狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『鍛冶屋の子/新美南吉』です。
文字数2800字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約10分。
母はなく、父は飲んだくれ、兄は知的障害…新次は家事と仕事の手伝いを一人で背負い、鬱屈した気持ちを抱えている。出口の見えない日々。当たり前に健康な家族に、感謝したくなった。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
ここは、いつまで経ってもちっとも開けていかない、海岸から遠い傾いた町。
鍛冶屋の次男、新次は幼い頃に母を亡くしている。父は飲んだくれ、兄は知的障害を抱えており、子として弟として、肩身の狭い思いをしている。
そんな家族だから、自然、家事や仕事の手伝いは、小学校を卒業したばかりの新次が一人背負い込むことになる。
せめて母が生きていれば、兄がもう少ししっかりしていれば、父が酒をよしてくれれば――と、よく思う。
あるとき、兄が鉄棒を鎚で打っていた。新次は「兄だってやればできるんだ!」と嬉しくなるが、刀を造ると子供みたいなことを言う兄に失望する。
父はちょっとした事件をきっかけに酒を断つ。しかし酒を断った途端、体調を悪くし床から出られなくなる。新次は酒を買ってきて、病床の父に飲んでくれと頼んで、泣いた。
ここは、いつまで経ってもちっとも開けていかない、海岸から遠い傾いた町。
狐人的読書感想
新美南吉さんの童話は、いつもほのぼのと温かな気持ちになれるものが多いのですが、この作品はそんなお話とは趣を異にしていると感じました。
「いつまで経ってもちっとも開けていかない、海岸から遠い傾いた町」には閉塞感が漂い、暗くて重たい雰囲気がひしひしと伝わってきます。
主人公の鍛冶屋の次男、新次は幼いときに母を亡くし、飲んだくれの父と、知的障害を持つ兄との三人家族です。
父と兄がそんな調子なので、小学校を卒業したばかりの新次は家事や仕事の手伝いを一手に引き受けなければならず、町でも肩身の狭い思いをしています。
どうにもならない日常に対する新次の鬱屈と、「いつまで経ってもちっとも開けていかない、海岸から遠い傾いた町」が見事に重なっていて、秀逸な印象を受けました。
思えば、家族みんなが健康で、何の問題も抱えていない家庭というのは、とても幸せなものであって、当たり前すぎて普段なかなかそんなふうには思わないのですが、それだけで感謝すべきことなのかもしれません。
病気であったり障害であったりする親兄弟を、家族が支えていかなければいけないというのは当然のことではあっても、ときに苦しく、納得できないこともあるんだろうな、と想像します。
新次の兄のように先天的な障害であった場合、本人には何の落ち度もないわけですから、介護やお世話に鬱屈してしまい、しかしどこにもやり場のない家族の気持ちというのは、想像しただけでつらいものがあります。
しかも新次の場合は小学校を卒業したばかりの遊びたい盛り、現代とは時代が違うとはいえ、ただ仕事の手伝いや家事をこなす日々は耐えがたいだろうなあ……(僕だったら耐えられないと思ってしまいます)。
家族を捨てて逃げ出すわけにもいかず、どうすれば新次は救われるんだろう……、と考えてみたのですが、結局答えは出せませんでした。
人間、考え方次第で、どんな境遇でも幸せを感じて生きていけるとはいえ、それは理屈であって、現実には難しく思ってしまいます。
『何時まで経つてもちつとも開けて行かない海岸から遠い傾いた町なんだ。』
まさにこの言葉のとおり、出口の見出せないような、今回の読書でした。
読書感想まとめ
人生の出口の見出せない読書。
狐人的読書メモ
・このような逼迫した家庭というのは、きっと現代でもあるのだと思う。たとえば要介護者のいる家庭であるとか。当たり前に健康な家族が、とてもありがたいものなのだと感じた。
・『鍛冶屋の子/新美南吉』の概要
1972年(昭和46年)『新美南吉十七歳の作品日記』にて初出。初出時のタイトルは『海へ傾いた町』。『新美南吉全集 第10巻』(大日本図書、1956年―昭和31年―)には『文芸自由日記』として収録。どうにもならない閉塞感。新美南吉の異色作。
以上、『鍛冶屋の子/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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