狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『父/芥川龍之介』です。
文字数4000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約10分。
駅の待合室。しゃれのつもりで通りすがりの人の悪口を言う。友達にめっちゃウケる。調子にのって言いまくる。おい、あいつは? どれどれ…っておれの親父じゃねーか…。さてどうする?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
中学生の時の話。修学旅行の早朝、私は電車で集合場所の停車場へ向かっていた。友達の能勢と汽車で乗り合わせた。集合場所に着くと数人のクラスメイトが集まっていた。
待合室へ。みんなで先生の悪口を言い合った。やがて悪口の的は停車場にいる他の人へ向かった。能勢が一番辛辣でおもしろい悪口を言い、みんながそれを笑った。仲間のひとりが妙な恰好の男を見つけて能勢に聞いた。「おい、あいつはどうだい」
能勢は「あいつはロンドン乞食さ」と言った。みんなふきだした。私は能勢の顔を見られなかった。その妙な恰好の男が能勢の父親であることを、私だけは知っていたからだ。能勢の父親は出勤の道すがら息子を見ようと、自分の子には知らせずにその停車場へ来ていたのだった。
能勢は中学卒業後まもなく肺結核で亡くなった。私は追悼式で悼辞を読んだ。「君、父母に孝に、」――その悼辞にこういう句を入れた。
狐人的読書感想
う~ん。本人の自業自得なのですが、なんとも言えない感じです。中学生のときとかって、ひとの見た目とか恰好とか話し方とか動きとか、おもしろおかしくあげつらって、それが友達にウケて調子にのってとまらなくなって――ってこと、あるような気がしますね。
もっと小さな子どもだと、見たままのことを言っているだけなのに「何が悪いんだろう?」って、わからなかったりするのでしょうが、しかし中学生ともなれば自分をカッコよくかしこく見せたかったりして、ひとの悪口や陰口を言ってしまうのでしょうか?
やがて「ひとの悪口や陰口を言うことの何がカッコいいんだろう?」って気づくときがくるんでしょうが、できることなら早いうちに気づいておきたいものですよね。
そんなときよく「自分が言われたらいやだから悪口や陰口を言わない」という理論で子どもを諭したり自分を戒めたりしますが、あるいは「自分の身の回りの大切なひとの悪口を言われたらいやだから悪口や陰口を言わない」としたほうがより身に染みてわかるような気がふとしました。
悪口や陰口を言うのは他人を傷つけることだとは普段から意識しているのですが、「自分を傷つける行為でもある」というあたりはあまり意識していないように思います。
相手を傷つけることを言ってしまったとき、必ずあとで後悔します。その後悔がけっこう長く尾を引くことだってあります。
なかなか友達の前で親をバカにして笑いをとるような機会は考えにくいのですが、本作のようなシチュエーションだって考えられなくはないんですよね。
「君、父母に孝に、」――という最後の句は、「君は親孝行だったよ」という意味なのでしょうが、能勢君がお父さんを笑い者にしなければならない状況に追い込まれ、そうしたことを後悔して傷ついていたことが「私」にはわかり、そこにお父さんへの愛情が感じられたからこそ、加えられた句だったのかなぁ……とか考えました。
「ひとの悪口や陰口は言わない」
「ひとを笑い者にしたりしない」
――ようにしたいと思った、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
悪口や陰口は人を傷つけ、自分も傷つける。
狐人的読書メモ
・ところで「修学旅行っていつからあったの?」と、ふと疑問に思った。1886年(明治19年)2月、東京師範学校(現在の筑波大学の前身の一つ)が行ったものが日本で最初の修学旅行だったそう(当時は「修学旅行」ではなく「長途遠足」と呼んでいた)。
・『父/芥川龍之介』の概要
1916年(大正15年)『新思潮』にて初出。初出時には副題があり、「―矢間雄二氏に献ず―」。初刊時に削除されたとのこと。著者の経験を元に書かれている。
以上、『父/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
(▼こちらもぜひぜひお願いします!▼)
【140字の小説クイズ!元ネタのタイトルな~んだ?】
※オリジナル小説は、【狐人小説】へ。
※日々のつれづれは、【狐人日記】へ。
※ネット小説雑学等、【狐人雑学】へ。
※おすすめの小説の、【読書感想】へ。
※4択クイズ回答は、【4択回答】へ。
コメント