狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『メリイクリスマス/太宰治』です。
文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約19分。
38歳の男が二十歳の娘にデレデレする。
ひょっとして……、と自惚れる。
メリイクリスマス。
ハッと我に返る。
太宰治さんの小説はエンターテインメント。
恋と愛のちがい。
考えるな、感じろ!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
終戦後の日本。12月のはじめ。東京は相変らず。
38歳の笠井は20歳になったシズエ子ちゃんと本屋で偶然に再会する。シズエ子ちゃんは笠井がかつて親しく付き合っていた女性の娘だった。いきおい母親を訪ねようと提案する笠井に、元気なく同意するシズエ子ちゃん。当時はまだ子供だったが、いまでは一人前の女である。
――なるほど、さては。
母親の話題を出して、次第に元気をなくしたのは、嫉妬したからに違いない。とんでもない自惚れをしたまま、笠井はシズエ子ちゃんとアパートに向かう。他愛ない会話を交わしながら、シズエ子ちゃんとの恋を妄想する笠井。
しかしアパートの前に着いたとき、笠井はシズエ子ちゃんから、母親が疎開先の広島で、空襲を受けて亡くなったことを告げられる。シズエ子ちゃんは咄嗟に母が亡くなったことを言いそびれて、どうしていいかわからないまま、ここまで来てしまったのだ。
嫉妬でも恋でもなかった。
笠井とシズエ子ちゃんは、母親の好きだったうなぎ屋ののれんをくぐる。そして、三人前の皿を注文して、シズエ子ちゃんの母親を悼む。
「ハロー、メリイ、クリスマアス」
屋台の奥の酔客が叫ぶ。アメリカ兵が外を歩いていたからだ。
笠井はその諧謔を笑う。シズエ子ちゃんと真ん中の皿を分けて食べる。
東京は相変らず。以前と少しも変らない。
狐人的読書感想
太宰治さんの小説には、文学性のみならず、強くエンターテインメント性を感じます。それが現代においても、根強い人気を誇る、一つ理由なのかもしれません。
――とか、太宰治さんの小説を、わかったつもりになり始めている今日この頃なのですが……(そうなるにはまだまだ読書量が足りませんが)。
『メリイクリスマス』もとてもおもしろい小説でした。
何がおもしろいといって、自惚れ屋の主人公笠井が展開する、恋愛哲学がおもしろい。
笠井曰く、別れたあとも彼の記憶に残る「思い出の女」、「唯一のひと」となるには、4つの条件があるといいます。
以下、要約して列記します。
- そのひとがきれい好きであること
- そのひとが少しも私に惚れていないこと
- そのひとが私の身の上に敏感であること
- そのひとのアパートに酒が豊富にあること
笠井は、とくに4.が重要であると述べていますが、狐人的には3.にどこか共感を覚えました(てか、他はあまり共感できませんでした。とくに4.?)。
シズエ子ちゃんのお母さんは、笠井がこの世のすべてがつまらなく感じて、たまらなくなっているとき、その気持ちを察して、状況に応じた話をしてくれたそうです。
なんとなく、すてきな女性らしさだなあ、と感じました。
こんなふうにできるひとになりたいものですが(はたして……)。
ところで、昔付き合っていた女性の娘を、恋愛対象として見ちゃうのって、ドラマとかのフィクションではよく聞く話なのですが、実際にはどうなのでしょうね? 一般的な男性感情なのでしょうか……、謎です。
謎のまま、笠井はシズエ子ちゃんにアプローチするわけなのですが……、突然やくざな口調になって、娘の歓心を買おうと母の悪口を言ったりして……、母の悪口の件は「浅ましいなあ」と思ってしまいましたが、やくざな口調の辺りはちょっと笑いました。
男性でも女性でも「好きなひとの前ではカッコよく可愛くありたい」というのはわかるような気がします。ちょっと調べてみたところ、男性の場合、長期的な付き合いを考え始めたときには「ありのままの自分を見てもらいたい」と思うようになるそうです。女性の場合でも付き合いが長くなったり結婚した後では相手の前では飾らなくなるので、これは「恋と愛のちがい」あるいは「恋愛と結婚のちがい」を思わされるところなのかもしれません(ちがう?)。
とはいえ、やくざな口調って……(しつこし?)。
こういう、好きな子の前で自分を大きく見せようとする態度って、どうなんでしょうねえ……。年齢やキャラクターによっては、母性本能をくすぐって「かわいい」となる可能性もなきにしもあらず、という気はしないでもないですが、滑稽なさまに引くわ、という場合のほうが多いようにも思います。まあ、シズエ子ちゃんにそんなことを考えている余裕はなかったわけなのですが。
そんなことを考えながら読み進めていたら、
『恋愛に阿呆感は禁物である』
『恋愛に滑稽感は禁物である』
と、立て続けに笠井の恋愛格言が飛び出してきて、狐人的にウケました(タイミングが良すぎた)。
最後の『ハロー、メリイ、クリスマアス』の件はちょっと難しく感じました。
敗戦直後の日本で、アメリカの兵士に向かって、日本人の酔客がアメリカの言葉でアメリカの文化的なセリフを口にするあたりに、ブラックジョーク的な諧謔(ユーモア)が感じられて、笠井も吹き出してしまったのかもしれません。
あるいは、シズエ子ちゃんは自分に気があると、自惚れていた自分自身の滑稽味を、そこに重ね合わせてみての笑いだったのでしょうか? 娘と母に対する自分の思慕の念を吹っ切ったきっかけになった言葉、という気もしますし、冒頭でいわれていた東京の変わらない『形而上の気質』を表しているようにも感じました。
う~ん……(自信なし)。
しかしそうはいってもおもしろい小説です(こちらは自信あり)。
笠井の移りゆく心理描写は等身大の人間が描かれていると感じられますし、明確に意味がわからずともユーモアを感じられる作品だと思います。
考えるな、感じろ!
これも一つ読書の楽しみ方だと思います。
(自信のない感想の言い訳にしか聞こえない?)
とにもかくにもぜひご一読あれ!
読書感想まとめ
考えるな、感じろ!
狐人的読書メモ
ちなみに本筋にはまったく関係ありませんが、『メリイクリスマス』ということで、『ひとはサンタさんを何歳くらいまで信じているのか?』ということが気になりました。調べてみると、日本の子供では「小学校低学年まで」というのが多いみたいですね。アメリカの子供のほうがサンタを長く信じているといったデータもあります。一説では精神的自立具合の差に起因するものなのだとか。共働き家庭が多いこともあってか、一人で過ごす時間の長い日本の子供に比して、アメリカでは小学校の高学年くらいまで、一人の外出や留守番が禁止されているそうです。まあ、ほとんど無宗教の日本とキリスト教のアメリカの、宗教観の差が一番大きな要因のようにも思いますが。
・『メリイクリスマス/太宰治』の概要
1947年(昭和22年)『中央公論』(1947年1月号)にて初出。著者の実体験をもとにした小説で、シズエ子ちゃんとその母には、林聖子さんとその実母秋田富子さんというモデルがいる。聖夜の「聖」と聖子さんの「聖」はおそらく偶然と思われるけれどすごい偶然の一致。シズエ子ちゃんのモデルである林聖子さんは新宿で『風紋』というバーを経営している。太宰治さん本人が、林聖子さん母娘に、『これは、ぼくのクリスマスプレゼント』と言って、作品の載った『中央公論』を渡しにきたというエピソードが印象的。ちなみに、林聖子さんの母秋田富子さんは広島の空爆で亡くなったわけではないが、作品執筆当時病床にあった。
・シズエ子ちゃんの名前の由来
シズエ子ちゃんのモデルである林聖子さんのお父さんは林倭衛さん。「しずえの子=シズエ子」から。
・シズエ子ちゃんの装いがクリスマスカラー
『「緑色」の帽子をかぶり、帽子の紐を顎で結び、「真赤」なレンコオトを着ている』
・アリエルというご本
1935年(昭和10年)出版のアンドレ・モーロワ著『アリエル シエリイの生涯』と推察される。
・広島の空爆
原爆のことを描いていると思われるが、当時GHQの言論統制の影響で『広島の空爆』という表現になっているかと推察される。
以上、『メリイクリスマス/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
(▼こちらもぜひぜひお願いします!▼)
【140字の小説クイズ!元ネタのタイトルな~んだ?】
※オリジナル小説は、【狐人小説】へ。
※日々のつれづれは、【狐人日記】へ。
※ネット小説雑学等、【狐人雑学】へ。
※おすすめの小説の、【読書感想】へ。
※4択クイズ回答は、【4択回答】へ。
コメント