第1部 第1巻
第2章
初等部六年 一月一日
――冬休み、幼なじみ、初詣デート――
「一葉、頭がおかしくなったのか!」
明けて元旦、憔悴した顔の父さんが、ぼくを見て放った一言目がこれだった。
日課としている早朝トレーニングから帰ってきたぼくは、病院から帰ってきた父さんと、家の前で遭遇した。
「父さん、ぼくは正気だ」
開口一番、息子の正気を疑おうとは。
父親としての資質を疑いたくなったが、今日に限っては、父さんがどんな失態を演じたとしても、無理からぬことだと思えた。
だけどたぶん、出会い頭の一言は、妹を、一目も見ることなく亡くした息子に対しての、気遣いからくる空元気だったのだろう。
それに父さんの言いたいことはよくわかった。
「すまん。まだ気が動転してるみたいだ」
「いいよ。言いたいことは伝わったから」
初っ端から、父さんの視線はずっと、ぼくの頭に固定されたままだった。
正確には、父さんの視線はずっと、ぼくの頭の上に固定している物体に、固定されたままだった。
ぼくは、その物体を、日課としている早朝トレーニング以前に、洗面所の鏡で確認済みだった。
その物体は、ぼくの頭より一回り小さい(ダチョウの卵よりは小さい?)くらいの、それでも普通の鶏卵に比べればかなり大きい、楕円形をした、淡く輝く金色の卵。
それは、どんなに動いても頭を振ってみても、ぼくの頭上から離れなかった。触ろうとして伸ばした手は、卵の内部をすり抜けてしまった。重みもまったく感じられない。
この卵は、接触不可型ホログラムなのか(一応ためしに、PDのホログラム機能をOFFにしてみたけれど、卵は消えなかった)。あるいは、別世界からこの世界に物質化する最中なのか(物質化率一パーセント?)。よもや霊体ではあるまい(――とも言い切れない)。
いずれにせよ、この卵の正体は明白だった。
「<エッグ>」
なのでその正体を、ぼくは父さんに、端的に告げた。
父さんは頭のいい人だった。ぼくの言葉を聞いて、驚きの表情を浮かべながらも、状況をとっさに理解し、絶望の淵で希望を見た者が宿す瞳の灯のようなものを、ほんの一瞬だけ目の奥に閃かせて、困惑の様子に落ち着く。
死産したばかりの娘を、生き返らせることができるかもしれない。
そんなチャンスが目の前にある。
しかしそのためには、<エッガー>と<エッグクリーチャー>との戦いを繰り返して、<スクランブルエッグ>に優勝しなければならない。どうにか優勝できたとしても、最後には、ともに戦ってきた<クリーチャー>を、生贄に捧げなければならない。
そうしようとするならば、それをしなければならないのは、父さんではなく、ぼくなのだ。
複雑な心境だったに違いない。
「……そうか。それでその、それは頭からとれないのか? 帽子で隠したりとか」
学芸会で用いた、魔法使いの黒い三角帽子(亜子が用意した最高級オーダーメイド)を、ぼくは思い浮かべた。そんな恰好で、子供を死産したばかりの、母親の前に立つ気にはなれなかった。
それこそ正気の沙汰とは思えない。
ぼくは首を横に振った。
「……母さんはしばらく入院することになる。父さんもいろいろ準備してすぐ病院に戻る。母さんのこと心配だろうが、また留守番しててくれるか?」
少し考えるしぐさをしてから、父さんは言った。
「<エッグ>のことは、父さんから母さんに話してみる。帰ってきたら話しをしよう。どうするかはお前が決めることだけど、父さんと母さんの気持ちも聞いてくれるか?」
ぼくは頷いた。
父さんは頭がいいだけでなく、やさしい人だ。母さんもやさしい。ふたりとも、子供だからといって、ぼくを子供扱いせずに、ちゃんとひとりの人間として尊重してくれていた。
だから、このふたりの間から、どうしてぼくが生まれてきたのだろうか、というようなことを、事あるごとに考えさせられたりもする。
父さんの話では、母さんもやはり相当なショックを受けているらしい。
父さんが病院へ向かう準備をしている間に、ぼくはふたり分の簡単な朝食を作った。トースターにトーストをセットして、フライパンでベーコンエッグを焼き、それらを移した皿にレタスとミニトマトを添えて、ドレッシングを少しだけかけ、コーヒーを入れた。
「早朝トレーニング、今度久しぶりに、父さんも一緒に行っていいか?」
「いいけど」
「久しぶりに組手やろう、組手」
「いいけど」
「これでも父さんは昔――」
「その話は何度も聞いたよ」
父さんは、ぼくの用意した朝食を少しばかり口にすると、荷物を抱えて車に乗り込み、母さんのいる病院へと戻っていった。
※
「できるだけ外出は控えてくれよ、<テディ事件>に巻き込まれないように」
出がけに父さんはそう言った。
※
父さんが家を出たのち、朝食を終えたぼくは、使った食器の後片付けをしてから、軽くシャワーを浴びて着替え、リビングのソファーに寝転がった。
窓の外はだいぶ明るくなっていた。風もなかったし、この時期にしては、暖かくて気持ちのいい天気になりそうだった。
ぼくは、ソファーの上で仰向けになり、後頭部に両手を回して、白い天井を眺めてみた。
頭頂に、何かがあるような感覚はない(当然の結果として何かが転がり落ちる感覚もない)。
だけどぼくの頭の上には、たしかに<エッグ>があるはずだった。
どんなに乱暴に動いても、落ちて割れたりせず、そこにある。
ぼくは鏡を使わずにそれを見ることはできない(ほかに写真という手があったかもしれない)。
なんだか妙な気分だった。
※
父さんと母さんは、娘が産まれてくるのをずっと楽しみにしていた。
結婚する以前から、一男一女をもうけたいと願っていたそうだ。
一葉、二葉という名前も、その頃から決めていて、男の子が産まれても、女の子が産まれても、読み方次第で対応できるようにと考えていた。
ぼくに顕現した<エッグ>のことを知った母さんは、いったいどんな反応をするだろうか。
親にとって、子供は何ものにも代えがたく、尊い存在だという。
もちろん子供をもたない子供のぼくが、本当の意味で、そのことを理解しているとは言い難い。
けれど。
そうはいっても。
子供のぼくでも、倫理的、道徳的、本能的なものとしては、そのことを理解できる。
子供の命は、自分の命よりも大切だと主張する親もいる。
では、他人の命とでは? 身内の誰かの命とではどうだろうか。
七玉子市に生まれ住んでいれば、七玉子市出身・在住者で三親等以内の血のつながりある血族が死ねば、<エッグ>が顕現する可能性がある。
突きつめれば、七玉子市出身・在住者で三親等以内の血のつながりある血族を殺せば、三親等以内の誰かが<エッグ>を得られる可能性が生じる。
<エッグ>を得て、<スクランブルエッグ>に優勝すれば、死んだものを生き返らせることができる。
<エッグ>の顕現確率的にいっても、賢い手段だとはとても言えない。
しかし大切なものを亡くした人間は、藁にもすがる思いのはずだ。
人は、大切な誰かのために、ほかの誰かを犠牲にできるか。
あるいはほかの誰かが人間でなければ可能か。
たとえば虫ならどうだろうか。
蟻だったら? 蚊だったら? 蠅だったら? ゴキブリだったら?
たとえば家畜ならどうだろうか。
鶏だったら? 豚だったら? 牛だったら?
たとえばペットならどうだろうか。
猫だったら? 犬だったら?
ペットを飼っている人の中には、ペットを家族だと言う者もいる。
とはいえ。
ペットの命と人の命を同等に考える者のほうが少ないのではないか。
父や、母や、息子や、娘や、兄弟、姉妹、祖父母のために、人は犬や猫を殺せるかもしれない。
では。
たとえば。
<エッグクリーチャー>だったら?
<エッグクリーチャー>は、ただのペットではない。
言葉を話し、人と同等の知性をもっている。
それは姿形の異なった人間、と言っても過言ではない存在だ。
それでも人は、<クリーチャー>の消滅とひきかえに、大切な誰かを生き返らせることを望む。
これまでいったい何人の<エッガー>が、苦楽を分かち合ってきた<クリーチャー>を生贄に捧げて、その対価として死んだものを生き返らせてきただろうか。
人は、大切な誰かのために、人間を殺せる(のちにぼくは、直接的な意味において、このことをより深く考えさせられる殺人事件にかかわることになるけれど、今回の話にその事件は関係しない)。
だから。
人は、大切な誰かのために、<クリーチャー>を殺せる。
<スクランブルエッグ>への挑戦意思は<クリーチャー>の孵化後、すみやかに決定しなければならない。
<クリーチャー>の孵化は、<エッグ>が顕現した瞬間から、ちょうど三日(七十二時間)後と公式の情報にはある。
同じく公式の情報から。
<スクランブルエッグ>に挑戦する場合は、<クリーチャー>の寿命は三年となる。単純に考えるなら三回、<スクランブルエッグ>に挑戦するチャンスがある(<エッグ>を得た時期によっては、ポイントを集める時間が足りずに、実質二回ということもあるだろう)。
<スクランブルエッグ>に挑戦しない場合、<クリーチャー>の寿命は九年となる。この場合の<クリーチャー>は、話しをすることはできるが、スキルをはじめとした強力な戦闘能力はもてず、ただのペットと大差なくなる。また<スクランブルエッグ>関係の<デュエル>、<クエスト>、<ミッション>からは完全に除外されるため、当然ポイント争いにも絡まない。ゆえに<スクランブルエッグ>への挑戦意思を放棄した<エッガー>と<クリーチャー>は、挑戦者間のいざこざに巻き込まれる可能性は低く、安全に、より多くの時間を共有して過ごすことができる。
人の心を癒すのに、三年や、九年といった時間は、長いのか、短いのか。
<クリーチャー>は、<エッガー>のよき友となり家族となって、大切なものを失った悲しみを慰め、大切なものを奪われた怒りを忘れさせてくれるかもしれない。
また、挑戦意思を表明して、<スクランブルエッグ>に優勝するということは、ほかの挑戦者の、大切なものを生き返らせるチャンスを殺してしまうことにもつながる。誰かの大切な誰かが生き返る、ということは、誰かの大切な誰かが生き返らない、ということを示しているわけだ。
そこには心理的葛藤が生じる。
しかしながら。
<スクランブルエッグ>の挑戦意思を放棄する者は少ない。
<エッグ>が顕現してから孵化するまでの三日間は、身近なものの死に心の整理をつけるには、あまりにも短い。
<エッグ>が顕現した、ということは、家族や親戚、必ず身内な誰かが死んだことを表している。
この<エッグ>顕現の条件によって、多くの場合<エッガー>には、宿命的に、どうしても、生き返らせたいものがいることになる。
はたして七玉子市で、年間どれだけの人が命を落とすのだろうか。そして、どれだけの<エッグ>が顕れるのだろうか。
死んだ人間を生き返らせることができるのは、<スクランブルエッグ>本大会で優勝したひとりのみ。
本大会は年に一回しか開催されず、ひとりの<エッガー>が挑戦できるのは、<クリーチャー>の三年の寿命を考えれば、最大でも三回まで。
そのチャンスは間違いなく貴重なものだ。
挑戦するのか、しないのか。
父さんと母さんは、ぼくにどちらの決断を望むだろうか。
ぼくはソファーでくつろぎながら、そんなことをなんとなく考えてみた。
※
「なにそれ、ひーくんは頭がおかしいわね」
今後の方策がほぼ固まった頃、お昼時に亜子がやってきて、玄関ドアを開けて出迎えたぼくを目にするなり爆笑し、笑いが収まってから放った一言目がこれだった。
おかしい、という単語には、滑稽だという意味と、普通でないという意味がある。
亜子が発したこの一単語には、大きな卵を頭にのせたぼくの、珍妙な姿への嘲笑と、異様な事態への指摘がなされているのだと考えられた。
いや、異様な事態への指摘はなされていなかったのかもしれない。
なされていたとしても、それは、ほんのついでといった感じだったに違いない。
すなわち。
ぼくをばかにしている点。
あんたみたいな奴に、この高貴なるわたしの声を、一文字でも長く聞かせたくないわ、という気持ちから、ふたつの意味を含み、かつ、四文字という短い単語で、ぼくのことを言い表した点。
以上二点から考察するに、現在の亜子は、昨夜の通話の別れ際に見た(聞いた)、まぎれもないツンデレバージョン(タイプは明らかに女王様型? この段階での判断は時期尚早かな?)の亜子だった。
ちなみにぼくはMではない(ノーマルだ)。
ゆえにぼくがとるべき行動はひとつだった。
ドアを閉めた。
しっかりと自動的に施錠もされた。
当然、玄関チャイムの連続音が家中に鳴り響いた。
「なんで閉めるのよ!」
仕方なく、再び玄関ドアを開けると、さきほども目にした振袖姿の亜子が、包みを抱えて、怒り顔で立っていた。キャラによってコロコロ変わる亜子の髪型だったが、元日の今日は普段あまり見られない華やかな髪型をしていた。トレードマークのリボンタイプPDをうまく使った彩りも麗しい。背景には、黒光りする、見慣れた運転手付き高級車が控えていた。
「何か言うことがあるんじゃないの?」
「今年もよろしく」
「いえいえこちらこそ……って、そうじゃなくて! それはもう電話で聞いたでしょう」
「ごめん、おじさんたちのところに年始の挨拶行けなくて」
「そうじゃなくて! アンド、そっちなの? 謝るにしてもドアを閉めたことじゃなくて?」
見事な連続ツッコミだった。
「まあ、それはいいんだけど、よくないんだけど、いいんだけど……ほかには?」
さらに亜子が訊いてきた。ジト目の上目遣いで見つめてきた。
「ごめん、じつは昨日のカウントダウンパーティに行かなかったのは、ひとり家でごろごろしながら年末特番を見て年越ししたい気分だったんだ」
「そうでもなくて! アンド、やっぱりか! やっぱりだったのか! もう許してたのに!」
違ったらしい。墓穴を掘り、かつ、火に油を注いでしまった。
何はともあれ、亜子にはこのまま精進を重ね、順調にツッコミコンボ数を増やしてほしかった。
「がんばれ」
「何を、よ」
亜子が吐息をついた。
「まあ、入りなよ。あ、それと、振袖、とてもよく似合ってる、かわいいよ」
「遅いわよ! 遅すぎるわよ! ついでみたいに言わないでよ! 驚きで目をみはったのちに、ほんのり頬を赤くして、少し間をおいてから言いなさいよ!」
「振袖、とてもよく似合ってる、かわいいよ。ぼくは驚きで目をみはり、頬を朱に染め、はっと我に返ってからそう言った」
「きゃあああ、いきなりわたしを殺さないでよ!」
「いや、自殺だ」
「ぎゃあああ、怖いわよ! 劇的展開すぎるわよ! 死ぬときは一緒にって約束したじゃない! 自殺するなら、まずわたしを殺して、それから死んでよ!」
「怖いのは亜子のほうだ。そして重い。重すぎる。登場して早々そっちのルートに入ろうとしないでくれ」
ヤンデレルートはごめんこうむる。
「とにかく、頬を朱に染めないで、朱を注ぎなさいよ!」
朱に染まるは、血まみれになるの意である。顔が赤くなるの意は、朱を注ぐ。(ぼくなりの)渾身のトリックをも見逃さず、即座につっこんでくるとは。
「さすが亜子」
「ぜんぜんうれしくないんだからねっ!」
頬に朱を注ぐ、ツンデレバージョンの亜子が言った。
※
リビングのテーブルに豪華な重箱が並んだ。
亜子が持参した包みはおせちだった。
「毎年のことながら、亜子がもってきてくれた、亜子の家のお抱えシェフ自慢のおせちは美味しすぎる」
「亜子がもってきてくれたおせちは美味しすぎる、でよくない?」
ぼくはおせちの重箱に、つぎつぎと箸を伸ばしながら、舌鼓を打った。振袖だからか、亜子も上品に、料理を口に運んでいた。
毎年いただいている、よく知っている味ではあったが、美味しいものは何度食べても美味しかった。
ぼくたち家族は毎年、イベントごとがあるたびに、亜子の家にお呼ばれしていた。そういえば、亜子の家の年末年始パーティに行かないのは、これが初めてだったかもしれない。昨日は年越しそばも食べなかった。ぼくは、そんな風習にこだわりをもってはいないし、父さんと母さんも、年末年始を祝っている場合ではなかった。
「それにしても、<エッグ>ってこんななんだ。わたし、実物見たの初めてかも」
言いながら、亜子はぼくの頭に手を伸ばしてきた。
「なぜ、ぼくの頭をなでなでする。そこは<エッグ>に触ろうと試みて、すかすかするところだ」
「いいじゃない。ついでよ、ついで」
まあ、なでなでのついでにすかすかもしてはいるのだが。
でもたしかに、実物の<エッグ>を見る機会はそうないかもしれない。
<エッグクリーチャー>や<エッガー>は、テレビにもよく取り上げられて、中にはアイドルやタレントのような人気が出るものもいる。
だけど<エッグ>はそうではない。
<エッグ>があるということは、それを顕現した者の身内が、三日以内に死んだということだ。身内の死が悲しくない、という場合は極めて稀だろうから、メディアも<エッグ>の扱いは、慎重にならざるを得ない。
反対に<クリーチャー>は、それぞれが個性的で、会話ができ、かわいかったり、神話に登場する空想上の生き物の姿をしていることもあって、人の心の癒しともなる。また過ぎゆく時間は、身近な者の死の悲しみを希薄化し、死者を生き返らせることができるかもしれない、といった希望も、死の悲しみを紛らわせる。
生々しい死の空気を孕んだ<エッグ>と、心の慰めと希望の象徴たる<クリーチャー>。
両者が人々に与える印象の違いが、メディアの扱い方の差に表れていた。
「それでこれからどうするの?」
おもむろに亜子が訊いてきた。「<スクランブルエッグ>に挑戦するの?」とは訊いてこない。その必要がないからだ。
「情報収集かな」
<エッグ>や<クリーチャー>、<デュエル>や<クエスト>、<ミッション>について、<スクランブルエッグ>を有利に進めるための公式情報は非常に少ない。
「ネットとかで?」
「いや……」
この高度情報化社会においては信じがたいことではあるが、<エッガー>として(少なくともぼくは)知っておきたいような情報は、ネット、SNS、情報データベース検索、書籍、新聞や雑誌など、あらゆる情報媒体にアクセスしても得ることが難しい。
誰が見ても、何か超常的な力が作用しているとしか思えない(七玉子市には<かみさま>がいて、<エッグ>と<クリーチャー>が存在し、死者復活の奇蹟が当たり前に行われているのだから、徹底した情報操作が不可能だと決めつけることはできない)。
事実、情報操作をなす<かみさま>の不可思議な力は厳然としてあり、作用している。
チュートリアル的な知識は、ゲームのお約束どおり、ひょっとしたら、<エッグ>から孵化した<クリーチャー>が、一通り教えてくれるのかもしれなかったが、<エッグ>が孵化する前から気をつけておくべきことが、必ずあるに違いない(というか、間違いなくある)。
それにどのような事柄においても、正確な情報というのは、いくらあっても損をするものではない(こちらもまた間違いない)。
動くなら早い方がいいのもまた然りだ。
「<エッガー>に会う」
<エッグ>関連の情報なら、<エッガー>に会って、直接訊くのが手っ取り早い。
が、それらもすべて無意味な方便にすぎない(ちなみに方便はサンスクリットでウパーヤという)。
「<エッガー>に会う、って、当ては?」
「当てはある」
そして懸念もある。
「……その当てはひょっとして女の子じゃないでしょうね」
「……もちろん」
女の子だった。
ボーイ・ミーツ・ガール。
女の子に会いたくない男の子はいない(少年が出会った少女に恋をする話ではないのだけれど)。
※
亜子が訪れる少し前、ぼくは昨日の大会で疲れているはずの彼女に、申し訳ないとは思いつつも、電話をかけていた。
しばらく呼び出し音を聞いていた。
とある事情もあって、正直、無視されても仕方がない、と覚悟はしていた。
とある事情とは、すでに去年となった十二月二十五日(クリスマス)、彼女がぼくに告白し、ぼくがそれを断ったことだ。
告白して断られた相手と、積極的に話したいと思う女子は、いないのではなかろうか(ぼくに女子の気持ちがわかろうはずもなかったけれど)。
「もっ、ももも、もしもし!」
だから十コール目に相手が出たときは少々ほっとした。
このチャンスを逃す手はなかった。
ここは勢いに乗って、さらには混乱に乗じて、必要最低限の情報を引き出し、一気呵成に約束をとりつけるしかない。
「私だ」
『わっ、わわわ、わたし?』
「いや、きみじゃない。ぼくだ」
『わっ、わわ、わたしじゃない? きみはぼく? ぼくは鈴木君、だよね?』
「きみは鈴木君ではない。ぼくが鈴木君だ」
『えっ、えええ、じゃっ、じゃあ、わたしはいったい……?」
「じつはぼくの母がぼくの妹を死産した」
『え……』
「そしてぼくの頭の上に<エッグ>が顕現した」
『えっ、えええ、ええええ!』
「それで至急確認したいことがある」
『なっ、ななな、何かな?』
「たしか<スクランブルエッグ>のルール上、不正を働いた<エッガー>と<クリーチャー>は打倒<クエスト>の対象となる」
『そっ、そそそ、そうだよ』
「打倒<クエスト>の対象となった<エッガー>と<クリーチャー>に懸けられる最低懸賞ポイントは?」
『ひっ、ひひひ、一〇〇<エッグポイント>』
「最低でも通常の<デュエル>で相手から奪えるポイントの十倍というわけだ」
『はっ、ははは、はい』
「今日のぼくにはおそらく不可避のイベントが発生して初詣に行かなければならなくなる」
『はっ、はは、はい』
『だから明日ぼくと会ってくれ」
『はっ、は、……はいいいい?』
「快諾ありがとう。時間と場所は任せる。あとでメールしてほしい。では」
『まっ、ままま、待っ――』
通話終了。
※
こうして。
難関のアポ取りはスムーズにクリアしていた。
つぎこそが最難関だった(今回の話の最難関だった)。
「亜子、よく聞いてくれ、明日はきみと一緒にいることはできない」
「は? 何をばかなことを言っているの? ばかなの?」
亜子のツン度が跳ね上がった(いや、ダダ下がった?)。
たとえぼくの言葉を、さらにはぼくの存在を、ばかにされようとも、しかしここで引き下がるわけにはいかなかった。
情報操作をなす<かみさま>の不可思議な力の作用のうちのひとつは、<エッガー>ではない他者に、その者が知り得ない情報を伝えようとしたとき、かつ、<エッガー>が誰にも伝えてはいけない情報を誰かに伝えようとしたとき、伝え手は言葉が出せなくなるというものだ(しかし真実は、伝え手の言葉を聞き手が認識できなくなる、というものなので、たとえ亜子がついてきても、亜子のみ情報が聞けないだけで、じつはぼくの情報収集にはなんの支障もなかったのだけれどが、このときのぼくはそれを正確に把握できていなかった。「だから嘘をついてまで、ふたりきりで女の子に会う邪魔をされたくなかった、わけでは決してないので、冷静な目改め冷徹な目でぼくを見るのはやめてほしい、二葉」「……信じましょう」「ほっ」「……ほっ?」「こほん!」)。
「亜子もわかってると思うけど、公式情報以外の<エッグ>関連の情報は、一般には<かみさま>によって意図的に規制されている。<エッガー>以外の一般人がいると、たとえほかの<エッガー>に会えたとしても、情報を聞くことができないんだ」
理をもって説いてみた。
「だから?」
すげない返事が返ってきた。
「だから、きみが一緒にいたら、高橋さんも話しにくいところがあるかもしれない」
厳密にいえば、<エッガー>ではない亜子がいたら、高橋さんは言葉が出せずに話せない(と、このときのぼくは思っていた)。
より厳密にいえば、たとえ亜子が<エッガー>であったとしても、亜子の威圧感に圧倒されて、 高橋さんは言葉が出せずに話せない、かもしれない(と、このときのぼくは思っていた)。
「へー、明日は高橋さんに会うんだ。昨日の<スクランブルエッグ>優勝者の高橋さんに。わたしたちの同級生の高橋さんに――」
「良案だろ?」
「去年のクリスマス、ひーくんに告白した、高橋希世さんに!」
やはり知っていたか。
いや見ていたか。
それとも聞いていたのか。
(ここで、亜子に黙って高橋さんに会いに行けばよかったのでは、と思う人もいるかもしれないけれど、それは間違っている。何も告げずに会いに行き、その跡をつけられ、情報を提供してもらっているときに闖入されては困るのだ。亜子のストーキング、もといスニーキングスキルを、決してなめてはいけないことを理解してほしい)
「いいわ、ちょっと待ってなさいよね」
「ちょっと待ってなさいって……」
「要するに、わたしも<エッガー>だったら、一緒に行ってもいいってことでしょう」
「まあ、そうだが……」
「お正月で都合がよかったわ」
「都合がいいって……」
「いま本家、すなわち、うちに親族が一堂に会しているわ」
「…………」
「いまからそこに戻って、三親等以内の親戚を片っ端から殺してくるから。公式情報だと、<エッグ>が顕現するのは、三親等以内の血族が死んだ直後なんでしょ。大丈夫、明日には充分間に合うわ」
「…………」
……………………。
………………………………。
昨日も、そしてさきほども危惧していたヤンデレルートに、いままさに突入しようとしていた(ツンデレバージョンとヤンデレバージョン、一日二キャラとは――お正月だけに大盤振る舞いなことだ。まさかお年玉のつもりだった?)。顕現確率をものともしないところは、さすが選民、女王様型(?)そのものだったが、亜子の変幻自在のヒロインキャラが、入ってはいけない領域へ踏み入ろうとしていた(初等部六年十二月三十一日のベースキャラだった、ただのデレバージョン亜子よ、カムバック)。
「そんなことしたら、ぼくに嫌われるかも、とか考えないのか?」
情に訴えかけてみた。
嫌うわけないのだが。
「考えないわ」
どうか、そう言い切れるだけの自信や信頼を、別ベクトルにも向けてほしかった。
「もし、もしも、よしんば、仮に、ガリガリ君が五回連続で当たる確率で、ひーくんがわたしのことを嫌いになったなら――」
これでもか、と仮定を重ねて、亜子が続ける(ガリガリ君が五回連続で当たる確率、って。いまにして思えば女王様型(?)のわりにはずいぶん庶民的なたとえだった。女王様型じゃない? ちなみにガリガリ君が五回連続で当たる確率とは、年末ジャンボ宝くじの一等が当たる確率と同じ、つまり一〇〇〇万分の一の確率ということになる)。
「無論、その程度の可能性さえ考慮するには当たらないわけだけれど――」
切実に、そう言い切れるだけの自信や信頼を、別ベクトルにも向けてほしかった。
「ひーくんがわたしのことを嫌いになったなら――」
「なったなら?」
「ときを待たずしてひーくんを殺してわたしも死ぬわ」
怖。
もうだめだった。
理も情も無駄だった。
つまり、無理で無情だった。
何を言っても亜子の心には届かないのか。響かないのか。
もはやおとなしく亜子を連れていくしかない、あるいは高橋さんとの心躍る密会(?)を取りやめるしかない、はたまたこの命を捧げるしかない、と、ぼくがあきらめの境地に立たされたかといえば、決してそんなことはなかった。
不屈なぼくだった(あきらめるなぼく、まだ手はある)。
ぼくは、確定したヤンデレルートをも覆す、最終兵器を使用した。
「言うことを聞いてくれたら一〇〇〇ヒロインポイントを付与する」
※
ヒロインポイントは亜子の生きる目的だった。
※
(以下、経緯を簡単に回想するとこうなる)
――……つまんない
――だったら、あーちゃんは、ぼくのメインヒロインになればいい
――メインヒロイン?
――そうだよ
――どうすれば、ひーくんのメインヒロインになれるの?
――そうだな……じゃあ、一〇〇万ヒロインポイントためたら、あーちゃんはぼくのメインヒロインってことで
――ヒロインポイントはどうすればたまるの?
――ぼくのためにヒロインらしいことをすればいいんだ
――ヒロインらしいことって?
――うーん……じゃあそれはこんどいっしょにべんきょうしよう
――メインヒロインになるとどうなるの?
――どうなるって、うーん……
――じゃあ、あことひーくんが十八歳になるまでに、あこが一〇〇万ヒロインポイントためて、ひーくんのメインヒロインになれたら……
(都合により、以上で回想を終わる。あとはご想像にお任せする)
※
まだ初等部に上がる前、その場の思いつきで口走った(先走った?)ことを、亜子は真剣に達成しようとしている(あらゆるヒロインキャラが混在している人格も、そのための手段として生み出されたものだった)。
おかげでぼくの自分探しの旅(この言い方は痛いだろうか)も、十八歳までという期限を設けることになってしまったわけだが。
とにかく。
いま一度言う。
ヒロインポイントは、亜子の生きる目的のすべて、と言っても過言ではない。
「いいでしょう。明日はひーくんの好きになさい」
効果はてきめんだった。
(ぼくはついに今回の話の最難関をクリアした)
「ただし、今日は一日わたしに付き合ってもらうわよ」
現状、つまり淡く輝く金色の卵を頭に乗せた状態での外出は憚られた。
かといって、いくら正月とはいえ、亜子のヒロインキャラのように、お年玉よろしく、これ以上ヒロインポイントをばらまくのも躊躇われた。少なくとも、ぼくが自分探しの旅(「やっぱり痛い?」「痛いですね」)を終えるまでは、亜子が一〇〇万ヒロインポイントをためてしまわぬように、調整していかねばならなかったからだ。
まあ、それ以外にも、今日出歩くべき理由はあったので、都合がいいといえばよかったわけだが――ご都合主義なわけだが(その都合さえ、ご都合さえ、亜子にはお見通しだったに違いないけれど)。
「わかった」(さっそく昨年の反省を活かし、二回言うのは控えておいた)
ぼくは亜子の要求を呑むことにした。
「わかればよろしい」
「わかったから……」
「なによ」
「ぼくの頭をなでるの、そろそろやめてくれないか」
※
その後、ぼくは亜子に連れられて初詣に行くことになった。
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。一葉様」
元日の今日、黒光りする運転手付き高級車のドアを開けてくれた運転手さんは、やはり亜子の秘書の冴木さんだった。
少し話は逸れるのだが、鮪や鮫、イルカは呼吸のために泳ぎ続ける。渡り鳥は休みなく長距離を飛行する。こうした一部の動物は、泳ぎ続けるため、あるいは飛び続けるために、半球睡眠を行っている。半球睡眠は、右目を閉じて左脳を眠らせ、左目を閉じて右脳を眠らせる、片目を閉じて脳を半分ずつ休ませることで、二十四時間活動を可能にする睡眠方法だ。
亜子はこの半球睡眠を生得している。しかも、片目をつむる必要すらない。ゆえに、昼は学業、夜は社長業などといった超人的スケジュールをこなすことができる。
しかし、超人的といえば、そんな亜子に二十四時間三百六十五日つき従い、身の回りの世話から仕事の補佐までの一切を取り仕切る冴木さんも、また超人的だった。
「スーツ姿が今日も決まってますね」
「わたしの振袖姿は適当だったのに」
根にもっているとは。亜子の機嫌は悪かった。
「冴木さんもうちに入ってくれればよかったのに。そして、亜子が作ってくれた美味しすぎるおせちを一緒に食べればよかったのに」
「…………」
「さすがは一葉様。お嬢様のことをよく心得ていらっしゃる。お気遣いありがとうございます。ですが車を放置しておくわけにもまいりませんでしたので」
これはぼくの気遣いが足りなかったか。病院へと赴いた父さんはしばらく帰ってこないはず。うちの駐車場に車を駐めてもらえばよかった。
とはいえ、そうすれば、冴木さんの貴重な休息時間を奪ってしまう結果になったかもしれない。と思えば、余計なことをせずにすんだのだと、納得すべきかもしれなかった。
以前、「冴木さんはいつ休んでいるのですか」と訊いてみたら、「お嬢様のお側に、いられないときに」との返答だった。力強く発言された「いられない」というあたりに、冴木さんの忠誠心を超えた執念のようなものがうかがえて、慄いたものだ。
「ふーん……わたしとふたりきりはそんなにいやだったというわけね」
それにしても亜子の機嫌はすこぶる悪かった。不機嫌モードだった。
ぼくと亜子が乗り込むと、冴木さんの運転で、車は静かに発進した。
※
初詣会場の近くで、ぼくと亜子は車を降りた。
「見て、すごい、人がゴミのようね」
ツンデレバージョンからのヤンデレバージョン、ヤンデレバージョンからの高飛車バージョンだった(お年玉まだあったんだ)。
「きみは天空の城の大佐か」
石段の上から人を蹴落とさないよう、切に願いたかった。
「間違えたわ。見て、すごい人混みのようね」
ともあれ。
新年早々ということで、道は渋滞し、人で混雑していた。
ぼくは、母さんが死産したこともあり、一応は喪中を意識した言動を心がけていた。よって神社への参拝は避け、亜子と露店を巡り歩いた。
※
「『虎が猫になる味』という露店で買ってきた」
「小一時間前のわたしみたいな虎ね」
「ツンデレが自分のことツンデレだと認めていいのか」
「いまのわたしは高飛車バージョンだから無問題、よ」
いやいや。いま、高飛車が自分のこと高飛車だと認めたわけだが。それで本当に無問題なのか。しかし(間接的とはいえ)原因が、昔のぼくの発言にあった以上、もっとアイデンティティーを大切にして、と言うのも憚られた。
「それでこれは何?」
「シャーピン」
「へえ」
餡餅。もちもちした厚い皮で、ひき肉と野菜の入った餡を包み、こんがりと表面を焼いた餃子のような食べ物だった。
「シャンパンに合いそうな食べ物ね」
高飛車といえばお嬢様、ということで、ビールに合いそうと言わなかったあたりがお嬢様だったのだろうか、微妙なところではある。
「ドン・ペリニヨンならば売っていた」
一杯三〇〇〇円だった。
「ではさっそく買ってきてちょうだい」
迷いなく宣うところは間違いなくお嬢様だった。
「お酒は二十歳になってから」
念のため言っておいた。
※
それを見て、亜子は微かに眉をひそめた。
「キャンドルボーイ。円筒形をした体に、いぼ足をもった蝶や蛾の幼虫のような見た目をした、餅で巻かれたフランクフルトだ」
「いもむしみたいな見た目でよくはなくて? まあどちらにせよ、食欲をそそられる見た目ではないけれど……」
しかし美味かった。
外はもちもち香ばしく、中のウィンナーはジューシーで、砂糖醤油のたれ(ほかに、生姜醤油、チリソース、ケチャップ、マヨネーズ、ゴマみそといった味があった)がよくマッチしていた。
※
「さっきからこんなのばかりね。わざとなの?」
見た目が不味いものとしては、たいやきパフェもぜひ挙げておきたい。
「なんかゲロいわね」
たいやきの大きく開かれた口から、ぎゅうぎゅうにつめ込まれた生クリームと、小さく切られたイチゴがはみ出していた。
「お嬢様」
「あら失礼。グロい、もとい、奇怪な見た目ね」
さりとてこちらも美味だった。
※
ここまでに紹介した食べ物、その他たこ焼きやベビーカステラなどのすべての食べ物において、亜子に「あーんして」をしてあげる(できればしてほしいところではあったけれど)イベントが発生した。焼きそばは普段食べるものの何倍も美味しく感じた(世間では、露店といえばお好み焼き派と焼きそば派に分かれるらしいのだけれど、我々の間にその議論はもち上がらなかった)。
(しかしながら、昼には豪華おせちを食し、午後は露店を食べ歩き……いま思い返してみても、いったいどれだけ食べるのかと、成長期の食欲の凄まじさをまざまざと実感させられてしまう)
ちなみに亜子は、射的や輪投げといった遊び系の露店は、すでに卒業していた。かつての亜子は、これらの露店にて、最小の出費で最大の戦果を挙げる、露店荒しと恐れられ、幾人もの露店商が、乾いた大地を涙で濡らした。束ねられた紐を引いて豪華景品を狙う千本引きでは、亜子はお金を支払いをすませるやいなや全部の紐を引っ張り出した。引っ張り出した紐の先には、残念賞とブービー賞しかついておらず、ひと悶着あったのも、もはやよき思い出となっていた。
露店は夢を売り、客はワクワクドキドキを楽しむ。
露店とは、おおむね雰囲気を楽しむものであることを、幼心に学んだものだ。
※
こうしてぼくは、不機嫌な亜子の好感度を上げるため、露店巡りに奔走した。
※
さて。
あるとき相対性理論の意味を訊かれたアインシュタインはこう答えたという。
『熱いストーブの上に手を置くと、一分が一時間に感じられる。でも、きれいな女の子と座っていると、一時間が一分に感じられる。それが、相対性です』
このように、有名な相対性理論を唱えた、かの偉大な理論物理学者・アインシュタインも、女の子が大好きだった、という話ではなくて(実際、最初の妻と離婚し、十八歳年下のいとこの娘を狙うも結婚を嫌がられ、だからいとこと結婚して、ところが再婚後もわかっているだけで六人の女性と関係をもっていた、とかいう、なかなかの女性遍歴をおもちのかたではあるのだけれど)、楽しいと感じる時間はあっという間に過ぎていき、つまらないと思っている時間は長く感じられる、というのは一般的な認識であろう。
このときのぼくらの時間がどのようなスピードで流れていったかについてはさておき。
そんなこんなで。
時刻は夕方に差しかかろうとしていた。
この頃には、亜子の機嫌もだいぶ上向き、ぼくへの好感度もかなり上昇していた。
「それにしても、おかしいものを、おかしい頭の上に乗せた、おかしいひーくんを、みんながおかしがって見ているわね」
…………。
この頃には、亜子の機嫌もだいぶ上向き、ぼくへの好感度もかなり上昇していた、と信じたかったが、どうやらそう簡単にはいかなかったらしい。
それにしても、おかしがって、って。
だけどたしかに、亜子が言うとおり、今日のぼくらは普段以上に、異常に目立っていた。
ただでさえ、常日頃から人目を惹かずにはいられない、愛らしい美貌と容姿と存在感とを兼ね備えた亜子に加えて、ある意味このとき亜子よりも注目を集めるぼくの頭上の(おかしい)物体、といった組み合わせは、当然ながら衆目を集めた。
しかも人の波でごった返す元日の初詣会場である。
ぼくの<エッグ>を、大勢の人が目にしたはずだ。
そっ、と。
ふいに亜子が手をつないできた。
「どうした亜子」
「いいから黙ってついてきなさい」
人目をいまさらながら気にし出したのか(人の視線に慣れっこの亜子に限ってまさかそんなわけがないのだけれど)、突如ぼくの手を引いて足早に歩き始めた亜子は、初詣会場から離れて、どんどん人通りが少ないほうへと進んでいった。振袖用のぽっくりを履いているとは思えない機敏な足運びだった。
途中で横道に入り、幾度か角を曲がった。
ビルとビルの隙間を縫うように進み、人気がまったくなくなると、亜子はくるりと反転して、ぼくのほうを向いた。
じっ、と。
ぼくを見つめる亜子。
このシチュエーションは、まさか。
「お金ないですから許して」
かつてあったといわれている伝説のカツアゲシーンを再現しようと、ぼくはその場でぴょんぴょん跳ねてみた。当たり前に電子マネーが一般化された現在、小銭の音が鳴るわけもなかった。こんな日のために、準備しておくべきだったかと、ちょっとだけ後悔した。
「ジャンプまでされては仕方ないわね。じゃあこちらも期日をジャンプしてあげるわ」
いっそう悪辣だった。
カツアゲではなく闇金の取り立てだと。
闇金から借りたお金の利息分だけを返済することをジャンプという。ジャンプし続けると、利息だけ支払い、元金が減らないので、半永久的に利息だけを支払い続けることになってしまう。
恐ろしいシステムだ。
マイナーなボケに、よりシビアなボケをかぶせてくるとは――亜子恐ろしい子(ちなみにカツアゲもジャンプも昔の漫画から得た知識)。
「そんなつまらない冗談を聞かされるシチュエーションではないわ」
つまらない、とかストレートに言われると、結構傷つくものだ。
が、しかし、まだ本命ネタが残っていた。
真剣な目をして、なおもぼくを見つめてくる亜子。
その瞳は心なしか潤んでいるのか。その顔は赤く、そして熱くなっているのか。
亜子に連れ込まれた、薄暗く細い路地裏ではわかりにくい(そこまで暗くはなかったけれど)。
いざ、推して参る。
「お願い、痛くしないで」
「御社のずさんな業務管理では弊社の事業をこれ以上任せることはできないわ」
「お願い、委託しないで」
他社に。
辛辣だった。
そこをなんとか。
平身低頭しそうになってしまった。
まさか『痛く』を『委託』と読もうとは……アウトソーシングがここまで浸透してしまった現代社会においては致し方のないことなのか。一企業の社長としての一面を垣間見せる亜子だった。
「だけどひーくんの出方によっては考えてあげなくもなくてよ。さあ服を脱ぎなさい。痛いのは最初だけだから……」
「痛いのは最初だけなんて嘘だ」
うまく性的なネタを回避してくれたかと思えば、あっさり軌道修正してきた。さりとて、ネタをふってしまったのはぼくなので、文句を言える立場にはあらず。
それにしても、不機嫌モードの亜子からは、さっぱり主導権が握れなかった。Mじゃないぼくに対して、ぼくのメインヒロインとなるために、そのモードは必要なのかと問いただしたくなる。
それに不機嫌モードのせいで、今日の亜子のキャラが非常にわかりにくくなっていた(いまの亜子は、不機嫌モードな、高飛車お嬢様バージョンの、亜子のはず)。
普段なら髪型や服装で見分けやすく配慮されているわけだが、正月による振袖という特別な装いと、お年玉的キャラ変異の多用が、わかりにくさに拍車をかけている。
(そもそも大事なメインヒロインのキャラクターがこんなにもブレブレで大丈夫なのだろうか、という心配がこのあたりで鎌首をもたげてきたわけだけれど、事実のみ書こうと決めた以上、こればかりはどうしようもない。そして何より、そんな亜子につられて、この物語の主人公たるぼくのキャラさえブレている気がそこはかとなくする。思春期とはそういうお年頃だということで誤魔化しきれるだろうか……)
「二回目だって三回目だって痛い娘は痛い」
ぼくは言った。
(駄目だこいつ…早くなんとかしないと…)
「ところで、わたしの言い方が悪かったのかしら、そんな卑小な冗談を聞かされている状況ではないわ」
ぼくがコートのボタンに手をかけたとき、亜子が前言を言い直した。
卑小って……、つまらない、の同義語ではあるわけだが、蔑みが一段とひどくなったと感じるのは、ぼくの考えすぎか。
いや、着目すべき同義語はそれではなかった。
シチュエーションが状況に変わっていた。
危機的状況といった単語からの連想か、ようやくぼくにも不穏な空気が伝わってきた。
小学生らしからなぬ危険なやりとりをしている場合ではなかった。
ビルとビルの隙間、人気がまったくない薄暗く細い路地裏で、亜子はぼくを見つめているわけではなくて――その視線はぼくを通り越した路地の先に向けられていた。
ぼくの背後、つまりいましがた来た方向。
ぼくが振り返ると、そこに身長二メートルほどの<クリーチャー>が屹立していた。
このシチュエーションは、まさか。
いつからか、どうやらぼくは尾行されていたらしい。
※
この時点からおよそ一年前まで、<スクランブルエッグ>史上最も人気を集めたといわれる<エッグクリーチャー>がいた。
その<クリーチャー>の<エッガー>は、まだあどけない幼子で、いなくなってしまった母親を、この世に呼び戻そうと奮起する健気な姿は、多くのメディアに取り上げられ、世間の同情心をかきたてた。また、そんな幼子を保護し、慈しみ、なんとしてでも死んでしまった母親を幼子のもとに返してやろうと、自己を犠牲にして必死になって戦う<クリーチャー>の姿は、誰もが応援せずにはいられなかった。
そんな<クリーチャー>の外見は、大ブームとなった大きな要因のひとつだ。
父親から、そのものの名前を教えられた幼子が、「テディ」と呼ぶようになる<クリーチャー>は、呼び名が表すとおり、テディベアのぬいぐるみの姿形をしていた。
※
ぼくらの正面に立ち塞がっていたのは、まさにそのテディだった。
否、まさにそのテディのはずがなかった。
なぜなら、テディは一昨年の<スクランブルエッグ>で優勝し、幼子の母親は生き返り、親子三人また幸せに暮らせるようになりました、という、絵本のラストのごとき大団円を迎えたからだ(現に何冊も書籍化がなされている)。
幼子の母親が生き返ったということは、その代償として、テディは生贄となって消滅している、ということになる。
ゆえに本物のテディがぼくらの正面に立ち塞がれるはずがなかった。
では、目の前にいるのは、テディもどき。
いきなり視界に何かが入った。
ぼくの背後から、亜子が何かをテディもどきに投げつけたのだ。
よくは見えなかったが、振袖用のバッグから取り出した、リップクリームのような小物だったのだろう。
それは、微動だにしないテディもどきの頭をヴゥンとすり抜けて、後ろの地面に落ちた。
当たった瞬間、たしかに像が乱れた。
おかげで、目の前のテディもどきは、ホログラフィック・スーツ(略称、ホロスーツ)をまとった何者かであることが確認できた。
ホロスーツは、専用のコンパクトデバイスか、もしくは投射装置の内蔵されたPDから、コスチュームのホログラムを人体に投影して、外見を変化させる技術だ。
この技術は、一般に普及して以来、七玉子市で慢性的に発生している、ある犯罪に悪用されていた。
玉子市で慢性的に発生している、ある犯罪とは、闇討ち・拉致事件だった。
闇討ち・拉致事件の犯人は、標的とする人物を闇討ちする。昏倒スプレーやスタンガンなどを用いて相手の意識を奪い、拉致する。被害者は、性的暴行を受けたり、殺害されたりすることはほとんどなく、数日中に解放される。
ただし、犯行のあった後、被害者たちが必ず失っているものがある。
<エッグ>だ。
被害者はすべて、<エッグ>を顕現している<エッガー>だった。
犯行後、被害を受けた<エッガー>の傍に、<クリーチャー>は現出しておらず、さりとて<エッグ>は失われている。
犯人が、なんらかの目的で、<エッグ>を奪ったのだと考えられる。
しかしながら、亜子がぼくの頭をなでなでするついでにすかすかしていたことからもわかるように、いわば<エッグ>は、接触不可型ホログラム同様、触れられない実体だ。
犯人は、いったいどうやって、<エッガー>から<エッグ>を奪ったのか。
奪った<エッグ>をどうしているのか。
その目的と方法については、<エッグ>関連情報の規制対象となるらしく、<かみさま>の情報操作の作用もあって、<エッガー>ではない一般人が関知することはできない(だけどそれゆえに、この事件が<エッグ>に関わる事象であることが確定的となる。またこのことが、ぼくが公式情報以外の<エッグ>についての詳細知識をもち合わせていなかったにもかかわらず、<エッグ>が孵化する前から気をつけておくべきことがあるに違いない、と確信していた根拠でもある)。
いずれにせよ、七玉子市では、<エッグ>を狙った闇討ち・拉致事件が慢性的に発生していた。そして、犯行を行う者が変装のために利用するのがホロスーツだった。
テディのホロデータが発売されると、それは瞬く間に流行した。テディ人気の最盛期、街はテディのホロスーツをまとった人々で溢れていた。
容姿を隠すため、ホロスーツはうってつけのツールだったが、周囲から浮いたものでは余計に目立ってしまうから、ありふれたものが望ましい。
テディのホロスーツであれば、着ぐるみのように全身を覆い隠すことができて、しかもテディがいる有様が常態化していた街においては、紛れやすく犯行もしやすい。
木の葉を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、テディを隠すならテディの中。
といった具合で、近年の<エッグ>を狙った闇討ち・拉致事件では、テディのホロスーツが頻繁に悪用されるようになり、この頃には、事件は俗に<テディ事件>とも呼ばれるようになっていた。
※
男子が、女子とともに脅威にさらされたとき、どんな物事にも優先させて、やらなければならないことがある。
それをしなければ、ぼくはこの先の人生を、取り返しのつかない後悔を抱えて、生きていかなければならなくなるだろう。
そんな人生まっぴらだ。
そんなわけで。
それをするためにも、まずは落ち着くことが肝要だった。
落ち着いて、冷静沈着に、きたる脅威に対処しなければならない。
助けを呼べば、都合よく誰かがきてくれるだろうか。言うまでもなく、辺りにぼくと亜子、そしてテディもどき以外の人影はなかった。オフィスビルの壁面に並ぶ窓を見ても、外から中の様子はうかがえない作りになっている。であれば、建物が古いということもなく、遮音性のほうもしっかりしているはずだ。念のため上を見上げてみても、ビルに挟まれた空には、何ものの気配も感じることはできなかった。死角となるビルの屋上は言わずもがな確認することが難しい。
どうやらご都合主義的救いの手は差し伸べられそうもなかった。
いや、それこそがご都合主義なのか。
では、ならばこそ、ぼくがやるしかないではないか。
落ち着くためには深呼吸、というのがこういったときのセオリーであろう。
ぼくは息を吐き、それから大きく息を吸い込んで、
「ここ――」
ぞとばかり、少年なら一生に一度は言ってみたい台詞を言ってやろうと、口を大きく開きかけたそのとき、獣のような敏捷さで、亜子が前面に飛び出していた。
…………。
ぼくの見せ場は、見せる前に終わってしまった。
ぼくはこの先の人生を、取り返しのつかない後悔を抱えて、生きていかなければならなくなった。
そんな人生も悪くない(わけない)。
「サマーソルトキック!」
対象との距離を一気につめた亜子は、相手の右手部分を狙って、後方宙返りからの蹴り上げ技を放った。
テディもどきは後方にステップを踏んで亜子の蹴撃を避けた。
重々しい見た目に反して素早い動きだったが、ホロスーツに着ぐるみごとき重みはないから、当然といえば当然か。
路地に着地した亜子は、そのままの勢いでバック転して、相手との間合いをとった。体操選手さながらの美しい動作だった。
「ふん、多少格闘技の心得があるようだけど、大学生のサークルレベルといったところかしら」
蹴撃を避けた身のこなしから、相手の力量を見極めたような発言をする亜子だったが、大学生のサークルレベルとはいえ、通常の小学生からすれば充分脅威的だ。
そう、通常の小学生からすれば。
通常の亜子からすれば、そうではなかった。
亜子が相手の右手部分を狙ったのは、昏倒スプレーやスタンガンといった凶器を警戒してのことだろう。もしもそれらの凶器を所持しているのなら、早めに叩き落としておきたいところだ。
サマーソルトキックといえば、見せ技としての要素が強く、格闘ゲームよろしく有効なダメージを敵に与えることは、現実には難しい技だったが、くまのぬいぐるみの手、といったホログラムに隠されて、相手の正確なリーチが測れない以上、できるだけ間合いをとりながら戦うために、効果的な技であったかもしれない。
「さて、つぎはどの技を出そうかしら」
「…………」
まるで難度の高いコマンドを軽々と入力する熟練ゲーマーのような大物感を漂わす小学生の亜子に、終始押し黙ったまま愛らしい表情をのぞかせる巨体のテディもどき。
そんな両者の睨み合いは、どこかしらシュールな光景だった。
ここからは、亜子とテディもどきによる、怒涛のバトル展開なのか。
バトルものの解説キャラよろしく(そんな人生も悪くない)、それぞれの攻防を説明するためにも、ふたりの一挙手一投足をも見逃すまいと、ぼくが決死の覚悟を決めかけたそのとき、出し抜けの襲撃に怯んだのか、それとも亜子の常人離れした身体能力に恐れをなしたのか、はたまた亜子の発するオーラから己との実力差を悟ったのか、あるいは――。
テディもどきは踵を返して、その場から逃走した。
「待ちなさい!」
逃げ出したテディもどきを、亜子が追いかけようとして一歩踏み出したが、二歩目を踏み出す前に、ぼくは全力でそんな亜子を止めねばならなかった。
「いや、お願いだからきみが待って」
「何を言っているの? ここで奴を取り逃がすつもり?」
それもやむなしだ。
敵が逃走し、脅威が去ったにもかかわらず、まさにいまこのときこそが、一番の危機的状況だった。
今度はぼくが亜子と対峙しなければならなかった。
漢には引いてはいけないときがある。
つまりそれがいまだった。
「まさか、腰が抜けて動けないとか、ふざけたことを抜かすつもりじゃないでしょうね」
腰を抜かしてはいなかったし、ふざけたことを抜かすつもりもなかったが。
たとえぼくの腰が抜けていたとしても、ふざけたことを抜かしたとしても、亜子に文句は言わせない。言わせたくない。よくぞ腰を抜かさなかったな、ふざけたことを抜かさなかったな、と自分で自分を褒めてあげたいくらいだった。
「なぜ無茶をする」
無理をする(無理、というか、理はあったわけだけども、道理はあったわけだけれども)。
「言ったでしょう、ひーくんはわたしが守るよ、と」
少年なら(少女でも)一生に一度は言ってみたい台詞を言われてしまった。
――ひーくんはわたしが守るよ!
高飛車バージョンの亜子がおっしゃるとおり、昨夜デレバージョンの亜子はたしかにそう言った。
あろうことか、こんなにも早く、本当にそんな機会が訪れようとは――よもや千里眼ではあるまいな。
じつは昨夜の電話の、何気ない会話の中で、今日このとき起こることを暗示していたのでは――それとも亜子の灰色の脳細胞が、卓越した洞察力を発揮し、このイベントは予見されていたのか。
まあ、普通に考えれば当然のごとく偶然だろう。
普通に考えれば。
…………。
ともかく。
こんな突拍子もない思いつきをしてしまうほどに、ぼくは混乱していたのだった(危機的状況下にあって、しかし少しでもこの時間を引き延ばしたかったわけでは決してないことだけは、ここにお伝えしておきたい。「二葉、冷徹な目でぼくを見ない」)。
さりとて、いつまでも思索にふけっているわけにもいくまい。
現実から目を逸らしていては何も解決しない。
問題をしっかりと見据えて、冷静に、いや平静に対処しなければ。
逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、
「逃げちゃだめだ」
「もうとっくに逃げちゃったわよ」
たとえ犯人を逃がしても、ぼくは逃げない。
きみを逃がさない。
「確認しておきたいことがある」
ぼくは亜子から目を逸らさずに、地球が三角になっても目を逸らさずに、できるだけ真剣な顔を作ってから言った。
「なによ」
「なぜ人気がまったくない薄暗く細い路地裏にぼくを連れ込んだりした」
いくらホロスーツで姿を隠しているとはいえ、人通りの多い往来で、闇討ち・拉致を決行しようとする輩はいないだろうから、わざわざこんなところに入らなければ、襲われそうになることもなかったはずだ。
「今日デートに付き合ってくれた『ご褒美その一』よ」
ご褒美……何が、どれが、この状況が?
なるほど、『ご褒美その一』とは、つまりは薄暗く細い路地裏にぼくを連れ込んで作ったこの状況のことか。いや、もっと大きく捉えて、この初詣自体が『ご褒美その一』に該当するのだろう。その一ということは――その二その三を、期待してもいいのか? というか、今日のこれは、初詣デートだったのか。
「ちなみに、『ご褒美その二』はもうあげたから」
あれか、それともこれか、いったいどっちだ?
「ありがとう」
いずれにせよ、ぼくを思ってくれての行動であれば、とりあえずはお礼を言わずにはいられなかった。
「感謝なさい」
ではなくて。
ぼくという奴は。
この期に及んでまだ本題を避けようとするのか。
しっかりしなければ。男の子だろ。
改めて、自分自身を奮い起こした。
「ところで六年生の亜子はまだブラをしていないのか」
「は? そんなの見ればわかるでしょう?」
「……なるほど、していないわけがない」
近年女子の発育事情に思いを馳せる。
「ではなぜ、今日は着けていない。パンツさえも穿いていない」
「ばかね。和装のときは普通着けないでしょう? 下着のラインが出てしまうし、見た目が美しくなくなるじゃない」
なるほど、下着のラインは出ていないし、見た目は大変美しかった。
しかし、
しかしてしかし、
「ばかな。そんなセクシーな理論は男の幻想だ。現代には和装用の下着というものがちゃんとあるはず」
その幻想はまだぶち殺されずに、生き残っていたとでもいうのか。
「本格派のわたしは古人にならっているのよ」
ひょっとしてわざとなのか、あるいは言い回しが遠回りしすぎていて、ぼくの本意が伝わらないのか。
もはや紳士的な気遣いを、もとい思春期的な恥も外聞もかなぐり捨てて、ダイレクトアタックを敢行するしかなかった。
「なぜ一糸まとわぬ姿になった」
なぜ全裸になったと言えなかった。
思春期的な恥と外聞を捨て切れなかった。
「今日デートに付き合ってくれた『ご褒美その三』よ」
亜子の全裸は、『ご褒美その三』だった。
では消去法で、『ご褒美その二』が何なのかも見えてくる。
「あと、振袖姿じゃサマーソルトキックが出せなかったでしょう?」
一応の理だった。理屈だった。
「それにぽっくりと足袋を履いているから一糸まとわぬ姿じゃないわ」
さらなる理屈はマニアックだった。
攻撃力を上げる装備として、またスタンガン対策として、絶縁体となる桐のぽっくりは、あえて脱がなかったわけか。ぽっくりを履いてあの動きなら、振袖姿でもサマーソルトキックが出せたのでは、と思わなくもなかったが。
思春期的な恥と外聞を捨て切れなかったばかりに、いらぬ揚げ足をとられてしまった。
「振袖って、あの一瞬で脱げるようなものではないぞ」
揚げ足をとられるばかりでは癪なので、揚げ足をとってやろうと指摘してみた。
「こんなこともあろうかと、一瞬で脱げるように準備しておいたのよ」
「こんなことって、どんなことだ」
「お願い、痛くしないで」
かわいい。
まさかの、痛くしないでネタ、リターンズ。
「この案件は、弊社には荷が重いかと……」
「いくじなし」
なんとでも言え。
「とはいえ、ここはメインヒロインとして、恥じらいを見せる場面なのでは。自ら脱いだにもかかわらず、見ないでよ『この変態っ!』のパターンなのでは」
「どれもこれもそのパターンだからつまらないと思ったのよ」
なんと。
いつの時代も求められるからこその王道パターンではないか。
女子に堂々と裸体を見せつけられて、人はそこに萌えを感じるのか(感じるはずがない。「…………」「そこ、冷酷な目で見ない」)。
ぼくはメインヒロインの育て方を誤ってしまった。
「それに、一緒にお風呂に入ったとき、いつも見てたじゃない」
駄目だこいつ…早くなんとかしないと…。
メインヒロインの修正を強く心に誓うぼくだった。
ともあれ。
ようやくあの台詞を言うときがきた。予定の台詞から二文字変えざるを得ないにしても。そのことで少年なら一生に一度は言ってみたい台詞ではなくなってしまっていたとしても。
漢には引いてはいけないときがある。
つまり(真の)それがいまだった。
ぼくは息を吐き、それから大きく息を吸い込んで、
「ここはぼくに任せてさっさと着て」
「じゃあ着せて」
昔、いざというときのために、振袖の着付け方を、冴木さんから伝授されていて本当によかった。
(当時は、いざというときなんていつ訪れるのかと疑問だったけれど、訪れるときには訪れるものだ、というこのときのことを、のちに感謝とともに冴木さんに話したら、冴木さんの言ういざというときは、どうやらこのようなときではなかったらしく、では真のいざというときがいつ訪れたのかという話を、ぼくのおよそ十七年間の人生のうちに語れる機会が訪れていたとしたなら、いずれ語る日があるかもしれないし、ないかもしれない。そしてもはや何の感情も示さない二葉の視線がただただ痛い)
※
「ちょっと何さわってるの、この変態っ!」
蛇蝎のごときこの言われよう。
さっそく蟻のごとき地を這うぼくの思いが天に通じ、メインヒロイン修正の効力が速攻で発動されたのか――、
「亜子の振袖一式だ」
と思えば、そんなわけがなかった。
亜子が襲撃者を蹴撃するまで立っていた地面一帯には、亜子の振袖一式が無残にも脱ぎ散らかされていた。振袖、伊達衿、長襦袢、帯揚げ、袋帯、帯〆、バッグ、帯枕、帯板、腰紐、三重仮紐、伊達〆、衿芯――と、ぼくはそれらを丁寧に拾い上げた。
それらをつぎつぎと手にとりながら、あの一瞬でいったいどうやってこれらを脱いだのか、いくら考えてみても謎は深まるばかりだった。
「わたしの裸よりも振袖に興奮するなんて、この変態っ! ちょっと、わたしの振袖に顔を押しつけないで、この変態っ! いやっ、匂いを嗅がないで、この変態っ!」
え? やっぱりメインヒロイン修正の効力が速攻で発動されている?
(ちなみにこのとき、亜子の言うようなことは一切していない。信じてほしい。念のため。「…………」「とくにそこのきみ!」)
亜子の裸で興奮しないために、手早く振袖一式を集めることに集中し、亜子の裸から意識を逸らすために、どうでもいい考えを懸命に頭の中で巡らせている青少年の涙ぐましい努力を察してほかった。
ここぞとばかりに『この変態っ!』を連呼してくる亜子だったが、ノーマルなぼくはどうしてもその使い方に違和感を覚えてしまう。
「『この変態っ!』はいいけど、恥じらいを見せる、のあたりはどうした」
メインヒロインの恥じらいを、いったいどこに脱ぎ捨ててきた(ここには振袖一式しか落ちていない)。
「あら、言ってなかったかしら、いまのわたしは高飛車お嬢様バージョン(S)だから無問題よ」
現在の亜子は、『不機嫌モードな、高飛車お嬢様バージョンの、亜子』ではなくて、『高飛車お嬢様バージョン(S)の、亜子』だったのか――派生しすぎるキャラクターを、いよいよ掴み切れなくなってきていた。せめて『(ドS)』には進化しないことを(もしくはBボタンで進化キャンセルが使えることを)願うばかりだ。
口に手を当てて、おほほ、と笑う亜子に、
「どうかその手は別の場所を隠すのに使って」
と。
振袖を拾うままの地に伏した姿勢で、懇願するしかないぼくだった。
※
そうこうしつつも。
空はだいぶ暗くなり、薄暗い路地裏には、いつしかほのかな街灯が灯り、亜子の裸体を美しく照らし出していた。街中で、生まれたままの美少女を、朧気な燈が映す。それはもちろん非現実的であり、どこか幻想的な情景だった――。
などと感慨にひたっている場合ではなかった。
いまは人気がないとはいえ、いつ人通りがあるやもしれない。それに日が暮れて、季節外れの陽気も去って、気温はぐんと下がっている。
いつまでも亜子を裸のままにしておくわけにはいかず、振袖の着付けを、可能な限り亜子の素肌にふれないよう慎重に、しかしときに大胆に(いつまでも亜子を裸のままにしておくわけにはいかないので、『ちょっとどこさわってるの、この変態っ!』のやりとりは省略する)、かつ迅速に、つつがなく完了させた。
その後、着付けを終えた亜子がPDで連絡をとり、迎えにきてくれた冴木さんの運転する車に、大通りで拾ってもらった。
※
車で家まで送ってもらった。
車を降りるとき、お昼亜子が持参してきたのと同じ包みを、冴木さんが渡してくれた。
「よろしければ召し上がってください」
ぼくと亜子が露店巡りをしている合間、冴木さんは一度屋敷へと戻り、この包みをもってきてくれたのだった。であれば、今度は本当の佐藤家お抱えシェフが、この包みの中身を作ってくれたのだろう。
「ありがとうございます」
さすがは冴木さん、そつがない人だった。
「ありがとう」
それからぼくは、隣でそっぽを向いている亜子にもお礼を言った。言わずもがな、この心配りは亜子の指示によるものだからだ。
「亜子はいいお嫁さんになれる」
ありとあらゆる理由において。
「…………」
わかりきったことだが、顔を逸らしたままの亜子からは、何の反応も返ってはこない。
このときのぼくらは、また明日、といった意味の、いつもの別れの挨拶を交わすこともなかった。
それが、どうしてもやむにやまれぬ事情があって、ぼくと亜子がつぎの日会えない場合に行われる(行われない)、儀式のようなものだった。
※
いつぞやのある一時期、亜子はぼくと離れるのを嫌がるあまり、別れ際には泣き叫び、嵐のごとく荒れ狂い、誰にも手がつけられず、周囲に甚大なる被害をもたらしていた。
プラトンの著作『饗宴』のなかで、喜劇詩人のアリストパネスが、人間の起源について語るくだりがある。
そこで語られる、アンドロギュノスという古代最初の人間は、ふたつの頭と四本の手をもっていて、ちょうど現在の人間を、背中合わせにくっつけた形をしていたというが、ぼくと亜子はこのアンドロギュノスのように、そんなある一時期をぴったり離れず、ともに生活していたそうだ。
そうだ、と伝聞で表すのは、ぼくがそのときのことを、ほとんど覚えていなかったから。
そのときの記憶ではないか、と思しき断片を感じられることはあっても、はっきりと思い出すことはできない。記憶の断片は曖昧模糊としていて、それが真に現実の体験だったのか、あるいは夢とも呼ぶべきものだったのか、判別できない。
ちなみに、ギリシャ神話に由来されるこのアンドロギュノスは、強い力をもち、神をも恐れぬ不遜な輩だったらしく、叛乱を企てては神々を困らせていた。よって大神ゼウスは、アンドロギュノスのからだを真っ二つに両断した。
以来、二つに裂かれた人間は、分かれた半身を求め合って恋をするのだという。
どのような神が、どのような罪で、ぼくと亜子を分離したのかは知らないが、いつしかぼくらはそれぞれの家庭で、それぞれの暮らしをするようになった。
それでも亜子は、一日一回はぼくに会わないと我慢がならないようで、余程のことがない限り、それは毎日実行されていた。
※
明日会えないことに対する不満を、無言で示す亜子の態度は、その頃の名残からきているのかもしれなかった。
※
とかなんとかとにもかくにも。
ぼくは亜子を乗せた高級車が走り去っていくのを見送った。
※
友達だけど言わなければわからない。親友なら言わなくてもわかる。
では言わないからこそわかる間柄は、どんな関係と言えるだろうか。
※
ところで、昨夜とは違い、今日の亜子はぼくの妹の話を一切しなかった。千里眼ならぬ卓越した洞察力で、ぼくの妹の死を察していたからだろう。
だが、亜子がそのことに触れなかったのは、ぼくに対する心遣いから、というわけではなくて、ぼくが妹の死について、なんの感情も抱いていないことを、十全に理解していたからだった。
まだ見たこともなければ、声をかけたこともなく、触れたこともない妹の死に、実感がわかなかった、とでもいってしまえば、それまでだったのかもしれないが。
※
「おかえり」
「ただいま」
家に入ると、憔悴し切った顔の父さんが、リビングでぼくの帰りを待っていた。
<テディ事件>について注意を受けていたにもかかわらず、外出した(父さんにはあえて言わなかったわけだけれど、しかも現に事件に遭遇した)ことをとがめられるかと思ったが、そんな余裕はとてもなさそうだった。
せっかくなので、冴木さんが渡してくれたおせちをテーブルの上に広げた。
それでようやく父さんは、いまが夕食の時間であることにも、夕食をどうしようか考えていなかったことにも、気がついたみたいだった。
「すまんな。今度佐藤さんのところにお礼をしに行かなくちゃな……うん、美味い」
言いつつも、父さんは僅かしかおせちに手をつけなかった。
しかしながら、亜子の家のお抱えシェフが作ってくれたおせちは、お昼に食べたものと同じ味がしてとても美味しかった。あるいは、お昼に食べたおせちが、夕食で食べているおせちと同じ味がしてとても美味しかった、と評したほうがより正確だろう。まったく驚異的な味の再現だった。
「<エッグ>のこと、母さんと話した」
ややあって、父さんがそう切り出した。
「父さんも、母さんも、二葉を生き返らせなくていい」
話はそれだけだった。
今日の夕食時、ぼくと父さんがテーブルで向かい合っていた時間は、それほど長くはなかった。
※
両親の本当の気持ちは、正直ぼくにはわからなかった。
親ならば、自分の命を犠牲にしても、死んだ我が子を生き返らせたいと願うかもしれない。
だけど、たとえほかの命を犠牲にしても、死んだ我が子を生き返らせたいと願うだろうか。
それが、蟻や蚊や蠅やゴキブリなら。
それが、鶏や豚や牛なら。
それが、猫や犬なら。
それが、<エッグクリーチャー>なら。
父さんと母さんは、本当は、ぼくに<スクランブルエッグ>で優勝して、妹を生き返らせてほしいと願っていたのだろうか。生き返らせなくていい、と言ったあの言葉は、はたして本心だったのか。
それが、ぼくにはわからなかった。
しかし、わかっていたこともある。
本当の気持ちはどうあれ、父さんと母さんは、大切な誰かを生き返らせたいほかの<エッガー>とぼくを、争わせたくなかった。たとえ死んだ子供を生き返らせるためにでも、ぼくにほかの命を奪わせたくなかったのではないか。
それが<エッグクリーチャー>という不確かな生命で、本当に命なのかどうかもわからない存在であったとしても。
戦って、犠牲にして、生贄に捧げて。
殺させたくなかったのだと思う。
ではここで思いを馳せるべきは。
親ならば、自分の子供にほかの命を犠牲にさせても、死んだ我が子を生き返らせたいと願うだろうか。
我が子を生き返らせたい、我が子に殺させたくない。
双方ともに本心だったのかもしれない。
人間は、害虫を駆除し、家畜を食べ、ペットを弄ぶのに、こうしたことで思い悩んだりもする。
道端で蟻の大群に運ばれていく蝉の死骸を見かけたら、蟻たちから蝉の死骸を取り上げて、土に埋めてお墓を作ろうとする人がいるだろうか。
公園で猫の死骸を見つけたらお墓を作ろうとする人がいるかもしれない。そんな人も、お墓に備える草花を平気な顔で引きちぎって殺す。
ぼくは、ぼくにとっての人間が、蟻や蚊や蠅やゴキブリ、鶏や豚や牛、猫や犬、<エッグクリーチャー>となんら変わらないことに気づいている。
人間は、人間にとってのぼくが、蟻や蚊や蠅やゴキブリ、鶏や豚や牛、猫や犬、<エッグクリーチャー>となんら変わらないことに気づいていない。
たとえば。
脳が九個あり、心臓が三個ある蛸を、人間が観察するように。
生後五年で雄から雌に性転換する甘えびを、人間が観察するように。
交尾中に雄の蟷螂を食べる雌の蟷螂を、人間が観察するように。
ぼくを想う父さんと母さんを、ぼくは観察する。
だけど。
父さんと母さんは、ぼくと同じようにはぼくを観察しない。
ぼくが人間を観察するようには、人間はぼくを観察しない。
もし、父さんと母さんが、ぼくが妹を殺したのだと理解したなら、いったいぼくをどうしたいと思うだろうか。
ぼくは、妊娠中の母さんの食事に、ちょっとずつ、胎児の毒となるようなものを混ぜたりはしていない。
だけど、ぼくは<かみさま>に会いたいと願い、<エッグ>を望んだ。そのために母さんはぼくの妹を妊娠して死産した。
この両者に違いがないことを、父さんと母さんは理解できるだろうか。
後者が現実だということを、はたして人は理解できるのだろうか。
※
<備考として>
初等部六年 一月一日 合計一五三四ヒロインポイント 亜子に付与する。
また一日を終え、自分の部屋に戻ったぼくは、読みかけだった本の続きを読みながら、なんとなく思考を巡らせて、つぎの日が訪れるのを待った。
<忘れそうな伏線メモ>
・ぼくを襲ったテディもどきの正体は?(その正体はこの話のラストにて明かされる!)
・亜子の千里眼(本物? それともただの洞察力?)
・亜子の『ご褒美その一』は、状況作りのための初詣デート(次章解説予
定)
・亜子の『ご褒美その二』は、何のこと?(次章回収予定)
・亜子の『ご褒美その三』は、全裸(もちろんご褒美に違いない)
・亜子の『ご褒美その四』以降のご褒美が存在する可能性について(さすがにねだりすぎ? ご都合主義的にすぎるか?)
・ぼくを襲ったテディもどきの正体は?(『ご褒美その二』にそのヒントは隠されている)
(つづく)
※読んでいただきありがとうございました。
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