狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『猫とねずみとお友だち/グリム童話』です。
文字数2300字ほどの童話。
狐人的読書時間は約7分。
猫とねずみの因縁話。弱肉強食。
強い者に逆らった弱い者は必ず破滅する。
長い者には巻かれろ! ……世の中こんなものですね(汗)
現実を教えてくれるグリム童話がおもしろい。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
ある猫が、ねずみと知り合いになった。「あなたがとても好きだし、友達になりたい。一緒に暮らしましょう。外には罠があるから、君は出歩いてはいけないよ」と猫は言った。ねずみは猫と一緒に暮らすことを承諾し、家事をすることを引き受けてしまった。
冬に備えて食料を備蓄しよう、と猫が提案した。それはよい考えだと、ねずみは一壺のおいしいヘット(牛脂、食用油脂)を買ってきた。しかしねずみは、それをどこに置いていいのかわからなかった。猫はヘットの壺を教会の祭壇の下に隠した。
あるとき、猫はねずみに「いとこが子供を産んで、名付け親になることになったから、ちょっと出かけてくるよ」と言って出て行った。猫は教会にやってくると、祭壇の下に隠しておいたヘットの上端を舐め尽くして帰った。ねずみは猫に、「なんて名前をつけたの?」と訊ねた。猫は涼しい顔で「『上なし』」だと答えた。「変わった名前ね?」、ねずみは首を傾げた。
猫はまたヘットを舐めたくなった。前と同じ理由で家を出て、教会で壺のヘットを半分舐めてしまうと、そしらぬ顔で家に帰った。ねずみが「今日はなんて名前をつけたの?」と訊ねると、猫は「『半分終わり』」と答えた。「そんな名前は聞いたことないわ」、ねずみはまた首を傾げた。
猫はまたまたヘットを舐めたくなった。もちろん前と同じ理由で家を出て、教会でヘットを全部舐めてしまうと、何気ない顔で家に帰った。ねずみが「今日はなんて名前をつけたの?」と訊ねると、猫は「『全部なし』」と答えた。「そんな名前は本にだって書かれてないわ。いったいどういう意味かしら?」、ねずみはまたまた首を傾げた。
さて、冬がやってきて、猫とねずみが教会の祭壇の下に行くと、壺の中はからっぽだった。
「……ああ、いまはっきりとわかったわ。あなたは名付け親をしていたときに、ヘットを全部食べてしまったのね! 最初は『上なし』、つぎは『半分終わり』、そして……」
「黙れ! それ以上言えば食っちまうぞ!」
『全部なし』とねずみが言うが早いか、猫はねずみを呑み込んで、全部なしにしてしまった。
――世の中こんなものですね。
狐人的読書感想
……世の中こんなものですねって(汗)
教訓は「弱肉強食」。
強い者に逆らった弱い者は必ず破滅する――という、まさに世の真理のひとつが描かれているわけなのですが、「これ童話だよね?」と思わせる童話がグリム童話だということを思えば、「これぞグリム童話!」と言える作品ではないでしょうか?
ひねくれものの僕としては、楽しんで読める、そして考えさせられる童話でした(そしてねずみをかなりかわいそうにも思いました)。
『猫とねずみとお友だち』のような「猫と鼠の因縁話」とでもいえるようなお話は、世界中にたくさんありますよね。
もっとも代表的なものはやはり「十二支の猫と鼠の話」ではないでしょうか。
これは十二支の動物を決める際、神様の御触れを聞き逃してしまった猫に、ねずみが嘘を教えたので、猫は十二支に入ることができず、以来猫はねずみを目の敵にするようになる、といったお話ですが、『猫とねずみとお友だち』とは「強者と弱者」、「善者と悪者」の構図が反対になっていますよね。
夢野久作さんの非常に短い短編小説に『キューピー』という「猫と鼠の因縁話」があるのですが、これは「猫がいいもの」で「鼠がわるもの」という構図になっているのですが、この「猫と鼠は、どっちがいいもので、どっちがわるもの」のイメージが一般的なんだろうなあ……、というところにはちょっと興味を覚えました。
(ちなみに夢野久作さんの『キューピー』は約700字、所要読書時間2,3分で当ブログの該当読書感想記事でも読めるので、よろしければぜひに)
現実のペットとしてはおそらく猫のほうが人気な気がしますし、だけどアニメーションでは『トムとジェリー』とか『ミッキーマウス』とか、ねずみの人気も相当なものだという気がします。このあたり、アンケートをとってみたらけっこうおもしろいように思いました。
さて、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、『猫とねずみとお友だち』の内容についてです。
最近では「ペットの猫とハムスターが仲良し」みたいな画像や動画がネットやSNSでアップされていたり、ほのぼの動物映像としてテレビで放送されていることもあって、この二匹の組み合わせで悲惨な結末を想像しない方もいらっしゃるかもしれませんが、『猫とねずみとお友だち』の文体からは明らかにねずみの不幸な結末が暗示されているように感じました。
猫が名付け親を頼まれたと言ってヘットの上端を舐めに出かける、ねずみがだまされてしまう最初のシーンで、じつはねずみが『甘い洗礼の赤ワインを一滴私も飲みたいわ」というセリフがあるのですが、これはねずみの末路の暗示の、もっとも顕著なものではなかろうかと僕は思いました。からっぽになったヘットの壺に一滴のワイン(ねずみ)を……、というわけなのですが、どうでしょうね?
(それと猫が語る子供の色、一匹目は「白に茶色のぶち」、二匹目は「首のまわりに白い輪」、三匹目は「真っ黒で、足だけ白い、それを除けば全身一本も白い毛がない」、白は「幸福」を示す色で黒は「不幸」示す色、幸福の白が不幸の黒に塗りつぶされていく……、という暗示はどうでしょう?)
もうひとつ印象に残ったのは、猫がでまかせで言った子供の名前なのですが、とくに2番目の『半分終わり』という響きが心に残りました。何か哲学的な深い意味を見出せるように感じたのですが、結局思いつきませんでした。まあ、この名前については、翻訳によっていろいろなので、哲学的な深い意味を見出そうとするのはかなり無理があるかもしれませんが(「『上なし』=『皮なめ』、『半分終わり』=『ハンペロ』、『全部なし』=『ゼンペロ』などなど)。
冒頭で述べた教訓については、改めて語る必要もないかもしれませんが、これは非常に現実的なものだと捉えることができるでしょう。
物語となると「勧善懲悪」とか「弱きを助け強きを挫く」といった、いわゆるハッピーエンドものを求めてしまいがちですが、残酷な現実が示されている童話がグリム童話である、というのが、これまでグリム童話を読んできて持った僕の印象で、これもとくに言うまでもなく、一般的な共通認識かもしれませんが。
だからこそ現実に生きる上で、大切な教訓を学べるようにも思えるのですが、そうなってくると今回の教訓は「長い者には巻かれろ」みたいなことにもなってしまうわけで、これは実社会に出て仕事をするときなど大切な処世術ではあると思うので一概に悪いことだとはいえないのですが、なかなか幼い子供には教えづらいことのような気もして、まだ幼いお子さんを持つお父さんやお母さんのご意見もぜひ聞いてみたいなあ、といったところです。
子供の読み聞かせ本として悪いとまでは言えないにしても、ちょっと対象年齢は高めのような気がしました(そうなってくると読み聞かせ本としてのおすすめは難しくなってくる気も……)。
ともあれ、いつものことながら、興味深いグリム童話でした。
読書感想まとめ
長い者には巻かれろ! 世の中こんなものですね。
狐人的読書メモ
大人が読んでおもしろいのがグリム童話。自分にとって都合のいい者を友達と呼ぶのは抵抗を感じるけれど、どんな友達に対しても、そういった側面がまったくないとは言い切れない点で考えさせられた。芥川賞作家の町田康さんが『猫とねずみのともぐらし』というパロディ作品を書かれているところにも興味を持った。今度ぜひ読んでみたい。
・『猫とねずみとお友だち/グリム童話』の概要
KHM 2。『猫とねずみとお友だち』の類話は北アフリカからアラスカまでの広い地域に存在している。登場する動物に「狐と鶏」、「狐と狼」などのバリエーションがある点を興味深く思った(狐人だけに)。「世の中こんなものです」の結句はグリム童話初版には存在せず、のちに付け加えられたもの。
以上、『猫とねずみとお友だち/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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