さいかち淵/宮沢賢治=英雄かウザい奴か、自己顕示欲は諸刃の剣。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

さいかち淵-宮沢賢治-イメージ

今回は『さいかち淵/宮沢賢治』です。

文字7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約19分。

自己顕示欲。それをうまくコントロールできるか。できればみんながほめてくれる。できなければ白い目で見られる。まさに諸刃の剣。しゅっこの場合どうだったか。意味深なラスト。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

八月十三日

ぼくがみんなと一緒にさいかち淵で泳いでいると、大人たちがやってきて、発破を使って魚を獲る。ぼくらはこっそりそのおこぼれにあずかり、捕まえた魚を石で囲んだ小さないけすに入れる。すると、変な鼻の尖った人がやってきて、ぼくらの魚をぐちゃぐちゃにかき回す。ぼくらがそれに抗議するようにはやし立てると、変な鼻の尖った人は困惑して去っていく。

八月十四日

しゅっこが毒もみをしようと言い出す。ぼくは「毒もみはひきょうでいやだ」と答えるが、しゅっこはみんなを集めて毒もみを始める。しかし、魚はいっこう浮いてこない。しゅっこはきまり悪そうに「鬼ごっこしよう」と提案する。何回も鬼ごっこをして、しまいにしゅっこが鬼になる。しゅっこはつかまえた一人にみんなを上流から追わせ、自分は黙ってそれを見ている。みんながしゅっこをばかにする。しゅっこは怒って危ないつかまえ方をしだす。みんな「こんな鬼ごっこはしない」と砂利に上がる。いつのまにか空は黒い雲でいっぱいになっている。雷が鳴り、風が吹きだし、雨が降る。「雨はざあざあ、ざっこざっこ、風はしゅうしゅう、しゅっこしゅっこ」誰かが叫び、しゅっこは「おまえらか?」と聞くが、みんな「違う」と答える。ぼくは気味悪そうに川のほうを見る。けれどもぼくは、みんなが叫んだのだと思う。

狐人的読書感想

どこかで読んだことあるなぁ……と思っていたら、『風の又三郎』の最後のほうにあったエピソードですね、これ。登場人物以外ほとんどそのまま使われています。

たぶん『風の又三郎』を初読したとき、発破とか毒もみを知らなかった気がします。

(だいたいどんなものかは、文脈からイメージできたと思いますが)

発破漁は、爆発物(発破、ダイナマイトなど)の爆発の衝撃で、水面に浮きあがってきた魚を獲る漁法です。毒もみは、川や海に毒を撒いて魚を獲る漁法です。環境破壊や生態系破壊の懸念があるので、いまでは両方とも多くの国で禁止されています。

(毒もみについては『毒もみのすきな署長さん』という作品もあって、宮沢賢治さんにしては珍しくサイコな感じのするお話で、狐人的にはおもしろかったです)

さて、この『さいかち淵』は、「子供の社会」が描かれているのが印象的でした。

子供の社会といえば、まずは学校をイメージしますが、『さいかち淵』のような子供たちの遊び場も、ひとつの「子供の社会」だといえるのではないでしょうか。

「ぼく」は「しゅっこ(舜一)」を主要な登場人物として語っていて、このしゅっこは、大人の発破漁を見て、自分も毒もみをしようとしたりして、みんなに注目されたかったのかなぁ……という気がして、どうやら少々自己顕示欲が強い子供のようです。

(まあ、誰だって多少は「目立って称賛されたい」という気持ちがあるでしょうが)

目立ちたがり屋の子供というのは、子供の社会では排斥されやすい傾向があると考えています。

目立ちたがり屋の子供がうまく物事を進めることができれば、みんなはそれをほめたりたたえたりするのでしょうが、うまく物事を進めることができなかったとき、場の空気は白けてしまい、みんなの態度も冷たくなってしまう気がしますね。

たとえばしゅっこの場合、もしも毒もみがうまくいっていたら、みんなの反応はどうだったのかなぁ……と想像してみます。よろこんで魚を獲って、みんなしゅっこをほめたたえたのではないでしょうか?

とはいえ、「ぼく」が「毒もみはひきょうでいやだ」と言っているように、禁止されていることや、むやみに魚を傷つけるようなことは、道徳的な忌避感を想起させるので、しゅっこが子供たちの英雄になれたかどうかは、一概にはいえないところかもしれません。

このお話では、結局しゅっこは「いやな目立ちたがり屋の子供(ウザい奴)」になってしまい、みんなから排斥されているような雰囲気で終わっていますが、「雨はざあざあ、ざっこざっこ、風はしゅうしゅう、しゅっこしゅっこ」と誰が叫んだのか……意味深な終わり方になっていますね。

ぼくが「気味悪そうに川のほうを見た」のは、ひょっとして「川がしゅっこの毒もみや鬼ごっこでの危険な行いを非難している」的な、自然から人間への警告といった意味があるのでしょうか?

あるいは、(いやな目立ちたがり屋とはいえ)友達を除け者にしようとする無意識の罪悪感が、「気味悪そうに川のほうを見た」行為には表れているんですかね?

「けれどもぼくは、みんなが叫んだのだと思う」

(みんなはどう思う?)

と思った、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

英雄かウザい奴か、自己顕示欲は諸刃の剣。

狐人的読書メモ

・という点、しかし、子供の社会も大人の社会も一緒。

・「さいかち淵」は岩手県花巻市石神町にその碑があるらしく、しかし現在では川の形が変わっていて、そこに淵はないようである。

・『さいかち淵/宮沢賢治』の概要

生前未発表作。村童スケッチ。さいかち淵は一種の「子供の社会」を感じさせる。本作は『風の又三郎』の最後の場面にほぼそのまま使われている。

以上、『さいかち淵/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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