犬と人形/夢野久作=生きるということ。震災を思うということ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

犬と人形-夢野久作-イメージ

今回は『犬と人形/夢野久作』です。

文字数1500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約3分。

関東大震災。
太郎と花子はポチとメリーさんの夢を見る。
失われたものとの再会。

夢を信じられない大人になるくらいなら
ずっと子供のままでいい?

生きること、東日本大震災を思う。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

関東大震災。太郎と花子は避難先のばあやの家で眠っている。

「ポチ、ポチ」
「メリーさん、メリーさん」

太郎と花子の寝言を聞いた両親は、きっと犬と人形の夢を見ているのだろう、どちらも焼けてしまったに違いないと、子供たちを哀れむ。

翌朝、太郎と花子は「東京へ連れて行ってください」と両親に頼む。昨夜二人は同じ夢を見ていた。犬も人形もまだ失われていない。両親は「新しいのを買ってあげるから」と二人をなだめる。太郎と花子はそれを悲しむ。

花子が「メリーさんのお墓」を作っていると、太郎がそれを止める。ポチは生きている。メリーちゃんもきっと焼けないでいる。

やがて火事が収まると一家は東京へ戻る。なんと奇跡的に家は焼け残っていた。家の押し入れに人形を見つけた花子は大喜びする。しかし犬は太郎が呼んでも見つからない。

太郎が「ポチのお墓」を作っていると、今度は花子がそれを止める。メリーさんが焼けなかったのだから、ポチもきっと無事でいる。

その晩、ワンワンワンと激しい犬の吠え声がする。「痛い痛い」と誰かが逃げていく。太郎はポチを抱きしめて嬉し泣きした。

狐人的読書感想

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『犬と人形』というタイトルにはどこか惹かれるところがあります。

なんででしょうね?

「犬」と「人形」

とくに珍しくもない当たり前のものを並べているだけなのですが。

そこに「夢野久作」という著者名が並ぶと、恐ろしげな雰囲気を感じてしまうのは僕だけ?

とはいえ『犬と人形』はまったく恐ろしくないハッピーエンドな物語です。

太郎さんと花子さん、またポチとメリーさんに会えてよかった。

太郎さんと花子さんが見た同じ夢は不思議な現象ですね。

夢枕とか予知夢とか虫の知らせとかいうのでしょうか?(ちなみに夢枕獏さんのペンネームの由来は「夢を食べる獏」と「夢のような話を書きたい」)

まさかエスパーか?

子供が示す不思議な力を思うとき、僕などはよく「見えない友達」とかを思い浮かべてしまうのですが、とかく不思議なものです。

しかしながら二人の夢に理由づけをしようとすれば、強く願い、希望するものごとが夢として顕現した、といったところでしょうか?(あえて理由づけする意味のなさよ……)

狐人的には、「人間の思考はつまるところ電気信号なのでつきつめれば電気的通信が可能である」(テレパシー)や、「人間の意識は無意識の深層で繋がっている」(普遍的無意識、アカシックレコード)といった説に惹かれてしまいますが。

ともあれ不思議です。

子供たちの「大切なものは失われていないと信じる気持ち」と両親の「失われたものは諦めて新たなもので代替しようとする態度」の対比には考えさせられるところがありました。

希望と諦観。

どちらも生きていくうえで重要なもののように思います。

希望がなければ人は生きていけず、しかして諦めなければ生きづらい状況だってある。

希望は前向きな感情で諦観は後向きな感情と捉えると、どうしても希望を見てしまいがちになりますが、前向きに生きるためにときには諦めなければならないこともあります。

子供たちがそれぞれに大切なもののお墓を作り、お互いにそれを止めて慰め合うシーンには、上記のことを思わされて印象に残りました。

子供には希望を持って生きてほしい、しかしながら諦観を知ることが大人になるということなのかもしれません。信じ続ければ夢は叶うなんていかにも子供っぽいですが、夢を信じられない大人になるくらいなら僕はずっと子供のままでいい、みたいな?(大人になって言っていたらピーターパンシンドロームとか揶揄されてしまいそうですがはたして)

作中では関東大震災がテーマとして取り上げられていますが、現代の日本人が震災と聞いて思い浮かべるのは、やはり東日本大震災ではないでしょうか?

2011年3月11日。あれから6年。

先日度重なる失言により復興大臣が辞任してニュースになりましたが。

僕自身も、時が経つにつれて、震災を思うことがやはり少なくなってきているように思います。つらい記憶を忘れなければ人は前を向いて生きていけず、とはいえ忘れてはいけない大切なこともある。前述の「希望と諦観」にも似たジレンマをここにも感じてしまいます。

東日本大震災で亡くなられた方の数は1万5893人、重軽傷者は6152人、行方不明者2553人(2017年3月10日警視庁発表)。

プレハブ仮設住宅で暮らす人は岩手、宮城、福島の3県で3万5503人(2017年1月末)。――阪神大震災では仮設住宅は5年で解消されたといいます。

東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除は広がっているものの、実際の住民の帰還は依然として進んでいません。

しかしながら進んでいく風化。

作物の風評被害。

膨らむ廃炉費用(8兆円超え)、見通しの立たない廃炉作業。

余震による東北地方の地殻変動はいまもなお続いています。

読書をして、あるいはニュースを見て(いいニュースであれば申し分ないのですが……)、過去の、そしていまの震災を思うことは、それだけでも大切なことな気がしました(ただの自己満足という気もしますが)。

太郎さんのポチと花子さんのメリーさんのように、失われたものが返ってくるとはかぎらないわけで。現実はなかなか物語のようなハッピーエンドとはいかないかもしれませんが、たくさんのハッピーを願うばかり。

今回はそんな感じの読書でした。

読書感想まとめ

生きるということ。震災を思うということ。

狐人的読書メモ

犬と人形-夢野久作-狐人的読書メモ-イメージ

震災直後のニュースに『東日本大震災の弔慰金、公務員は2660万円、民間は800万円』というものを見つけました。失われた命に値段は付けられない。とはいえ現実に、命に値段は付けられていて、そこには明確な格差が生じている。ちょっと思わされたお話。

・『犬と人形/夢野久作』の概要

1923年(大正12年)『九州日報』(10月30日―11月1日)にて初出。「海若藍平」名義。関東大震災から約2か月後に発表される。

以上、『犬と人形/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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