狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『梅のにおい/夢野久作』です。
文字数1000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約2分。
梅のにおいはそんなにいいもの?
花より団子な斑猫がウグイスに襲いかかる!
かわいらしいお話です。
ところで嗅覚・味覚の好みの変化は、
加齢による感覚器の衰えが原因という説があります。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(短い、ゆえに全文)
『梅のにおい/夢野久作』
一匹の斑猫が人間の真似をして梅の木にのぼって花を嗅いでみました。あの枝からこの枝、花から蕾といくつもいくつも嗅いでみましたが、
「ナアーンダ、人間がいいにおいだ、いいにおいだと言うから本当にして嗅いでみたら、つまらないにおいじゃないか。馬鹿馬鹿しい、帰ろう帰ろう」
と樹から降りかかりました。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ」
「オヤ、鶯がやって来たな。おれは一度あいつをたべてみたいと思っていたが、ちょうどいい。ここに隠れてまっていてやろう」
「ホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」
と言ううちに鶯は、斑のいる梅の木のすぐそばにある梅の花のたくさん開いたほそい枝の処へ、ヒョイととまりました。
「鶯さん鶯さん」
と猫なでごえで呼びかけました。
「オヤ斑さん、今日はいいお天気ですね」
「ニャーニャー、ホントにいいお天気ですね。それにこの梅の花のにおいのいいこと。ほんとにたべたくなるようですね」
「オホホホホ、イヤな斑さんだこと。梅の花においしいにおいがしますか」
「ええ、梅のにおいをかぐとおなかが急にすくようです。あなたはどんなにおいがするのですか」
「あたしはねえ、梅のにおいを嗅ぐと何とも言えないいい心持ちになって、歌がうたいたくなるのです。そうしてあちらこちらと躍りながら飛びまわりたくなるのです」
「ヘエ、さようですかね。そう言えばあたしも何だか踊りたくなったようです」
「まあ、おもしろいこと。一つおどってみせてちょうだいな」
「いいえ、あたしはあなたの着物のにおいを嗅いだら一緒に踊りたくなったのです、本当にあなたのにおいを嗅ぐといいこころもちになります。どうです、一緒に踊ろうじゃありませんか」
「いやですよ。あなたと踊るのはこわい」
「何故です。ちっとも怖い事はないじゃありませんか。もっとこっちへきてごらんなさい」
「イヤですよ。妾のにおいを嗅いで踊りたくなったと言うのは嘘でしょう」
「どうして」
「たべたくなったんでしょう」
と言ううちに鶯はパッと飛げ出しました。
「しまった」
と斑が飛びつきますと、ドタリと地べたへ落ちてしまいました。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ」
と鶯は隣のうちの梅の木で鳴いていました。
狐人的読書感想
ふむ。またもや怪奇小説のイメージをくつがえす、夢野久作さんのかわいらしい小説でした。「九州日報シリーズ」を追うというのは、夢野久作さんフリークのひとたちからしたら邪道なのかなあ、といまふと思ったのですが、やっぱり好きなのですよねえ、このシリーズが(読書感想を書くことで、できれば全部追いたい)。
今回のオチには、たまに見られる夢野久作さんらしい独特の毒は感じられず、かわいらしいお話でした。
梅のにおいよりもウグイスのにおいにつられてしまう斑猫。花より団子(?)といった感じでしょうか? 風流よりも食欲に走ってしまうあたり、とても共感してしまいました(どこに共感しているのだろう?)。
お花見といえば「桜」というイメージですが、世の中には「梅見」というお花見もあるのだそうです。斑猫に共感してしまう僕などからしてみると、桜と梅の違いもよくわかっていないのですが(汗、調べてみると、桜の花は切れ込みのある舟形で、梅の花は切れ込みのない円形で、ほかにも枝ぶりと花のつき方に違いが見られるそうです)。
なので梅のにおいといわれても、その香りをイメージしにくいのですが、けっこうにおいは強いそうです。たとえるなら、梅酒からアルコールのにおいを除いた香ばしいにおい、なのだとか。まあ、このたとえも梅酒を飲まない(飲めない)ひとにとってはイメージしにくい点で変わりないかもしれませんが、なんとな~くわからないこともないような気がしました(曖昧)。
とはいえ、菅原道真さんの短歌に『東風吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主無しとて、春を忘るな』や、大伴家持さんの短歌に『花の香に、誘われ見れば、きみ姿、抱けどせつなく、朝も乱れて』、紀貫之さんの短歌に『君ならで、誰にか見せむ、梅の花、色をも香をも、知る人ぞ知る』と歌われているように、梅のにおいは古来より日本では親しまれてきているものです(これは偶然の発見ですが、作中ウグイスは「梅のにおいをかぐと歌が歌いたくなる」と言っていて、斑猫は「あなたのにおいをかぐといいこころもちになります」と言っていて、このあたり前述の短歌に通じるところがあります。ひょっとしてこれらの短歌が作品のモチーフか? そうなってくるとあやしい意味でも深読み出来てしまうという……、いわずもがな)。
斑猫にとっては梅のにおいは「つまらないにおい」でしたが、ウグイスにとっては「食べたくなるようないいにおい」、このあたりは個人個人の感覚の差を感じた部分でした。適切なたとえになるかわかりませんが、松茸のにおいがかぐわしいと思うひともいれば、そうかなあと思うひともいる、みたいな。味についても、ハンバーグのほうがよくね、みたいな、とくに味覚と嗅覚の個人差は、けっこう大きいもののように思っています。
年齢によっても変わってくるといわれているのが狐人的にはとても興味深いです。子供の頃、においや味が嫌いだった食べ物が、大人になってから好きになってしまった、一説によればこれは加齢による感覚器の衰えによってもたらされる結果、ともいわれていて、嗅覚や味覚が敏感だった子供のときには強すぎた「酸味」や「苦味」が年をとって感覚が衰えるとほどよいものに感じられるようになる、ということらしいのですが、まああくまでも一説とのことでしたが、前々から疑問に思っていたことについてのひとつの回答を得られた気がして、おもしろく感じたところでした。
さきほどお花見の話をしましたが、梅の開花は1月から3月で、春のさきがけ的な意味において「春の兄」などとも呼ばれるそうです。梅の花は同じくさきほどご紹介した和歌などにも取り上げられる春の季語でもあります。梅の花の花言葉は「高潔」、「忠実」、「忍耐」です。
春の季語といえばウグイスもそうですね。別名を「春鳥」、「春告げ鳥」、あるいは「初音」(――ミクと同じ、という歌違い歌コンボ)などとも呼ばれていて、やはり多くの有名な和歌に詠まれています。
作中でもやはり出てきたその鳴き声は印象的ですよね。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」
じつはこの鳴き声、「ホー」の部分は息を吸っている音なのだそうです。なんだか武道家が気合を集めているときの「ホー」を想像してしまいますが、ウグイスも「ホケキョ!」を気合を入れて言うために「ホー」しているのかと思えばちょっとクスリなところでした。ちなみにこの「ホーホケキョ」の鳴き声は繁殖期のオスだけに見られる特徴だそうで、自分の縄張りを主張しているのだとか。ウグイスの世界は一夫多妻制で、なのでオスの縄張りには複数のメスの巣があるそうです。メスもメスでつぎは別のオスのところへ行ってしまうそうなので、人間からしてみると多くの動物の夫婦がそうであるように、ウグイスの夫婦関係もけっこうドライな間柄みたいですね。
最後に、今回何を書こうか、いろいろと調べているうちに見つけたのですが、この『梅のにおい』という作品は、『頭のいい子を育てるおはなし366』という本にも取り上げられているそうです。
1日3分で読み聞かせできるお話が366話入っている本だそうで、本当に頭のいい子を育てるのかは僕には断言できないところではありますが、1日3分、寝る前に親が子供に物語を読み聞かせてあげる時間というのは、とてもすてきな時間だなあ、と単純に思いました。
夢野久作さんの「九州日報シリーズ」は数分で読めて、しかも子供向きであるものが多く、たしかに読み聞かせには最適な物語群かもしれません。
おすすめの仕方の幅が広がったように思います。
読書感想まとめ
春の小説。
狐人的読書メモ
たまに、その小説の文字数以上の文字数の読書感想を書くことに、疑問を持つことがある。
・『梅のにおい/夢野久作』の概要
1924年(大正13年)2月4-5日、『九州日報』にて初出。初出時の署名「香倶土三鳥」。九州日報シリーズ。夢野久作の九州日報シリーズは子供の読み聞かせに最適である。
以上、『梅のにおい/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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