第1部 第1巻
プロローグ
高等部二年 三月某日
――春休み、ぼくと二葉と――
初等部に上がる前から、ぼくが付与し、亜子がこつこつためてきたヒロインポイントも、あと一年ほどで約束の一〇〇万ポイントに達しそうだ。
そんなこともあって、高等部三年生になろうとしている、いまを機に、あの頃の出来事を文章にしてまとめてみようと思い立った。
十八歳になるまでおよそ一年、その間にどれだけ書けるのかはわからないけれど。
しかしながら、思い立ってはみたものの、ぼくはまとまった文章というものを、これまでほとんど書いたことがなかった。
夏休みの読書感想文に、課題レポート、せいぜい二〇〇〇文字といったところか。
何をどうやって書けばいいのか。
いったいどこから書き出せばよいのか。
「どうしよう二葉」
「好きに始めてください」
では、ぼく、 鈴木一葉が生まれたのは七玉子市、某年四月一日、
「兄さん、ちょっと待ってください」
「なんだよ、二葉」
「まさか、兄さんが生まれたときからスタートする気ですか?」
「そのつもりだが」
「やめてください」
生まれたばかりのぼくは、「玉のような赤ん坊」で、病院の看護師さんたちからは、「まるで天使のような赤ちゃんですね」と、賞賛の声が上がったという。
「いまでも母さんはたまにその話をもち出すんだよな。『昔はあんなにかわいかったのに』ってさ」
ちなみに、生まれたばかりの亜子は、「至玉のような赤ん坊」で、病院の看護師さんたちからは、「まるで美神のような赤ちゃんですね」と、賛美の嵐が巻き起こったという。
生まれた瞬間から、全国名字ランキングが示すのと同様に、一番の佐藤亜子、二番の鈴木一葉の座は――一番と二番の間には鯨と鰯ほどの差があるにせよ――確固として確定していた。
「国語辞典にも載っていない『至玉』という新たな言葉を、生まれた瞬間に創造してしまうところに、亜子という存在の凄まじさが表れてるだろ? ところで鯨と鰯どっちが好き?」
「鰯です。そこは言われなければ誰も気づかないと思います。それに、珠玉の誤用からか、『至玉』という言葉は、亜子さんが生まれた時点で、すでに一部では使用されています。有名な狩りゲーの素材アイテムにもありますよ、『至玉』」
「では、『絶玉』のような赤ん坊、とでもしておこうか」
「プレイユーザーにしか伝わらない比喩はやめてください。あと、『やめてください』と言ったわたしの制止の台詞に一文も触れず、先へ進めないでください」
細かい奴だった。
「じゃあスタートはやはり祖父の代から始めろと?」
「紙幅の無駄です」
にべもない。
「読み手の身にもなってください。とくにプロローグは端的に、人の興味をそそる、おもしろいことを。伏線を張れればなおのことよし、だそうです」
「それじゃあ赤ん坊のぼくを、父さんが風呂に入れようとして湯船に落とし、そのトラウマからか、長らく水に顔をつけることさえままならず、激烈な特訓によって泳げるまでに至った幼少時代のエピソードなんかも不要だと?」
「個人的にはそのエピソードにいささかの興味を覚えますが、今回は不要かと」
「ぼくの水着イベントだよ?」
「……需要はあるんですか?」
「美少女キャラを追加してなんとかする」
「なんとかせず事実のみ書いてください」
「時空を超えた兄妹愛も追加するから」
「…………、事実のみ書いてください」
ものを書くとは難しい。
ぼくの執筆活動は、早くも暗礁に乗り上げようとしていた。
「やれやれ」
いまの「やれやれ」はぼくではない。
「やれやれですね」
「なぜ重ねて言った?」
「大事なことかと」
やれやれ。
「それでは、兄さんが、なぜ<エッグ>を求めたか、その動機などを語ってみてはいかがでしょうか?」
「動機、か……じゃあお言葉に甘えて語ってみようかな。さて、物語の主人公は自分が物語の主人公であることを疑問に思ったりはしないのかな?」
たとえば、
「行く先々で事件に遭遇する名探偵とか、窮地に立たされた主人公がいきなり隠されていた力に覚醒してピンチを切り抜ける、みたいな。都合のいいやられ役や助っ人の登場とか。物語を読んでいて、いかにもご都合主義だなあ、って思うことはない? 主人公を大好きな幼なじみやかわいいクラスメイト、その他大勢いろんな女の子が主人公のことを好きになったり、奪い合ったりのハーレム展開とか。絶望の淵に立たされていた主人公がラストで無理やりハッピーエンドを迎えたり、死んだはずの仲間がじつは生きていて助けにきたり。まあ読者の立場からしたら、おもしろければそれでもいいかな、って思ったりしない? 逆にバッドエンドでも、作者の嗜好なんだろうな、って感じることとか。出版社の都合の場合もあるのかもしれないけれど、とにかく、読者からしたら、おもしろくて、感動できて、後味が悪くても、まあ呑み込んだり吐き出したりして、それでいいかなって、なんとなく思ったりしない? でもさ、当の物語の主人公は、そういうの、いったいどう思うんだろうね。世界が自分を中心に廻ってるっていう感覚。疑問に思ったり、誰かに訊いてみたいとか、思ったりしないのかな?」
ぼくという存在は、ぼくという存在と結びつく人々は、ぼくという存在の周辺を構成する世界は、誰かの都合で生み出され、誰かの都合で作られ、誰かの都合で動いている。
世界はぼくを中心に廻っている。
なぜ世界はぼくを中心に廻っているのか。
ぼくは誰の都合で生み出され、ぼくの周りは誰の都合で作られ、ぼくは誰の都合で動いているのか。
「ぼくはぼくが何者であるのかを知りたかった。だから<かみさま>に会いたかった。<かみさま>ならそれをぼくに教えてくれると思ったからだ」
「自分探しの旅というやつですか。痛いですね。痛々しいですね。思春期に見られる自己愛に満ちた痛々々しい空想ですね」
ばっさりだった。
はっきりとは言わないところにやさしさを感じるべきなのか?
いっそ「それは中二病ですね」とはっきり言ってほしかった。
「それは中二病ですね」
もう遅いわ!
「そんな兄さんには、この言葉を送りましょう。『自分だけ特別』なんて思うのは子供かイカレた大人だけだぜ」
「またぼくの漫画を勝手に読んだな」
「ってまぁガキか」
「ぼくの中二病を強く肯定しないで」
「高校生といえばもう大人でしたね」
「ぼくをイカレた大人にしないで!」
「兄さんのものはわたしのもの、わたしのものもわたしのものな」
ジャイアニズム!
「そしてまたしてもぼくの漫画を勝手に読んでるし」
「いえアニメです」
漫画コレクションのほうじゃなくてアニメコレクション!
「またぼくのアニメを勝手に見たな」
「見られたのが『ただ』の『アニメ』でよかったですね」
き、きみは、いったいぼくのなにを知っている?
「あんなマニアックな趣味を……本当に開示してしまってもいいんですか?」
根も葉もないでたらめだ!
根も葉もないでららめだ、けど――。
もうやめてください。
「だけど<エッグ>にかかわるすべての事象が、神がかった奇蹟、としか言いようのない現象であることは、きみも認めないわけにはいかないはずだ」
「それには同意します」
初等部六年に上がったばかりの四月、ぼくは<かみさま>に会おうと決めた。それまでだって漠然と考えてはいたことだった。だけど、<かみさま>に会おうという決意を、厳然と固定したのは、そのときが初めてだったように思う。
なぜそのときだったのか、理由を述べることはできない。
なぜならぼくにもわからないから。
まさに誰かの都合だったのかもしれない、としかぼくには答えようがない。
それこそ、神のみぞ知る、というやつなのかもしれない。
<かみさま>のみぞ知る、というやつなのかもしれない。
しいて挙げるとすれば、その年のクラスメイトに<エッガー>がいたことがあるのかもしれない。
しかしそれさえも、ぼくが<かみさま>に会う後押しをするためのお膳立てだったと仮定するならば、ぼくはその仮定を否定する根拠をもたない。
「だから、ぼくの世界はご都合主義で、ぼくを中心に廻っている云々については、真正なのか、それともぼくの空想なのか、きみたちがそのときどきで判断してくれればいい。これから、語り部であるぼくは、主人公であるぼくの物語を語っていくわけだけど、この話の全体としての要点は、主人公であるぼくが、主人公であるぼくの物語を、主人公であるぼくの紡いでいる物語ではないんじゃないか、と疑っているところにある。要するに、主人公であるぼくは、ぼくの人生が別の誰かのものであって、神の敷いたレールの上をただひたすらに歩かされているだけなんじゃないか、神の作った舞台の上でただただ踊らされているだけなんじゃないか、という疑問を抱いている。そしてそんな自分が何者なのか、確かめたいと思っている。きみたちも大いにぼくの話を疑ってほしい」
「ややこしいですね。もしも『きみたち』が、ここにいる聞き手ではなく、読者を指しての呼びかけならば、はたして読み手がいるかどうか、心配になりますね。人の興味をそそっているか、おもしろいことを書いているか、不安になりますね」
手厳しかった。
「どうせ誰も読んでくれないさ」
いじけてみた。
「少なくとも、ここに聞き手はいます。何があろうと最後までお付き合いします」
やさしかった。
故意に対象者の気分を落としてから上げて、自らの好感度を上げる策略だったか。
「ばれましたか」
「やはりそうか」
そう簡単にぼくを落とさせたりはしないんだからね!
「じつは、最後まで完成させられず、途中で挫折すると踏んでいますが」
「ぼくを簡単に落とさないで」
とにかく。
初等部六年の四月に、ぼくは<かみさま>に会おうと決めて、四月が終わる頃には、ひとりの女子と親しくなった。それからしばらくして、母さんが妊娠したことが判明する――父さんも母さんも大喜びだった。
今回の話は、初等部最後の大晦日の夜から始まる。
「そろそろプロローグは終わりですか? おもしろさはもはやどうにもなりませんが、伏線はどうしましょう?」
「お願いだからこれ以上ぼくを落とさないで……伏線、伏線、伏線……何かいい伏線はないだろうか?」
「人任せですか?」
「猫の手だって借りたい」
「そうですね……それではこんなクイズはいかがですか。わたしは<エッグクリーチャー>の二葉でしょうか、それとも、生き返った人間の二葉でしょうか?」
「きみはぼくのかわいい妹の二葉だよ」
「みゃあ」
(つづく)
※読んでいただきありがとうございました。
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