狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『指環/江戸川乱歩』です。
江戸川乱歩 さんの『指環』は文字数2700字ほどの短編小説です。めずらしいト書き小説、台本形式の小説です。近年の小説は、ジャンルを問わず、地の文よりも台詞の部分が多くて、重要視されている印象があります。台詞の部分って地の文よりもなんか読みやすいですよねえ。台本形式の小説は、小説として見られない向きもあるようですが、Web小説・ネット小説のSSなどを中心に、受け入れられ始めていると感じるのは僕だけ? 台本形式のヒット作というのもあまり耳にしないので(勉強不足かもしれませんが)、そこに可能性を感じてしまうのは僕だけ? そう考えてみると、当時すでに台本形式の『指環』を発表している江戸川乱歩 さんの先見性にさすが、と思ってしまうのは僕だけ(さすがにこじつけが過ぎますか)? 未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
汽車に乗り合わせた二人の男、AとB。以前にも同じ汽車で一緒になったことが……、というところから二人の会話が始まる。
あのときはとんだ災難でしたとB。災難とは、その日の車内でスリに間違えられたこと。とある貴婦人のダイヤの指環をすったという容疑をかけられてしまった。
車掌がBの身体をくまなく調べるも、指環は見つからず。Bは、疑ったことへの謝罪を受けて解放された。
ところで指環はどこへ消えたのでしょう。
どうも不思議ですね。
…………
しらばくれっこは止そうじゃねえか。
いよいよ本性を現す二人の男。やはり指環をすったのはBで、Aはそれを横取りしようとしていた。
Bは車掌の身体検査を受ける前に、汽車の窓から5つのみかんを投げていた。そのなかの一つに指環を隠したと思い込んだAは、あえてそのことを黙っていた。先回りをして、Bよりも先に指環を回収しようと目論んだためだ。
しかしAが回収した5つのみかんのなかに指輪はなかった。
Bはみかんを投げることで、車掌の注意をそちらに逸らそうとしていた。車掌がAからその事実を聞けば、誰でも指環はみかんのなか、Bがすでに品物を持っていないと考え、自然車掌の検査は疎かになり、指環を隠すのは容易となる……。巧妙な心理トリック……、しかしAが黙っていたことで、その仕掛けは失敗に終わる。
――にもかかわらず、車掌の念入りな検査でも、指環は出てこなかった。
では指環はいったいどこへ……。
人間心理の隙をついた、もう一つの隠し場所とは!?
狐人的読書感想
さて、いかがでしたでしょうか。
これだけあおっておいて言い出しにくいのですが、じつはこの『指環』という小説は、1925年(大正14年)、『白昼夢』という作品と一緒に、「小品二篇」というタイトルで発表されたのですが、『白昼夢』が好評だったのに比べて、『指環』のほうはまったく黙殺されてしまったのだそうです。
レビューの価値なし、ってどうなの?
黙殺されてしまった、というのは「レビューするにも値しない」といわれているようなもので、これはつらい。江戸川乱歩 さんも「私自身もなる程愚作だったなと悟った」とへこんだそうです。この辺り、やはりヒット作を飛ばしている作家さんの苦悩といった感じで、どうしても自身の傑作と比べられてしまうのは致し方ないところでしょうか。大ヒット作を生んだ漫画家さんの次回作は……、みたいな。それだけに、次々とヒットを飛ばす作家さんのすごさを思わずにはいられません。
たしかに『指環』は、トリックの鋭いキレや衝撃的なオチといったところが、不足しているようにも思えますが、『D坂の殺人事件』にも見られる人間心理に重きを置いた部分は、当時としては革新的であったはずですし、学ばされるところも多く、狐人的には結構楽しめました。
(心理捜査にスポットを当てた江戸川乱歩 さんの『D坂の殺人事件』の読書感想はこちら)
ミステリーのトリックは出尽くした?
「ミステリーのトリックは出尽くした」というようなことを耳にすることがあります。これは時代が経てば経つほど、ミステリー小説を書く上で不利となるようにも考えられるのですが、過去のミステリーのオマージュやアレンジで、より優れた作品が生まれているなあ――と感じることもあって、その点有利に働いているようにも感じて、一概にはいえないところがあるのではないでしょか。
狐人的には、ミステリー小説は古いものよりも新しいもののほうがおもしろく感じるので、どちらかといえば現代のミステリー作家さんが有利なのでは、と思わなくもないのですが(どうでしょう?)。
江戸川乱歩 さんのオマージュといえば、狐人的には(やはり)西尾維新 さんの「美少年シリーズ」を思い浮かべてしまいます。美少年探偵団が活躍する作品の主要舞台であるところの「指輪学園」の「指輪」は、江戸川乱歩 さんの『指環』から? とか考えて、小さな発見をしたように思い、「にやり」しました。
(最近書いた西尾維新 さんの「美少年シリーズ」の読書感想はこちら)
ト書き(台本形式の)小説の可能性!
はてさて、最後になってしまいましたが、ト書き小説、台本形式の小説についてです。
「」 ← この記号を「かぎかっこ」というのは誰でも知っている常識ですが、この「かぎかっこ」に挟まれた台詞、それ以外の文をすべて「ト書き」というのはご存知でしたでしょうか? 「ト書き」は脚本や戯曲で用いられる用語ですが、小説にも「ト書き小説」(台本形式の小説)と呼ばれるものがあります。
台詞以外のすべての文が「ト書き」ならば、ト書き小説とは、台詞のない地の文のみから構成されている小説? と勘違いしてしまいそうですが、『指環』を読んだ方はすでにご承知のとおり、この作品のように台詞のみで構成された小説が「ト書き小説」あるいは「台本形式の小説」と呼ばれるものです(他にも「シナリオ形式」など複数呼び名があります)。
A 失礼ですが、いつかも汽車で御一緒になった様ですね。B これは御見それ申しました。そういえば、私も思い出しましたよ。やっぱりこの線でしたね。
これは歌舞伎の脚本で「ト両人歩み寄り」のように、台詞以外の記入が、「ト」から始まる形であったことに由来する呼び方だそうです。
あいさつのところでも触れましたが、この台本形式の小説で大ヒットしている作品というのはあまり聞かないように思います(重ねて不勉強だったらすみません)。台詞の多い小説の方が読みやすく、いまは地の文で魅せる筆力よりも、読みやすさのほうが求められているように感じて、ここにフロンティア的なチャンスがあるのでは……、と狐人的には思ったこともあるのですが。
ただし、台詞だけだとどうしても表現に制限がかかってしまい、その辺りに「ト書き小説」が邪道といわれる所以があるのかもしれません。とはいえ、一度は挑戦してみたいジャンルではあります。
(台本形式の小説について書いたブログ記事―狐人雑学―はこちら)
読書感想まとめ
江戸川乱歩 さんの『指環』は、当時の評価も低く、トリックの冴えや結末のインパクトなどに欠けるところはありますが、人間心理にスポットを当てた部分は一読の価値あり。さらに「ト書き小説」、「台本形式の小説」には、開拓地を切り開くがごとき可能性を狐人的には感じています。ぜひチャレンジしてみたい分野です。
狐人的読書メモ
文豪の小説を読もうと思い立ったのは、『文豪ストレイドッグス』という作品(漫画、アニメ)が流行っているのを知ったからなのですが、おかげで文豪作品のおもしろさに触れることができました。西尾維新 さんの「美少年シリーズ」のように、特定の文豪作品をオマージュしたり、モチーフにしている作品とリンクさせて楽しんでいきたいと思う今日この頃。このブログも、そうしたおもしろさに気づかされるようなものにしていきたいと、今回の読書感想を書いていて感じたのですが、はたして……。
・『指環/江戸川乱歩』の概要
1925年(大正14年)、「新青年」(大正14年7月号)にて、『白昼夢』という作品とともに、「小品二篇」というタイトルで一括発表された。当時の評価は低く、江戸川乱歩 さん自身も愚作といっている小説だが、狐人的には決して悪くない作品だと思った。一読の価値あり。
以上、『指環/江戸川乱歩』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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