過古/梶井基次郎=消してしまいたい過去、消えてしまいたい今の自分。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

過古-梶井基次郎-イメージ

今回は『過古/梶井基次郎』です。

文字数1600字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約4分。

ランプの灯が消えた家。
暗闇を背負って一家は寂しく歩き出す――。
13年後、過古は旅情となって青年を苛む。

「古過ぎる」ってなんか意味違いません?
ひょっとしてアナグラム?
そこには深い意味が?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

ランプの灯が消えた家。暗闇を背負って一家は寂しく歩き出す。

――十三年後、彼は大学へ通うため、大都会へ。そこは以前住んだ町に近く、霜解け、夕みの匂いを体が覚えている。日光と散歩に恵まれた新生活。しかし父母や兄弟の顔を思うと、彼の心は陰鬱になった。

彼は以前住んだ町を訪れる。往来で13年前の自身の幻影を見る。湧き起こる旅情は嗚咽に近い。

ある夜、彼は散歩に出る。闇。それは泣きたくなるような瞬間。寒い。彼はマッチを取り出し火をつける。火が消える。突然の激しい音響。目の前を過ぎっていく光の列は列車。湧き起こる得体の知れない感情。彼は両親の家に帰ることを涙の中に決心する。

狐人的読書感想

過古-梶井基次郎-狐人的読書感想-イメージ

……ふむ。

未熟者な僕にとってはなかなか理解の難しい作品です。もちろん伝わってくるものはあるのですが。前回の読書感想に引き続き「考えるな、感じろ!」ということなのでしょうか?

全体を通していえるのは、とにかく陰鬱だ、ということではないでしょうか? このことは梶井基次郎さん作品の特徴のように、僕は思い始めている今日この頃なのですが。

もう一つ特徴として「私小説」的な作品が多いことが挙げられるのではないかと思います。『過古』もそのような作品の一つでしょう。

冒頭の、一家の暗い引っ越しシーンは、梶井基次郎さんの幼少時代の記憶が再現されているようです。梶井基次郎さんが幼少の頃の一時期は、お父さんの仕事がうまくいっておらず、経済的にも困窮していて、なかなか厳しい幼少時代だったそうです。

実際、梶井基次郎さんが東京で暮らしていた8~9歳の頃には家に電灯もなく、作中冒頭にあるようなランプ生活が続いていたといいます。その後、再びお父さんの転勤で三重県に引っ越してからは状況が好転したようですが、たしかにこのときの引っ越しのことが描かれているのかもしれないなあ、と狐人的にも思いました。

そういえば、横光利一さんもランプを重要なガジェットにして、望郷の思いを抱くノスタルジックな掌編、タイトルもそのまま『洋灯』(ランプ)書いてるんですよねえ……、『ランプ』というモチーフはノスタルジーと相性のいいアイテムなのかもしれません(創作のヒントになりそうな予感、しかし具体的なアイデアは出せず……)。

ただ『過古』のテーマを、単純にノスタルジーと言い切ってしまってよいのかどうかは、ちょっと迷うところです。

現在の彼が抱える孤立感とか空虚感とかが、たまたまそこにあった懐かしさを喚起させる事象(過去)によって湧き起こされているというか……、その事象は郷愁(過去)を思わせるものでなくても同様の感傷を引き起こすのではないかみたいな……、上手く言語化できないのですが。しかしながらその意味で「旅情」という言葉が用いられているようにも感じ、僕の読書感想とは違って巧みな言語化(表現)に思いました(さすが文豪!)。

それから、なぜ『過古』というタイトルにしたのかも気になるところです。「古過ぎる」ではなんか意味が違ってくるように思うし、やはり「過ぎ去った時」で「過去」としたほうがしっくりくるような気がするのですが。

――とはいえ、『縞目しまめの古りた座布団』と『華ばなしい光の列が彼の眼の前をよぎって行った』という辺りから、なにかアナグラム的な深い意味を見出せそうな予感も覚えるのですが、はたして……(自信なし)。

『ある心の風景』の読書感想で書いたように、梶井基次郎さんといえば学生時代の放蕩生活、破天荒っぷりはもの凄く、やはり『過古』においても、その頃の鬱屈した気持ちに通じるものが描かれているように感じます。『そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って』と彼が実家に帰ることを決心して小説は終わりますが、その後、両親に泣いて謝る梶井基次郎さんの姿をイメージしてしまうのは、僕だけ?(作品背景となる時期とは異なるかと思われますが)

(ここから余談)

さて過去といえば、誰にでも思い出したくない、忘れたい過去というものが一つや二つあるのではないでしょうか?

忘れたい、消したい、てか消えてしまいたい――そういった記憶ほど忘れられないもののように思うのですが。そんな記憶の消し方がないだろうか、ちょっと調べてみたというお話です。

結論から言ってしまうと、正直僕が有効そうだと思えるものはありませんでした。

一応、忘れたい過去のできごとを紙に書きだしてみるとか、人に話してみるとか。これはカタルシス効果を得る暴露療法という認知行動療法の一つだそうですが、忘れるというよりもその記憶から受けるストレスを軽減させて、前向きに生きよう的な精神論のように聞こえました。

他も似たり寄ったりで、忘却探偵のごとく寝れば記憶がリセットされるみたいなのは困りますが、嫌な記憶だけを消すといった都合のいい方法は、やっぱりないみたいです(調べるまでもなかったか?)。

しかしいずれはそんな装置が発明される日もくるのでしょうか?

それすなわち、人の記憶を操作したり、覗き見たりできる時代の到来を予感させて、なんだか怖いような気がしてきますが……。

――という『過古』を読んでちょっと未来を思った余談でした。

読書感想まとめ

過去に呼応する青年の鬱屈。

狐人的読書メモ

過古-梶井基次郎-狐人的読書メモ-イメージ

消し去りたい過去がありますか?

・『過古/梶井基次郎』の概要

1926年(大正15年)『青空』(1月号)にて初出。タイトルは『過去』となっている場合もある。……マッチ売りの基次郎?

以上、『過古/梶井基次郎』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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