コンにちは。狐人 七十四夏木です。
(「『狐人』の由来」と「初めまして」のご挨拶はこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」)
今回は随筆読書感想『チャンス 太宰治』です。
今回は、「随筆」読書感想というか、「エッセイ」読書感想といったほうが、より正確かもしれません。
僕が以前のブログ記事(⇒小説読書感想『科学者とあたま 寺田寅彦』科学者とは頭のいい人?悪い人?)を書くときに調べたところによると、随筆はどちらかといえば客観的、エッセイはどちらかといえば個人的な感想を綴ったものといった区分けがあるようです。
『チャンス』は、勢いに乗せて、太宰治さんの「恋愛」に対する個人的な心情が、これでもかといった感じで書かれています。「筆が乗ってますね、太宰先生!」です。
なので内容を一言でいうなら、まさに「太宰治の恋愛論」!
前半部は、恋愛に対する自らの持論を、太宰治さんらしい皮肉とユーモアをブレンドしつつ展開しています。後半部は、実体験に基づく持論の論証です。
僕が非常におもしろいと思ったのは、前半部と後半部にあるギャップでした。
前半は、現代の草食系または絶食系諸氏に向けた激励(あるいは肉食系諸氏への叱咤?)のように捉えることもできるのですが、後半の体験談は、そう言う太宰治さん自身が草食系か絶食系男子だったのでは……、と思わされてしまう内容になっているのです。
ちなみに、肉食系はガツガツと恋愛に積極的なタイプ、草食系は恋愛したいけど積極的になれないタイプ、そして絶食系は恋愛に興味がなくまったく必要としていないタイプの人を指していいます。
太宰治さんの『チャンス』は、Amazon Kindle版で11ページ、文字数では9000字ほどの短編です。よろしければぜひご一読ください。
それではここから具体的な内容について触れていきたいと思います。最後までお付き合いいただけたら幸いです。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。
『チャンス』冒頭の一文です。太宰先生は、世間一般に蔓延するこの論調を否定します。
「チャンス」=「機会」と訳しますよね。
『人生は機会だ。結婚も機会だ。恋愛も機会だ。』
人生について、結婚について、恋愛について――訊かれたとき、「機会があれば……」なんて答える機会が、多い方もいらっしゃるのではないでしょうか(かく言う僕も……)。
初デートの後に、次回のお誘いメッセージを送って、「機会があれば……」なんて返ってきた日には、「これは脈なしか……」なんてがっかりしてしまいそうですが……。
ともあれ、ここだけ取って否定されてしまうと、待ちの姿勢をダメ出しされているようにも聞こえて、僕も耳の痛い話です。実際太宰先生は、少なくとも「恋愛チャンス説」については、完全否定しています。
そして太宰先生曰く、恋愛は「チャンス」でなく、「意思」だというのですね。
では、そもそも「恋愛」とは何なのか、ということを次に語っていくのですが、太宰先生はここでまず辞書を引いて、「恋愛」の定義を確認します。まめな性格だったのでしょうか、太宰先生。わからないことをすぐに辞書で調べようという姿勢は僕も見習いたいですね。いまはスマホやパソコンを使って、インターネットで簡単に検索できますし。でもインターネットの情報はすべて正しいわけじゃないから、やっぱり辞書を引きましょうとか、学校で教わったような気もします。
やっぱり辞書ですね。
というわけで、太宰先生が、『Google』や『Yahoo!』ではなくて、辞書で調べた結果が、以下となります。
「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」
やっぱり辞書ですね。
と思いきや、太宰先生は、これではよくわからない、と納得できないご様子。
そうして、もしも自分が辞書の編纂者ならば以下のように定義する、と言い出します。
「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性慾衝動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊なる性的煩悶。色慾の Warming-up とでも称すべきか。」
と、舟を編む太宰先生。
……『舟を編む』といえば、三浦しをんさんの小説ですが。2012年(第9回)本屋大賞を受賞。「恋愛」といえば、女性ファッション雑誌の恋愛コラム(?)ということで、女性ファッション雑誌『CLASSY.』に連載された小説が、大きく取り上げられたのは、なんだか異例なような気がしましたが。2013年には松田龍平さんと宮崎あおいさん主演の映画が公開されて、今年2016年にはテレビアニメ化、つい先日最終回が放送されたばかりです。
ぜひご一読あれ――じゃなくって……(もちろん、三浦しをんさんの『舟を編む』はいい小説なので、おすすめしたいところではあるのですが)。
脱線しました。(わざとらしく)(わざと、じゃないですよ?)。話しを太宰治さんの『チャンス』に戻しましょう。
さて。絶好調の太宰先生。好調のまにまに上のように、「恋愛」について舟を編んでしまったわけなのですが、これはつまり、「恋愛」とは「性欲」だとはっきり言い切ったことになります。
ここから先生の筆の走りが凄いです。凄い勢いでもの申します。恋愛至上主義や恋愛を神聖視する風潮をばっさりと切って捨てていきます。
これはぜひ読んでほしいんですよねえ。全文掲載してしまいたいくらいなのですが。さすがに長くなりすぎてしまうので、差し控えたいと思います。全文は無料の電子書籍で!
弁舌さわやか、立て板に水。
モテない男のひがみなんじゃないか、と勘繰ってしまいたくなるくらい、太宰先生の文句が止まりません。
しかしてしかし、太宰治さんが女性にモテモテだった、というのは有名な話ですよね。そんなモテモテの太宰先生が言うからこそ、その弁に奇妙な説得力を感じてしまうのは、僕だけなのでしょうか?
とかなんとか言っていると、どうやら太宰先生もそのことに気がついたらしく、自分が決してモテない男ではないことを証明するかの如く、後半部の体験談(自慢話?)が始まります。
その後半部のあらすじは以下のようなものです。
太宰先生がまだ学生だった頃、ある大寒の日に宴会が開かれたそうなのですが、その宴会で太宰先生は、美人の芸者さんに言い寄られたといいます。
宴会が終わって料亭を出ると、その芸者のお篠さんが「待ってよ」と言って追ってきます。
そこからはお決まりのパターン、二人だけの二次会へ。
お篠さんがお抱えで働いている別の料亭へと案内された太宰先生。そこでお篠さんは、同僚の芸者仲間たちに、太宰先生への好意を堂々と、熱烈アピールするのですが(まさにお篠さんは肉食系女子)、太宰先生は、出された料理の雀焼きが食べたくて食べたくて仕方がありません(雀の丸焼きって、美味しいんでしょうか? 太宰先生曰くとても美味らしいのですが……)。
されど、美しい女性たちが、自分の話で盛り上がっている真ん前で、雀焼きをばりばり食べる勇気が出せなかった太宰先生は、とある名案を閃きます。
まずは「帰る」と言って席を立ち、忘れ物をしたふりをして一人部屋に戻り、例の雀焼きをむんずと掴んで、懐のなかにねじ込みます。
それから何食わぬ顔で玄関を出る。お篠さんと二人連れ立って歩く太宰先生。
二人が下宿にたどり着くと、すでに門が閉まっている。
それなら知ってる旅館があると、案内するお篠さん。太宰先生の面倒を番頭さんに任せて、一旦お篠さんは去っていきます。
さあ、ようやく雀焼きを食すことができると、ほくほく顔の太宰先生ですが、そのとき、外からお篠さんの声が聞こえてきます。
「下駄の鼻緒を切らしちゃったの」
それを直してもらう間、太宰先生のお部屋で待っていると、番頭さんに言うお篠さん。それを聞いた太宰先生は、雀焼きを慌てて掛布団の下に隠します。
部屋に入ってきたお篠さんは、太宰先生にいろいろと話しかけるのですが、掛布団の下には雀焼きがあるので、同衾するわけにもいかず。太宰先生はそのうち眠くなって、いい加減な返事をするようになり――、「わたしのこと嫌いなの?」「嫌いじゃないよ、でも今日は眠くって」「そう……それじゃあまたね」――といった感じで、その場はお開きとなり、結局恋愛のレの字も起こらなかった、のだそう。
太宰先生は、この体験談を告白した上で、冒頭で述べたように、恋はチャンスによらないものだ、と話をまとめにかかります。
すなわち、こうした「据え膳食わぬは男の恥」的な絶好のチャンスが訪れながらも、別の強固な意志によって、恋愛が成立しないこともある、というのです。
恋愛をしようと思わなければ、いくら目の前にチャンスが転がっていても、恋愛にはならないのだと、太宰先生は仰ります。
ふむ……。
別の強固な意志によって、というか、別の強固な本能によって、という気がしますが。
この体験談って、結局「性欲」よりも、「食欲」と「睡眠欲」が勝っただけなのでは――と思ってしまうのは、はたして僕だけなのでしょうか。
積極的な芸者のお篠さんは、現代で言うところの肉食系女子で、美人を目の前にしても、「食欲」と「睡眠欲」とが「性欲」に勝ってしまう太宰治さんは、現代で言うところの草食系あるいは絶食系男子と断じてしまってもよさそうですが。
とはいえ、他の欲求が勝るがゆえに、恋愛が起こらないという論だったとしても、それはそれで頷けるものなのではないかと僕は思いました。
というのも、転じて、恋愛に代わる何かがあると、恋愛は生じにくいのだと、僕が受け取ったからなわけなのですが。
娯楽の少なかった昔、恋愛というものは、人々にとって大きな楽しみの一つだったはずですよね。
現代には、小説・漫画・テレビアニメ・映画・ゲーム・スマホ・パソコン・インターネット……、数え上げると切りがないくらい、恋愛に代わるおもしろい娯楽が溢れていますから、恋愛に対するモチベーションが低くなってきているというか。
男性は外で働いて、女性は家を守る、といったような考え方も、いまでは古くなっていて、結婚の重要性なんかも薄れてきていますよね。
そんな現代を見据えての、太宰先生の恋愛論だと受け取ってしまうのは、いささか深読みのし過ぎですかねえ。
それからもう一つ。
片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
とも太宰先生は仰っています。
片恋、つまり片想い。
好きな相手を偶像化して、片想いで満足して、自己のなかで本能的な欲求を完結できたなら、相手を傷つけたり、なにより自分が傷つかなくてすみますよね。
前述したとおり、その助力となるものが、現代にはたくさんあります。
ひきこもり、恋人なんていらない、結婚しない、一人暮らしの老若男女……そんな自分自身の殻の中に閉じこもった人たちの住まう「殻社会」とでもいったような社会の訪れを、これは予言しているものなのでは……、とか思ってしまうのはひょっとして僕だけ?(たぶん僕だけ)
そんな世界は、ちょっと寂しいような気がしないでもないですが、はたして……。
片想いでふと思い浮かべたのは、西尾維新さんの小説『物語シリーズ』に登場する千石撫子というキャラクターです。主人公の阿良々木暦に片想いしている(まあ、登場するヒロインキャラみんな片想いしてる? という感は否めませんが)のですが、このキャラの片想いの姿には、考えさせられるところが大きいです。
『囮物語』と『恋物語』と『撫物語』は、現代人の片想いといった観点からぜひ読んでみてほしい小説です(もちろん『物語シリーズ』は全部読んでみてほしい小説ですが)
そして、太宰先生の結びの一言はこちら。
庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
庭訓とは、家庭で親から子に教える教訓のこと。人生すべてにおいて、チャンスに乗じるだけではなく、強固な意志をもって、積極的にチャンスを捉えにいかなくてはならない、というのは間違いなく納得できる教訓だと思いました。さすが太宰先生、なんやかんやで最後はバシッとしめてくれました。
(ここから雑談です)
もちろん太宰治さんは文豪! 大文豪! というわけで、『文豪ストレイドッグス』と『文豪とアルケミスト』に、太宰治さんは主要キャラクターとして、当然ながら登場しているわけなのですが――、実際の本人のモテモテで破天荒なキャラといい、肖像写真の端正な顔立ちといい、イケメン化された文豪たちが活躍するどちらの作品にも打ってつけの人物ですね。
『文豪ストレイドッグス』の方の太宰治さんの異能力は『人間失格』! 異能を無効化するというのは、異能力者間のバトルではかなり無敵な能力ですね。本人の武力が高ければ高いほど有効な武器となりそう。
『人間失格』は「小説読書感想」にチャレンジしてみたい小説ですね。ちょっと調べてみたところ、『文豪ストレイドッグス』とのコラボカバー版や、『ヒカルの碁』・『DEATH NOTE』・『バクマン。』で有名な小畑健さんが表紙イラストを手掛けた集英社文庫版などもあるみたいです。
『文豪とアルケミスト』でもやはり重要キャラの扱い。芥川龍之介さんと並ぶ最高レアリティの文豪だそう。さすがです。
うーん……なんとか最後に漫画の話題が出せましたが、内容には絡ませることができませんでしたねえ。でも西尾維新さんの『物語シリーズ』の話題が出せた(むりくり出した?)のでよし(?)としますか!
ちなみに、太宰治さん作品の前回ブログ記事はこちら!
・小説読書感想『走れメロス 太宰治』走れメロス…いや走ってメロス!
そんなこんなで、以上、『チャンス 太宰治』の随筆読書感想でした。
※
いろいろと考えさせられてしまう現代人の片想いが描かれた西尾維新さんの小説
・『囮物語』
・『恋物語』
・『撫物語』
もちろん文豪! 太宰治先生が主要キャラとして登場する『文豪ストレイドッグス』
※
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは今日はこの辺で。
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