狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『名人伝/中島敦』です。
中島敦 さんの『名人伝』は文字数7500字ほどの短編小説です。
とにかくまずはおもしろかった!
『BLEACH』(ブリーチ)や『HUNTER×HUNTER』(ハンター×ハンター)など少年漫画的な王道パターンはやっぱり燃える!
「リドル・ストーリー」や「信頼できない語り手」など創作をする上では学ぶところが多い作品。おすすめです。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
戦国時代の中国。趙の都、邯鄲に紀昌という男がいた。紀昌は天下一の弓の名人になろうと志を立て、当代一の弓の名手・飛衛に弟子入りしようとその門を叩く。
まず飛衛は「瞬きせざること」を学べ、と紀昌に命じる。紀昌は、妻の機織台の下に潜り込んで、二年の歳月を過ごし、「瞬きせざること」を体得する。
つぎに飛衛は「視ることを学べ」と言う。紀昌は、虱を睨み暮らすこと三年、馬が山と見え、虱の心臓を矢で射貫くほどの視力を手に入れる。
いよいよ飛衛は、紀昌に射術の奥儀秘伝を伝授する。二か月もすると、紀昌の弓の腕は、師から学び取るべき何ものも無い域に達する。
天下一の弓の名人になるには、師を除かねばならない――と思い詰めるようになった紀昌は、飛衛に矢を放つも、咄嗟に応じた飛衛の矢が、紀昌の矢を打ち落とす。互角の戦いに決着はつかず、紀昌は一時の感情に支配され、師に矢を向けたことを後悔し、飛衛は危機を脱した安堵と己が技量に満足し、弟子の暴挙を許した。
涙を流し、固く抱き合いながらも、飛衛は心中、「再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危い」と、自己の保身を模索する。そして紀昌に新たな目標を与えることにする。
師の最後の教えに従い、紀昌は西の嶮、霍山の頂に住む甘蠅老師を尋ねる。甘蠅老師は、百歳を超える柔和な老人だった。早速自分の腕前を披露する紀昌に、甘蠅老師は、「『射之射』を知るも『不射之射』を知らぬ」と言う。
ムッとする紀昌を、絶壁の石の上に導き、さっきの技をいま一度見せてくれぬか、と言う甘蠅老師。引っ込みのつかない紀昌は、石の上に乗り、弓に矢をつがえようとするも、グラリと石が揺れ――小石が崖下に転がり落ちるのを見て、脚の震えが止まらなくなる。
甘蠅老師はその様子を笑いながら、つぎは自分が石の上に立つ。しかし弓矢を持っていない――ちょうどそのとき、二人の真上を一羽の鳶が悠々と舞う。甘蠅老師は、その鳶に狙いを定め、弓を射るポーズをとると、鳶は羽ばたきもせず落ちていく。
それから九年間、紀昌は甘蠅老師の下で修業を積み、下山した。都に帰ってきた紀昌の顔つきは、以前の負けず嫌いな精悍なものから、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っており、人々を驚かせた。その顔を一目見たかつての師・飛衛は、紀昌こそ自分たちが足元にも及ぶことのできない、天下一の名人であると称えた。
その後、紀昌は四十年を生き、煙のように静かにこの世を去った。その間、弓矢を持つことはおろか、射を口にすることさえなかった。それでも彼の名声が衰えることはなかった。
しかし奇妙な話が一つある。
紀昌がこの世を去る十二年前、知人のもとに招かれて行ったときのこと。その家で一つの器具を見た紀昌が、その名前をどうしても思い出せないという。紀昌を招いた家の主人は、はじめ客が冗談を言っているのだと思った。だが、紀昌が三度同じ問いを繰り返すに至り、それが真実であることを悟る。
その器具こそは弓だった。
狐人的読書感想
さて、いかがでしたでしょうか。
まず言いたいのは「おもしろい!」ということ。
この作品を一言で表すならば「名人の一代記」となるのでしょうか? 『〇〇伝』というと、僕は、北方謙三 さんの『水滸伝』や西尾維新 さんの『悲鳴伝』などを思い浮かべて、タイトルからは、弥が上にも期待させられてしまうのですが、『名人伝』は短編小説ながらも、これらに負けずとも劣らないおもしろい小説でした。
おすすめです。
修業を積み、強くなり、強大な敵に立ち向かっていく――少年漫画の王道パターンを彷彿とさせる物語(強大な敵は現れませんが……しいて挙げるなら師?)は、やはり熱くさせられるものがあります。
しかしながら、一言では語り尽くせぬ奥深さが、この作品にはあって、「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になったのか?」、研究者の間でも見解が分かれているところからして、そのことが実感できます。
ここからは『名人伝』を読んで、僕が思ったこと、考えたこと、調べたことを順に綴っていきたいと思いますので、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
ストイック紀昌、自己保身飛衛、念能力者甘蠅老師
『名人伝』の主な登場人物は、紀昌、飛衛、甘蠅老師の三人ですが、どのキャラクターも魅力的に、僕には映りました。
紀昌は、天下一の弓の名人になるため、二年の鍛錬で瞬きを止め、三年の鍛錬で視力を強化し、僅か二か月で射術の奥儀秘伝を極め、九年の修行を経て仙人の境地に達する――上昇志向の塊というか、ストイック過ぎるというか、奥さんがかわいそうだろというか……、ちょっと困った一面もありますが、少年漫画の熱血主人公向きのキャラクターですよねえ。
天下一の弓の名人になるため、思いつめた末に、大恩ある師・飛衛に矢を向けちゃうところとか、甘蠅老師にムッとする姿は、とても人間的で、共感しやすいです。
そんな紀昌が、およそ十四年の修行を経て、仙人となったかのように描写されているラストは、感慨深いものがあります。
人間的といえば、作中もっとも人間的なのが紀昌の師・飛衛ではないでしょうか。
紀昌の才能を一目で見抜き、適切な教えを授け、命を狙われるもそれを許す器の広さ――と、最初、僕はこの人物を弓ばかりでなく、人間的にも優れた傑物だと思ったのですが、よく読んでみると、そうとばかりもいえないところがあります。
まず、紀昌に授けた教えですが、「瞬きするな」とか「目を鍛えろ」とか――科学的トレーニング全盛の現代からすると、結構な無茶を言ってますよねえ……。
さらに紀昌が自分の命を狙い、そのことを許す場面でも、危機を脱した安堵と己が技量に満足し、自己の保身を模索している……、本当に偉大な師ならば、自分に匹敵するほどの弓の腕を身につけた弟子のことを喜び、それを持って不問に付すところなんじゃあ……、と思うのは僕だけ?
でも、それはただの理想像であって、この飛衛の在り方こそが現実的な人間の姿だと思えば、とても共感できて、その人間臭さが逆に魅力的に映りました。
甘蠅老師は、もう人間ではありません。
弓矢を射るポーズのみで、鳶を射落とす能力……、「滅却師(クインシー)」あるいは「念能力(七色弓箭-レインボウ―)」か!?
――といった感じ。
百歳を超えて矍鑠としている姿は、それだけでまさに仙人ですよねえ……。三人に共通していえることではありますが、創作のモチーフに使えそうです。
紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になったのか?
さて、じつはここからが本題。
『名人伝』の一番の謎は、
「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になったのか?」
というところです。
このように、物語で示された謎にはっきりした答えを出さず、それを読者に委ねる小説の形式を、「リドル・ストーリー」というのだそうで、不勉強ながらこの度初めて知りました。ふむ、こうして改めて意識してみると、ミステリー小説でよく見られる手法ですね。
(以前、読書感想を書いていた、有名なリドル・ストーリー)
いろいろな人が、さまざまな視点から解釈しているようなのですが、どうやらその焦点は、『名人伝』にどういった「寓意」が含まれているか、といったところにあるようです。
もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大活躍をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。
上の引用は、『名人伝』終盤の一文ですが、「寓話作者」としての思いが語られている箇所で、「寓話作者」というからには、この作品は「寓話」であって、何らかの「寓意」が含まれている、と捉えることができるわけです。
この作品をただの「名人の一代記」とするならば、作品のオチであるところの紀昌が弓を忘れてしまったような話は「弓を忘れた姿こそ天下一の弓の名人」となり、「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になった!」という結論に至ります。寓意としては、「一意専心すれば仙人の域にも達する」的な感じで、わかりやすいものとなるように思います。
一方、「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人にはなれなかった」とする見解があります。調べてみると、いろいろな理由づけがされていて、おもしろいです。たしかに、僕が読んでみた印象でも、この見解に納得できるところがあります。
・下山後、紀昌は実際には弓を持たなくなって、誰も(甘蠅老師の念能力? のような)その腕前を確認していないのに、噂ばかりが広まって、天下一の弓の名人として偶像化されている。
・オチの部分は、どこか滑稽味やアイロニーが感じられる。
そうなってくると、『名人伝』に潜む寓意としては、「名人を偶像化することへの皮肉や滑稽さ」が描かれているということになって、単純には読み解けない(僕だけ?)ものになっている気がします。
僕としては「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になった!」と信じます。
紀昌の「なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌」は、「羊のような柔和な目をした」甘蠅老師とはまた違うものとなっていて、甘蠅老師の領域を超え、究極の「無」の悟りを開いたような印象を受けます。
しかしながら、たしかにオチの部分に皮肉や滑稽さがあるのも否定はできず――しかし両方の寓意を見ると、決して併存できないものではないのではないか、と考えました。
すなわち僕の結論は、
「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になった! なので一意専心することは大事! だけど、実際にその腕前を見もしないで、噂ばかりを信じ、名人を持ち上げる周囲の人間はいかにも滑稽である、といった皮肉が含まれている」
――小説が、中島敦 さんの『名人伝』だと思ったのですが、いかがでしょうか?
――とはいえ。
じつは著者にそれほど深い考えがあったわけではなくて、出来上がってみればいろいろ考えられる深い小説になっただけ。なのにさまざまに見解を出してその考えを作品の唯一の見方として確定しようとしている僕の態度こそが滑稽である、といった皮肉なのでしょうか?
……などなど。
……か、考えさせられる小説でした。
読書感想まとめ
少年漫画的な小説で、創作のモチーフにいろいろ使えそうです。
「紀昌は本当に真に天下一の弓の名人になったのか?」
どうしてもそれを考えずにはいられない僕こそが滑稽?
狐人的読書メモ
「リドル・ストーリー」や「信頼できない語り手」について、詳しく調べてみること。
・『名人伝/中島敦』の概要
1942年(昭和17年)発表。著者が生前に発表した最後の小説。「リドル・ストーリー」や「信頼できない語り手」など、狐人的には学ぶところの多い作品でした。
以上、『名人伝/中島敦』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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