赤い部屋/江戸川乱歩=善意を偽装した悪意が超怖い、江戸川乱歩の初期短編が超おもしろい。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

赤い部屋-江戸川乱歩-イメージ

今回は『赤い部屋/江戸川乱歩』です。

文字数19000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約57分。

夢幻的な空気漂う秘密クラブ「赤い部屋」。
新入会員のTがそこで自身の犯罪を物語るのだが。
Tの語りが終わったときに起こる衝撃の事件とは。

江戸川乱歩の初期短編は超おもしろい。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

緋色ひいろ天鵞絨びろうど、椅子と円卓子まるテーブル三挺さんちょう蝋燭ろうそく――今夜も、夢幻的な雰囲気漂う秘密クラブ「赤い部屋」に、異常な興奮を求める七人の男が集まっていた。今宵の話し手は新入会員のT氏。彼は奇怪なカラクリ仕掛けの骸骨がいこつのように、ガクガクと話し出した――

T氏は人生に飽きていた。ありふれた刺激には満足できなくなっていた。あるすばらしい遊びを発見してからはその楽しみのとりことなった。しかし、その遊びも九十九を数えて楽しくなくなった。もうこの上は自らの命を絶つしかないと思っているのだが、そのまえに、誰かに自分のやってきたことを打ち明けたかったのだと……、T氏の語りはつづく――

T氏の発見したあるすばらしい遊びとは、法によって裁かれることなく人の命を奪うこと。これまでに奪ってきた人の命が九十九人――

T氏がその方法を発見したのは三年前のある夜道でのこと。酒を飲んだ帰り道、交通事故に行き合ったT氏は、運転手に近くの病院を尋ねられてM医院を教えた。そして翌朝目を覚ますと大変なことに気づいた。それは、M医院よりもK病院のほうが近く、K病院には外科専門の医者がいるという事実だった。M医院は評判のやぶ医者だった。調べてみると案の定、M医院に運び込まれた被害者は亡くなっていた――

T氏は、酔っていたとはいえ可哀相なことをしてしまった、と思うと同時に変な気持ちになった。彼の命を奪ったのは、直接事故を起こした運転手でもなく、手術をしたM医院の医者でもなく、偶然の過失をした自分ではなかろうか。そしてこの過失をよそおえば、法律に処罰されることなく、人の命を奪うことができるではないか――

以来T氏はこの遊びにとりつかれた――

もうすぐ電車がやってこようとしている線路、そこを横切ろうとしているお婆さんに、わざと「危ない!」と叫んで、その足を止めさせた。声をかけなければ無事に渡り切れたはずなのに――

目が悪く、ひどく強情者の知り合いには、わざと冗談めかして「左へ寄れ」と注意した。その手には乗らないと、右に寄ったその知り合いは下水工事中の穴に落ちた――

友達と海へ遊びに行ったときには、飛び込みの心得があるのを幸い、先に崖から飛び込んで見せて、「飛んでみろよ」と呼びかけた。誘われて飛び込んだその友達は、深く潜りすぎて岩に頭を強く打った――

入念な下調べをした上で偶然をよそおい、小山の崖下にある線路に、ひとつの大きな石塊いしころを蹴飛ばしてレールの上に乗せ、時間をかけて山を下りて駅長室に知らせたころには、すでに電車は転覆事故を起こしていた。そのとき失われた命は十七人に及んだ――

T氏の話が終わり、皆微動さえしないでいると、いつもの給仕女が飲み物をもって赤い部屋に入ってきた。するとT氏は、おもむろに懐から回転式拳銃を取り出して、給仕女に向けて発砲した。が、それはおもちゃの拳銃で、なじみの給仕女はびっくりしたといって、よく見せてもらおうと、T氏から拳銃を受け取った。

今度は給仕女がおふざけでT氏を撃った。T氏は胸から血を出して倒れた。部屋の男たちは唖然とした。T氏は百人目の犠牲者に、自分自身を選んだということなのだろうか?

が、しばらくすると撃たれたはずのT氏の口から「ククク……」と笑い声が漏れた。すすり泣いていたはずの給仕女も我慢できずに笑い出した。

回転弾倉の一発目は空砲で、二発目には赤インキを入れた偽弾丸が仕込まれていたのだ。当然これまでの話も全部作り話だったのだ、とT氏がタネ明かしをしたところで電灯がつき、白い光が赤い部屋の夢幻的な空気を一掃してしまった。

狐人的読書感想

赤い部屋-江戸川乱歩-狐人的読書感想-イメージ

江戸川乱歩さんの初期短編がおもしろい(これ言うの、はたして何度目だろうか?)。超おもしろい。

話し手のTは、「不思議なほどこの世がつまらなく、生きていることが退屈で退屈でしようがない」と語り始めているのですが、こういう思いを抱くひとは少数派なのか多数派なのか、ということをふと考えてしまいました。

高校生の日常(別に小学生でも中学生でも大学生でもいいのですが)、ではありませんが、なんとな~く学生さんとか抱きがちな感情なのかなあ……、とか(いかがですか?)

あるいは、作中のT氏をはじめとする七人の男たちのように、「日々のパンに追われることもなく、かといってとびきりの大金持ちというわけでもなく」といった(高等遊民的な)境遇のひとは退屈を感じやすいのでしょうかね?

確かに仕事に追われているひとは退屈を感じるひまがないでしょうし、お金持ちはお金をかけた贅沢や趣味で退屈を紛らわせることができる、というのはわかりやすい例示のように思えました。

お金持ちの「血腥ちなまぐさい遊戯」という表現が出てくるのですが、たしかにお金持ちの道楽ほど救いがない、といったようなものは歴史上枚挙にいとまがありませんよね。

退屈が人に刺激を求めさせ、それがたくさんの悲劇を生んできたことを思いますが、これは悲劇を起こすだけの富や権力や暴力といった力があるかないかの差なので、人間には誰でもこの感情があるのだから、行き過ぎないようにうまく解消したり制御したりできるようにしなければ、というのはひとつ自戒的な教訓となるかもしれません。

よく、持たざる者には持たざる者の苦悩があり、持つ者には持つ者の苦悩があって、人間誰しもがそれぞれの悩みを抱えて生きているんだ、ということがいわれますが、狐人的には持つ者の苦悩はなかなか納得しがたいもののように思ってしまいます(それは僕が持たざる者である証左なのかもしれませんが、汗)。

ひとそれぞれの感じる苦悩は単純には比較できない、というのは理解できるのですが、どうしても持つ者の苦悩というものには共感できる場合が少ないように思います(それは僕が……、以下略)

このことは生まれた時代や場所などでもたとえられることがありますよね。飢えや戦争のある昔や国に生まれるのと、飢えも戦争もない現代や国に生まれるのとではどちらが幸せなのだろうか? みたいな。

明らかに後者のほうが幸せのようにも見えますが、飢えや戦いがあれば少なくとも退屈ややることがないといったような感情は芽生えさえしないでしょうし、飢えや戦争がない現代社会でも学歴社会の競争とか、会社や学校なんかのストレスだとか、いっそそういうことを考えなくていい時代や国に生まれたかったなあ、みたいな。

こう考えてみるとわからなくもないような気もするのですが、やっぱり持つ者の苦悩よりも持たざる者の苦悩のほうが納得しやすいような気がします。とはいえ持つ者からしたら持たざる者は持つ努力をすればいい、といったようなことも言えるのかなあ、とか考え出してしまうとぐるぐるなのですが……。

結局のところ人間は、与えられた場所で、与えられたもので、退屈とか考えないように、一所懸命にそれぞれの境遇のそれぞれの幸せを追求していかなければならないことはたしかなのですが、それは誰かを不幸にするものではあってはならないと、少なくとも僕は思ったのですが、それが絶対に正しい意見だという自信もないんですよねえ……。

まあ、僕自身は幸い(?)に、あまり退屈を感じることが、いまは少ないように思うので、T氏の退屈にはあまり共感できなかったというお話なのですが(それをいうためだけにえらく長々書いてしまいました)、それが日々のパンに追われているからなのか、あるいはとびきりの大金持ちだからなのかは(いわずもがな……)

『赤い部屋』に描かれている犯行は、ひとつの「悪魔の証明」といってもいいようなもので、捜査手法が進歩しているはずの現代においても、充分に通用するもののように感じたのですが、いかがでしょうか?

故意か過失か、というのはニュースなどを見ていても判断が難しいように感じます。完全な嘘発見器でもできないかぎり、これを証明するのは不可能ですよね(……完全な嘘発見器って、まだないですよね?)。

T氏の話の中のいくつかには、あからさまに善意をよそおっている場面があって、これは本当に恐ろしいことだと思いました。「善意を偽装した悪意」とでもいうのでしょうか、これもまた完全な証明は不可能な、「悪魔の証明」といえるでしょうね。

犯罪を犯してしまったとき、おそらく多くのひとは悪意はなかったのだ、と言うでしょう。故意か過失かというのと同様に、悪意の有無も量刑の加重減軽を決める基準となるので、悪意がないと判断されれば減刑が期待できるからです。

証人の発言や状況証拠的には、明らかに悪意的だと判断できたとしても、本人が違うと言っていれば、それはやはり完全に証明できたことにはならないでしょうね。T氏も言っていたように、「法は万能ではない」みたいなことを思わされたところでした。

人は自分の良心に従って行動しなければなりません、法律で罰せられるからじゃなくて、自分の心が痛いから、あるいは誰かの心を痛めたくないから、それを優先した言動を心がけなければなりません、とか思ったのですが、実際に自分が何らかの犯罪的な行為に及んでしまったとき、はたしてそんなふうに行動したり発言したりできるのかなあ、とか想像してみると……。

まずは犯罪をしないように、やむをえずそれに近しい行いを迫られたときも己に恥じない言動をできるように、読書で心を鍛えられたらいいのになあ、とは常々思っているのですが、実際僕の心、強くなっているのかなあ……(自信なし)

読書感想まとめ

赤い部屋-江戸川乱歩-読書感想まとめ-イメージ

超おもしろい。持つ者と持たざる者の苦悩。故意か過失か。悪魔の証明。善意を偽装した悪意。

狐人的読書メモ

じつはオチは読めていたが、狐人的には好きな展開だったのでよし。これ以上のオチはないのではないかとも思う(そのオチも嘘だった、みたいな後日談的エピソードはいろいろ考えられるにしても)。あとこの作品は冒頭の夢幻的な空気を生み出す情景描写とラストにそれを打ち消す描写がとても鮮やかだった。宮沢賢治著『注文の多い料理店』でも感じたが、舞台装置としての空間(情景)描写の有効利用は、小説を書く上でひとつ重要なガジェットとして捉えるべきかもしれない(当たり前のこと言ってるだろうか?)。普段退屈はあまり感じないとは言ったけれど、T氏が『で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。』というところには共感できた。たとえば、ゲームのスイッチを入れた瞬間にやり切った気分になってしまう、みたいな。これって他のひとの共感を得られることなのだろうか。気になるところ。

・『赤い部屋/江戸川乱歩』の概要

1925年(大正14年)4月、『新青年』にて初出。おもしろい。おすすめできる。ミステリーは時代が新しくなるほど工夫がされておもしろいように思うし、しかし古いものはオリジナリティやシンプルさが感じられておもしろいように思うし、単純に比較ができないような気がしている。

以上、『赤い部屋/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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