めくらぶどうと虹/宮沢賢治=私を連れて行って! これは悲恋の物語(注.ではありません)

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

めくらぶどうと虹-宮沢賢治-イメージ

今回は『めくらぶどうと虹/宮沢賢治』です。

宮沢賢治さんの『めくらぶどうと虹』は
文字数3000字ほどの短編童話。
狐人的読書時間は約6分。

どんなことでもいたします。
私を連れて行って、どこへも行かないで。

私は盲目なほど一途にあの方を慕う。
しかしあの方は微笑を残して消えてしまう。

これは悲恋の物語、……ではありません。

が、未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

日照り雨が上がり、草がきらきら光り、山が明るくなった。ばらばらふりまいた音符のように、飛んできたもずが銀のすすきにとまる。

めくらぶどうはある予感を抱いてうちふるえていた。もしもあのお方と、一言だけでも言葉を交わすことができたなら、枯れてしまっても構わないとさえ思っていた。

ついにあのお方が、東の灰色の山脈の上、明るい夢の橋のように、やさしく空に現れた。めくらぶどうは感激と緊張に声を震わせながら叫ぶ。どうか私のうやまいを受けとってください。

それはあなたも同じです――あのお方に、聖なる教えを受けためくらぶどうは、自分を連れて行ってくれるように頼む。どこへも行かないでくれるように懇願する。

いつもあなたとともにいる――めくらぶどうの祈りもむなしく、ばらばらの楽譜のように鳴くもずが、東の方へ飛んでいくと、微かに笑ったようなあのお方の姿は、ついに見えなくなってしまった。

狐人的読書感想

めくらぶどうと虹-宮沢賢治-狐人的読書感想-イメージ

そう、あのお方こそイエス・キリストさま。違う、ブッダさま。違う違う、あぶちゃん――じゃなくてにじさまでした。

(▼「あぶ」と「にじ」が似ている件についてはこちら)

まあ「にじ」を「あぶ」と読み間違えそうになってしまうのは僕だけかもしれませんが。

しかし「めくらぶどう」って誰(何)? ――と思うのは僕だけではないはずです(よね?)。

調べてみたところ「盲葡萄めくらぶどう」とは「野葡萄のぶどう」のことでした。宮沢賢治さんの出身地である東北地方の方言だそうです(ちなみに、作中「日照ひでり雨がれましたので……」という記述がありますが、この「雨が晴れる」と言う表現も方言です。……知りませんでした)。

「めくらぶどう」の呼び名の由来として「目の見えない人の目に似ているから」といった説があるそうですが、この「めくら」が差別用語にあたるらしく、『まくらぶどうと虹』という作品は学校の教材としては避けられる傾向にあるのだとか。

情景描写が美しく、内容も差別とはまさに正反対のことが描かれているので、道徳の教材にもピッタリだと思うのですが……、本質と違った見方がされてしまうというか、作品そのものを損なう解釈というか――とはいえ、その言葉を聞くだけで傷ついたり悲しんだりする人がいるのかと思うと……、とくに昔の小説、童話などを読んでいて、こうした言葉に出合うたびに考えさせられることであります(そういえば村上春樹さんの短編小説にも『めくらやなぎと眠る女』がありますね)。

めくらぶどうを検索して画像を見てみると、紫、青、緑など、たしかに虹色のように色鮮やかな実をつけていて、だからこそめくらぶどうが虹を敬愛している姿に共感を覚えました(ちなみにめくらぶどうの実がカラフルなのは中に虫が寄生しているためで味も美味しくないそうです。見つけても食べないようにご注意ください。……てかこの話、いい話台無し?)。

その意味で(どの意味で?)、めくらぶどうを知っているほうが、より味わい深い作品だと思います。虹のように熟れた実をつけるめくらぶどうが、虹を盲目なまでに慕っているという――この宮沢賢治さんの想像力の飛躍は凄いです。

しかしながら、めくらぶどうの虹に対する慕いっぷり……、けなげというかいじらしいというか、冒頭でイエス・キリストさんやブッダさんを引き合いに出しましたが、まさに彼らの弟子の姿を彷彿とさせるところがあります。

――となると、虹は、イエス・キリストさんやブッダさんといった聖人の姿を体現しているように見えるのですが、おそらくキリスト教と仏教に強い影響を受けて完成された作品と、いえるのではないでしょうか。

以下の引用は虹の教えが凝縮している部分です。

「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかがやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与えられたすべてのほめことばは、そのままあなたに贈(おく)られます。ごらんなさい。まことの瞳(ひとみ)でものを見る人は、人の王のさかえの極(きわ)みをも、野の百合(ゆり)の一つにくらべようとはしませんでした。それは、人のさかえをば、人のたくらむように、しばらくまことのちから、かぎりないいのちからはなしてみたのです。もしそのひかりの中でならば、人のおごりからあやしい雲と湧(わ)きのぼる、塵(ちり)の中のただ一抹(いちまつ)も、神(かみ)の子のほめたもうた、聖(せい)なる百合(ゆり)に劣(おと)るものではありません」

このモチーフは『聖書』と『法華経』の両者に見られるようで。

「野の百合はいかにして育つかを思え。労せず、紡がざるなり。されど我汝らに告ぐ。栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花一つにもかざりき」

――『マタイ伝』6の28-29

所以は何ん、如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の者なし。実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事、如来明かに見て錯謬しゃくみょうあることなし。

――『妙法蓮華経 如来寿量品第十六』

……正直、無宗教で、普段から聖書や経典に触れることのない僕からするとかなり難しく、ちょっと意味を計りかねるところがあるのですが。

とりあえず、滅びぬもののない「万物の平等」みたいなことがいいたいのだろうか、ということばかりは感じたのですが、……浅い読み方かもしれません。この作品が、「めくら」という「差別」用語とは真逆のことを描いている――と僕が前述した由来はここにあります。

あるいは、「もともと特別なオンリーワン」的な意味も含まれているのでしょうか、……『世界に一つだけの花』を彷彿とさせられました。

(▼ちなみに世界に一つだけの「鼻」な読書感想はこちら)

『めくらぶどうと虹』は、なんとなくもっと深イイことが描かれている作品なのだと感じるのですが、僕としては表面をなぞるようなことしか実感できず、ちょっと悔しい思いをした童話でした。

童話なのだからもっと純粋に楽しもうよ、ということはいつも思うことなのですが、もっと見識を得て再読したい作品です。

読書感想まとめ

……虹さまorz
めくらぶどうの「めくら」という語は、差別用語にあたるそうなのですが、この作品の本質にはあたりません。

「キリスト教」と「仏教」
「万物の平等」と「もともと特別なオンリーワン」

今回は(も?)浅い感想でしょうか。
見識を得て再読したい。

狐人的読書メモ

虹は英語で「rainbow」……。

(▼ただのこじつけですが、よかったらどうぞ)

・『めくらぶどうと虹/宮沢賢治』の概要

1921年(大正10年)秋に執筆されたと推定される。生前未発表作。『マリヴロンと少女』の本稿。

・もずについて

[まとめ買い] 百舌シリーズ作中、飛び立つ姿がばらばらの音符、鳴き声がばらばらの楽譜と比喩されたもずに興味を引かれた。どこかで聞いたことある……『MOZU』と『HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)』?

つまり百舌の速贄。捕まえた獲物を木の枝にグサリする。その理由はよくわかっていない。足の力が弱いので固定して食べるためという説や、保存食にする説などあるが、満腹時にも行ったり、のちに食べるケースが少ないことから本能的な行動との見方が一般的。創作のモチーフとして興味深く思った。

以上、『めくらぶどうと虹/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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