狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『虔十公園林/宮沢賢治』です。
文字数5000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約16分。
虔十公園林が人に教えてくれる大切なこと。
誰がかしこくて誰が賢くないのか、
本当はそんなものさえないのかもしれません。
宮沢賢治の理想の人間像、
ノーマライゼーション、サヴァン症候群。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
虔十は知的障害を抱えていた。風に揺れるぶなの葉がチラチラ光ると、虔十はうれしくなって笑ってしまう。そんな虔十をみんながばかにして笑った。
虔十の家の裏には運動場ほどの野原が残っていた。ある年、虔十は母親に七百本の杉苗を買ってほしいと頼んだ。虔十は何ひとつ頼みごとをしない子だったので、父親は買ってやれといって、母親も安心したように笑った。
あんなところに杉など育つものではない。やはりばかだとみんなが笑った。ある百姓は、自分の畑が日影になるから杉は植えるなと文句をつけた。何もいい返せない虔十を、虔十の兄がかばった。
みんなのいうとおり、八年目になっても杉は三メートルほどしか育たなかった。ひとりの百姓が冗談に、枝打ちはしないのか、と虔十にいった。真に受けた虔十が枝打ちをすると、三、四本の枝しかない、杉の林はいかにも寂しい様子になってしまった。畑から帰ってきた虔十の兄は、立派な林になった、いい薪もできたといって虔十に笑いかけた。
次の日から子供たちが毎日のように虔十の杉林に集まるようになった。並木道のようになった杉の間を行進するのが、子供たちには楽しくてしようがないらしい。子供たちのラッパの声真似を聞きながら、虔十もうれしくなって笑った。
ついにあの百姓が杉を伐れといって虔十を殴った。虔十は伐らないといった。これが虔十の、人生でたった一度の逆らいの言葉だった。
やがて虔十はチブスにかかってこの世を去った。だけど林には毎日毎日子供たちが集まった。
鉄道が通り、工場が建ち、田畑や家がつぶれていって、村はいつしか町に変わった。しかし虔十の杉林だけはそのまま残り、すぐ近くの運動場のつづきのようになって、相変わらず子供たちはそこで遊んだ。
ある日、昔のその村の出身で、今アメリカの大学教授になっている博士が十五年ぶりに故郷へ帰ってきた。小学校での講演後、博士は虔十の杉林を見て驚いた。すっかり変わった町の中で、その林だけが昔遊んだままなのである。
博士は懐かしんで林のことを校長に尋ねた。虔十の父親は、みんなが売れというのにもかかわらず、虔十の形見だからといって林を手放さなかった。そして今でも子供たちの遊ぶままにさせているという。
博士は虔十のことを覚えていた。そして述懐する。誰がかしこくて、誰が賢くないのかはわからない。どこまでも十力の作用は不思議である。どうでしょう、ここに虔十公園林と名をつけて、いつまでも保存するようにしては。
そのとおりとなった。「虔十公園林」と彫った碑が建った。昔の生徒たちから手紙やお金が学校に集まった。虔十の家族は本当に喜んで泣いた。
虔十公園林は、通り雨が降ったあとポタポタ雫を落とし、お日さまが輝いてはきれいな空気をさわやかに吐き出すのだった。
狐人的読書感想
『雨ニモマケズ』の『ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ』。
『風野又三郎』の『最も愚鈍なるもの最も賢きものなり』。
『虔十公園林』の虔十もまた、これらの作品に書かれているのと同じように、宮沢賢治さんの理想の人間像を体現しているのだといいます。
それぞれの名前も「賢治」と「虔十」ということで、まさに自身の分身として、自分の理想を投影したキャラクターだといえるのではないでしょうか?(宮沢賢治さんは署名の際には自分の名前を「Kenjü(けんじゅう)」と綴っていたそうです)
名前の話が続きますが、「虔十」の字は、つつしみ深い様子を表す敬虔の「虔」と、仏が人々を助けるために使う十の力を表す十力の「十」からとられていると思うのですが、あるいは賢治の「賢」とも音が重なっていて、この賢いということは作品の重要なテーマともなっていて、秀逸なネーミングです。
キャラの名前に、その作品のテーマや重要な意味を込めるというのは、小説、漫画、アニメ、ゲームなどジャンルや媒体を問わず創作において広く行われていることのように思います。
当然ながらこのことは創作にかぎった話ではなくて、現実のひとの名前にだっていろいろな意味や想いや願いといったものが含まれていますよね(清廉潔白の「れん」、最近新美南吉さんの『うた時計』を読んだことを思い出します)。
このあたり、自分の名前の意味をお母さんやお父さんに訊いてみても、新たな発見があっておもしろそうに思いました(なかったときのことを思うと、なんだか訊きにくいようにも思いましたが)。
この作品を簡単に評するならば「ノーマライゼーションについて言及した童話」ということもできるそうです。ノーマライゼーションとは、障害者とか健常者とかの区別なく生活をともにできる社会というような考え方や運動・施策を指す言葉です。
持つ者と持たざる者とが分け隔てなく暮らせる世界といってしまえば、やはりそれは理想論の趣が強いように感じられてしまいますが、しかしながらこの『虔十公園林』という作品の中ではそれ以前の、もっと本質的なことが描かれているように思いました。
それはラストの、アメリカの大学教授である博士のあの一言に、込められているのだといって過言ではないでしょう。
ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。
頭が足りないとみんなにばかにされている虔十ですが、自然の美しさ尊さに気づき、自らがそれを長い時間をかけて苦労して育て、杉林を伐れといわれたときには一生の間でたった一度だけ勇気を出して逆らいの言葉をいって、殴られても自分が育て上げた自然を守り通しました。
その杉林は村が町となり、すっかり変わってしまっても、子供たちの憩いの場として残り続け、昔は子供だった今の大人たちにも、とても言葉では表し切れないような、大切なことを教え示してくれているのです。
最近の読書では芥川龍之介さんの小説(『大導寺信輔の半生』)や国木田独歩さんの随筆(『武蔵野』)などで、街と自然との調和、といった自然の大切さを思うことも多いのですが、今回はまさに博士のいっていたように、「誰がかしこくて誰が賢くないのかはわからない」というのが本当に実感できる作品だと思いました。
知的障害や発達障害のある者のうち、ある限られた分野において非常に優れた能力を発揮する「サヴァン症候群」という症状がありますが、ちょっとだけ通じるものを感じました。
虔十の場合は、劇的な偉業をなしたわけではないかもしれません。ただただ雨の中の青い藪や風に吹かれるぶなの葉が大好きだったから、単純に自分でもそれらを育んでみたいと思い、長い時間をかけて小さな杉林を生み出しました。しかしそれは誰もがすることではなくて、ゆえに人間にとって大切な何かを、広くあらゆる世代に教えてくれました。
あるいは、『好きこそ物の上手なれ』(厳密にはちょっと違いますが)や『継続は力なり』ということもいえるかもしれませんが、あくまでこれらは副産物的な教訓のように思います。
宮沢賢治さんの目指していた理想の人間像というものが実感できるとてもいい童話でした。
それともう一つ、虔十自身もすてきなひとだと感じましたが、お父さん、お母さん、お兄さん、あるいは、虔十の家族もまたすばらしいと思いました。
虔十が七百本もの杉苗をねだったとき、お父さんはいままで一度も頼みごとをしたことがない虔十のために買ってやれと即決しましたし、お母さんも本当は買ってやりたいと思っていたからこそそれを聞いて安心したように笑ったのですし、お兄さんは百姓にばかにされた虔十をかばい、冗談を真に受けてしまい杉の枝打ちをしていやな気持ちになっていた虔十を励ましてくれて――そして家族は、虔十が亡くなったあとも虔十を思って決して杉林を手放さず、だからこそたくさんのひとに愛される『虔十公園林』が残されたわけで、どうしても虔十ばかりに目がいってしまいがちになりますが、虔十の家族がとてもすてきだと思い、虔十が羨ましいようにも感じてしまいました。
家族がお互いを支え合い、大事に思う気持ちというのは、障害者だから余計にというものではなくて、どんな家族も共通して持っているものだと思います。漠然とですが、ノーマライゼーションの真の意味は、そこにこそ見出すべきものなのかもしれないなあ、という気がしました。
読書感想まとめ
誰がかしこくて誰が賢くないのか、本当はそんなものさえないのかもしれません。
狐人的読書メモ
虔十の笑い、村のみんなの笑い、お母さんの笑い、兄さんの笑い、博士の笑い――人間はじつにいろいろなことで笑うのだと思った。笑いが印象的な作品だった。
・『虔十公園林/宮沢賢治』の概要
1934年(昭和9年)初出。著者が亡くなる翌年医発表された作品。花巻市立桜台小学校には『虔十公園林』の石碑があるそう。
以上、『虔十公園林/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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