狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『神馬/横光利一』です。
文字数2500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約13分。
今日も知らない一日を彼は生きた。
神社で飼われる神馬の一日。
現在、神馬は一部の神社でしか見られず、
絵馬に置き換わってる。
ペットになりたいって思ったことある?
生きるってなんだと思う?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
神馬として祀られているある馬の一日。
豆を食べていた。お腹がいっぱいになって、知らず知らず居眠りしていると、ふいに雨でも降ってきたような音がして、目を開くと、黄色な豆が口元いっぱいに散らばっていて、また食べた。
食べ飽きると、景色を眺めた。この狭い場所を飛び出して、どこまでも走りたくなる。が、また豆がパラパラまかれると、何もかも忘れてしまった。
爺さんと小僧がやってきた。(小さいやつらだ。こいつらは食べ物をくれない)と馬は思った。爺さんと小僧が神馬を拝んだ。(変なことをしている。何をしているのだろう?)と馬は思った。
フンをした。道を馬や人間や車などが行ったり来たりしていた。(出て歩きたいな)。しかし脱走すれば、三、四日食べ物をもらえなくなってしまう……あのひどい苦痛を思い出した。
レンゲ畑で女の子たちが遊んでいた。おてんばらしい。畑では男が肥料をまいていた。白い煙を吐く列車が山際を這っていた。
男がきた。食べ物はくれなかった。また誰かきた。(ダメだ、いつも通るやつだ)。教師と子供らがやってきた。
「この馬は日露戦争で大活躍した馬です。皆さんも、この馬に負けないよう国家のために尽くさなければなりません」と教師が説明し、子供らは顔をほてらして神馬を見ていた。(何をジロジロ見てるのだろう? 食べ物はくれそうにないな)。
食べ残していた豆を食べ終わると、馬は食べ物を探した。目の前の箱に豆が盛られているが、食べたくても、ここからでは口が届かない。何かが落ちていた。(食べ物だろうか? 食べたいな)。
そのとき、遠くから嘶き声が聞こえた。(牝馬だ! 牝馬だ!)。馬は興奮した。社務所から男が来て馬を鎮めた。馬の頭がはっきりすると、もう嘶き声は聞こえなかったが、そのほうから目が離せなかった。
若い娘と老婆がやってきた。老婆が豆をくれた。そこへ黒犬がやってきた。(豆を盗もうとしているな)。馬は慌てて豆を食べた。
日が暮れた。男が豆粕と藁とを混ぜたごちそうを持ってきた。馬は残らず平らげた。男が重い戸を下ろすと、真っ暗になった。外で錠前の音がカチリとした。
今日も知らない一日を彼は生きた。
狐人的読書感想
人間に飼われている馬の、代わり映えしない一日のお話、とてもおもしろかったです。
神馬として祀られていても、一日中食べることばかり考えていて、眠くなったら寝て、牝馬の嘶き声に興奮したり……やはり馬は馬なんだなあ、というところに皮肉っぽいニュアンスを感じたのですが、どうでしょうね?
神馬は、神様の乗る馬として、神社で飼われる馬なのだそうです。世話や費用などの負担が大きく、いまでは一部の神社でしか見ることができず、神馬は絵馬に置き換わっているのだそうです(絵馬って、そういう由来だったんですね、勉強になりました)。
今回の読書では、ただ単純に「生きるって何なんだろう?」ということを考えさせられました。
人間の身勝手さのために、狭い場所に入れられて、見世物にされている神馬は、一見するとかわいそうにも思えるのですが、その代価として毎日エサがもらえて、食いっぱぐれることのない生活が保障されているんですよね。
道を自由に行き交う馬や人や車を見て、(出て歩きたいな)と神馬が思うシーンがありましたが、脱走すると三、四日もエサをもらえなくなってしまう苦痛を思い出すと、外へ出る気も失せてしまいます。
馬にとって生きるとは何だろう?
と考えたとき、それは走ることではないか、と僕なんかは想像してしまうのですが、案外そんなこともなくて、毎日ちゃんとエサが食べられて、眠くなったら寝て、変わらぬ日常の中に何かおもしろそうなことを見つけて、牝馬の嘶き声に興奮して――それで意外と満足なのかな、という感じがしました。
ここで、人間の生き方だって、じつは飼われている動物とそんなに変わらない、という気がしてくるんですよね。
毎日勉強や仕事をして、それで毎日ごはんが食べられて、ゲームしたりマンガを読んだりテレビを見たり音楽を聴いたり、ちょっとした楽しみに満足して、代わり映えのない生活を送って、しかしそのことに疑問を持つこともあれば、その生活が尊いもののように感じることもあって、だけど何か真剣に打ち込めるものがないと生きている感じがしないこともあって――生きるって何なんだろうな? みたいに思うのですが、どうでしょうかね?
人間に支配されず、好きなときに広い草原を駆け回れる馬は、自由で生き生きしているように見えますが、エサは自分で探さなければならず、見つからなければ食べることはできず、外敵に襲われることだってあるかもしれません。
人間に飼われること、野生で生きること――もし選べるのならば、馬がどちらの生き方を選ぶのかは、ちょっと想像できませんが、これって「絶対こっちだろ!」って答えがないようにも思えるんですよね。
たとえば人間だって、お金持ちのペットの生活を見たとき、広い庭を自由に駆け回れて、一般人よりもいい食事を与えられて、寝たいときに寝れて――ああ、ペットになりたい、と思うことだってあるような気がします。
しかし、自分の力で生きていない人生、何か生きがいのない人生――そんなものは生きてるって気がしないって気もします。
つらつらと書いてきましたが、結局「生きるって何なんだろう?」の答えは明確に打ち出すことができず、今日も神馬のように、ぬるま湯に浸かるような一日を送っている自分がいて、しかしそれが良いことなのか、悪いことなのか、判断できずにいるといった、今回『神馬』の読書感想でした。
読書感想まとめ
生きるって何なんだろう?
狐人的読書メモ
動物と人間の感動的な絆ということがよくテレビなんかで取り上げられたりする。そのたびに感動させられたりするんだけれど、ふと落ち着いて考えて見ると、それはやっぱり人間側の勝手なエゴだと思えてしまう。動物と人間の絆は、やはりエサを与えるからこそ築かれるものであって、還元すれば「利害関係」というところに帰結するように思えてしまう。そしてそれは、人間同士の関係にもいえることのように思えてしまう。
・『神馬/横光利一』の概要
1917年(大正6年)7月1日発行『文章世界』にて初出。タイトルは『神馬(しんば)』となっているが、広くは「神馬(しんめ)」と読むらしい。神社に奉納される神馬は、一般的に白馬が重んじられるが、世話や費用などが大きく、現在では絵馬に置き換わっている。とてもおもしろかった。おすすめ。
以上、『神馬/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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