、豊吉はなつかしさに夢見心地で、古い記憶の端々を辿り始めた。
友達の家の様子を覗いてみたりしていると、途中一人の少年が釣竿を持って歩くのを見て、豊吉はなんとなくその後をついていった。川のほとりには三、四人の少年たちが集まって釣りをしていた。豊吉はそこにかつての自分自身を見た。
たしかにそっくりだ。そのうちの一人は兄の子だった。たしかにここは俺の生まれた場所で、そして俺の骨を埋める場所だ。豊吉はさきほどまでの逡巡も忘れて、その少年に話しかけた。
兄と兄の一家は豊吉を温かく迎えてくれた。故郷の人たちもみなやさしく、豊吉に同情的だった。豊吉は一日も忘れたことのない故郷を確信した。
一月ばかり経って、無為の日々を送っていた豊吉に、私塾設立の話が舞い込んできて、もちろん豊吉には願ってもないことであった。故郷の人たちが総出で準備を整えてくれた。都会で失敗したのは自分ばかりのせいではなかったかもしれない。このように親切な人々の協力があったなら……、と豊吉はじみじみ思った。
開校式を明日に控えた月の冴えた夜十時頃、豊吉はふと並木善兵衛の墓にやってきた。「ひげ」の墓に腰掛けて、故郷の景色にしばらく見惚れたあとで、ほっと嘆息した。とてもがっかりしたように。
豊吉は疲れていた。ただ疲れ果てていた。あれほどやる気になっていた私塾設立も、いまはただ無意味なものとしか感じられない。豊吉は立ち上がって河下へと歩いていき、岸に繋いであった小さな河舟に飛び乗ると、昔の河遊びの手練で漕ぎ出して、そのまま帰って来なかった。
狐人的読書感想
『人はパンのみにて生きるにあらず』、夢を持って生きるべし! ――というかどうかはわかりませんが(思いつきの発言なのでおそらくいいませんが)、立身出世の志を立てて故郷を飛び出し、そして夢破れて故郷に帰る、このような小説を「帰郷小説」などということもあるそうですが、このジャンルの小説では「立身出世の思想」と「故郷回帰の幻想」とは切っても切れぬ関係にあるらしく、皮肉な現実を描いているなあ、といった点では現実が描かれている小説だと感じました。
みなさんは夢を持っていますか?
現代の若者世代を「さとり世代」とか呼んだりすることがありますよね。現実を悟ったように見えることから生まれた言葉だそうですが、欲がないし、外出しないし、恋愛に興味ないし、無駄遣いしないし、気の合わない人とは付き合わないし……、などとその特徴を挙げ連ねてみると、僕自身にも当てはまるところがかなりあるように思います。
将来なりたい職業の上位に「会社員、公務員」とあると、たしかにそんな世相を反映しているのかなあ、などと感じてしまいます。
しかしながら、SNSなど見ていると、「YouTuber(ユーチューバー)」とか、「歌い手」とか、「イラストレーター」とかを目指して活動している中高生をけっこう見かけます。
実際に「YouTuber(ユーチューバー)」は「将来なりたいものランキング」で上位になることもあると聞きますし、YouTubeやSNSの普及に伴って、個人でも気軽に広範囲への発信が可能となったことで、こうした実現性の見えやすいものに人気が集まっているのかなあ、と考えてみると、大きな夢は持たない、合理性を重視する「さとり世代」というのもなんだか頷けるような気がしてきます。
とはいえ、生計を立てられる職業として、それをやっているのはやはり少数の人たちなわけで、そういう意味では「将来の夢はサッカー選手」などと言うのとそんなに変わりないのかなあ、という気もしてきます。
その意味においては、若者の夢に対する姿勢というものは、今も昔もそんなに変わってはいないような印象を受けるのですが、どうでしょうね?(夢が本気であればあるほど、顔見知りにはそのことを隠して、アンケートなどでは無難な回答をするのではなかろうか、という狐人的な分析もあります)
そんなこんなで、前述のごとく豊吉は夢を持って故郷を出て、夢破れて故郷に帰ってきたわけで、ここまでの流れはたしかに現実的ですが、このあとの展開ははたして現在では現実的なのだろうか、ということを疑問に思いました。
家族も町の人たちも、豊吉に同情して、やさしくあたたかく迎えてくれましたが、家族はともあれ、町の人たちについては、現在これはないかもしれないなあ、と思いました(あるいは家族でも?)。
そもそも現在では、近所づきあいというものがだいぶ希薄化しているのはいうまでもないことかもしれませんが、町の人たちが一般人の一個人のために、総出で私塾設立の世話をあれこれと焼いてくれるというのは、いまはなき幻想のようにも思えました。
こんな故郷があったらいいなあ、とある種の憧れのような感情を抱きながら読んでいたのですが、どうでしょう、こんな故郷が、あなたにはありますか?
近代化とともに、人間社会はゲマインシャフト(地縁的な共同体)からゲゼルシャフト(利益社会)へと移行していくのだとテンニースさんも言っていて、事実そのようになっているわけですが、見たことのない故郷というものに思いを馳せたところでした。
豊吉が最後河に漕ぎ出していった選択は、わかるような気もするしわからないような気もしました。
せっかく故郷で、新たな道が開けているというのに、このタイミングでその選択はおかしいように感じましたが、その一方で、夢破れてあとはもう余生が過ぎるのを待つばかり……、といった絶望がいかほどのものだろうか、というところは想像に難くないようにも思えました。
周囲の人の同情が心を傷つけて、やさしさが心に苦しいということもあったのではなかろうか、とも考えます。
かといって、夢破れてしまったのはすべて自分の責任ですし、自分の失敗の理由を、それを知る者が誰もいない都会と、みんなの協力を得られる故郷との環境の違い、だと捉えたところはいかにも甘えという気がします。
私塾は豊吉の描いていた夢とはかけ離れたものだったかもしれませんが、そこに新たな夢を見出すこともできたかもしれなかったわけで、豊吉の最期の選択はいかにも軽率で、衝動的なものだったように感じてしまいます。
しかしながら、それこそが人間の心の弱さというもので、ほっ、としたときに襲ってくる虚無感や絶望におされて、とんでもない選択をしてしまうことが、人間ならばあって当然のことでしょう。魔が差した、というやつですね。
正直、ここまで語っておいて、自分が豊吉と同じ立場に立たされたとき、豊吉と同じ選択をしないとは自信を持って言えないような気がしました。
夢破れても、また新たな生きがいを見つけて前向きに生きられるような、覚悟や心の強さを養っていきたいとは考えますが、言葉で言うほど簡単なことではないという思いもあります。
まあまずは、夢を持つところからはじめよう! ――といった今回のオチ。あなたは夢を持っていますか?
読書感想まとめ
夢を持って生き、夢破れても生きるということ。
狐人的読書メモ
ところで現在は故郷なき社会が訪れているのだろうか。それが当たり前になっているのだろうか。それはなんだか寂しいことのようにも当然のことのようにも思った。
・『河霧/国木田独歩』の概要
1898年(明治31年)8月『国民之友』にて初出。豊吉の故郷は山口県岩国市とのこと。国木田独歩も父親の転勤で岩国で小学校時代を過ごしたという。ひょっとしたら著者自身も、そこに故郷を見出し得ないような思いがあったのかもしれないと感じた。
以上、『河霧/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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