十二月八日/太宰治=100年後の日本人へ、戦争と平和を考えて。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

十二月八日-太宰治-イメージ

今回は『十二月八日/太宰治』です。

文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約21分。

昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日、
ある主婦の日記。
たしかに、のちの世の日本人のために
書かれた小説だと思う。
人の価値観は時代により変わるが、
母の愛はいつの世も変わらない。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

彼女はこの日の日記を特別丁寧に書いておくことにした。それは100年後に読まれたとき、日本の主婦がこの日、どのような生活をしていたのかわかったら、歴史の参考になるかもしれないと考えたからだ。

昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日、ある主婦の日記。

早朝、彼女はそのニュースを、外から聞こえてくるラジオの声で知った。

早速主人に伝えようとすると、珍しく早起きしていて、西太平洋はサンフランシスコの辺りかと、トンチンカンなことを聞いてくる。

日本側の太平洋だと彼女が教えると、日本が西でアメリカが東ということが不愉快だ――主人の愛国心はどうも極端すぎる。

井戸端で顔を洗って、娘のおむつを洗濯して、お隣さんと朝の挨拶をして――朝ごはんの後かたづけをしながら彼女は考えた。

目の色、毛の色が違うだけでこれほど敵を憎めるなんて。めちゃくちゃにぶん殴りたい。兵隊さんにはがんばってほしい。自分たちの生活が貧しいことなどなんでもない。むしろつらい世に生まれて生きがいさえ感じられる。いまの時代に生まれてよかった。

お昼少しすぎに主人が出かけて、彼女は簡単な食事を済ませて買い物に出た。やはり市場に物は少なく、今月からは買い物にも2割の税金を取られる。

夕飯の支度をして、ひとりで夕飯を食べて、娘をおんぶして銭湯に行った。

彼女にとって、娘をお湯に入れるのが生活の中で一番楽しい時間だ。かわいくて、かわいくて、どんな着物を着せても生まれたままの姿にはおよばない。

帰り道の暗さに難儀していると、後ろから主人が歩いてきた。お前たちは信仰がないから難儀する、僕には信仰があるから大丈夫、ついてこい――どんどん先に行ってしまう。

本当に、あきれた主人であります。

狐人的読書感想

昭和16年といえば1941年で、まだ100年は経っていませんけれども、たしかに歴史の参考に読んでみて、興味深い小説だと思いました。

ラジオのニュースであったり、物が少なくなったり、値段が上がったり、配給が減ったり、大学を卒業した若者が徴兵の挨拶にきたり――戦争の影響は生活のいたるところに表れていますが、家庭の主婦、庶民は真珠湾攻撃という大ニュースはあれども、いつもと変わらない日常を送っていたんだな、と感じます。

なんだか不思議な気もしますが、このようなことは現代でも感じることのように思います。

外国で起こっている戦争や災害、あるいは日本のどこかで起こった事件、それらはニュースとして僕らの耳に伝わってきて、物価や株価などに影響したりしますが、普段の日常生活が変わるかといえば、ほとんど変わることはありません。

もっと具体的な例を挙げると、2011年の東日本大震災のとき、東北地方などは甚大な被害を受けましたが、それ以外の土地に住む人たちは、そのニュースに胸を痛め、一時的に物が少なくなったり交通がマヒしたりしましたが、ほとんど変わらぬ日常を過ごしていたのではないかなあ、と想像します。

生活を脅かす出来事というのは、その身に降りかかってみなければ対岸の火事、しかしそれはじわじわと、また突然に、自分のこととして表れるのだと改めて思うと、やっぱりなんだか不思議な感じがするんですよね。

うまく書き表せていないかもしれませんが。

ともあれ。

印象的だったのは戦時中の日本人の価値観が描かれているところです。

いまでは戦争は絶対によくないことだ、というのが一般的にも受け入れられている価値観だと思いますが、作中の主婦は日記に以下のように書いているんですよね。

日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等をっちゃくちゃに、やっつけて下さい。これからは私たちの家庭も、いろいろ物が足りなくて、ひどく困る事もあるでしょうが、御心配はりません。私たちは平気です。いやだなあ、という気持は、少しも起らない。こんなつらい時勢に生れて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生れて生甲斐いきがいをさえ感ぜられる。こういう世に生れて、よかった、と思う。

はたして本当にこんなふうに思っていたのかな、と、ちょっと驚いてしまいます。

戦争中の日本では、戦意高揚のためにさまざまな教育や喧伝が行われていたと聞きますが、みんながそういうふうに思い込む社会では、やっぱり自分もそうなってしまうのかな、と想像すると、なんだか怖いような気がします。

目色、毛色が違うという事が、之程これほどまでに敵愾心てきがいしんを起させるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。

ぶん殴りたいって(汗)

グローバル社会の現代では、このような考え方は忌避すべきものですが、しかし人間の本能には、自分とは違う者を排除しようとする、偏見や差別につながる感情がたしかにあって、それは時代によっては正しいことにも間違ったことにもなります。

いつの時代にあっても、僕なら絶対に戦争は認めない、偏見はしない、と言える自分でありたいと願いますが、実際にはそれができると言い切れる自信が持てず……自分がなさけないような、正しい自己の考えを確立することのむずかしさみたいなものを感じます。

しかしながら、では、戦時中の日本人の価値観と現代の日本人の価値観は、まったく違ったものだったか、といえば、決してそんなこともなく、当時も今も変わらず同じであるといえる価値観に、「母の子に対する愛情」といったものがあります。

ひとりで夕飯をたべて、それから園子をおんぶして銭湯に行った。ああ、園子をお湯にいれるのが、私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ。園子は、お湯が好きで、お湯にいれると、とてもおとなしい。お湯の中では、手足をちぢこめ、抱いている私の顔を、じっと見上げている。ちょっと、不安なような気もするのだろう。よその人も、ご自分の赤ちゃんが可愛くて可愛くて、たまらない様子で、お湯にいれる時は、みんなめいめいの赤ちゃんに頬ずりしている。園子のおなかは、ぶんまわしで画いたようにまんまるで、ゴムまりのように白く柔く、この中に小さい胃だの腸だのが、本当にちゃんとそなわっているのかしらと不思議な気さえする。そしてそのおなかの真ん中より少し下に梅の花の様なおへそが附いている。足といい、手といい、その美しいこと、可愛いこと、どうしても夢中になってしまう。どんな着物を着せようが、裸身の可愛さには及ばない。お湯からあげて着物を着せる時には、とても惜しい気がする。もっと裸身を抱いていたい。

この作品の中で一番美しく、人の親や子なら、誰でも共感を覚えるワンシーンではないかと思います。

たぶん昔から、人間の本質は変わらないのです。だけど時代が人々の価値観を固定します。昔は正しかったことが今では間違っていて、昔は間違っていたことが今では正しかったりします。

いつの時代に生まれても、真に正しいことを自分で判断し、確固として、その意思を貫き通すのはむずかしく思います。

そもそも何が正しくて、何が間違いなのか、善悪とはなんなのか、みたいな問題もありますしね。

ですが、いつの時代でも戦争だけはよくないことだと思いたいし、言い続けたい自分がいます。

平和ないまの世に生まれてよかったなと思える自分がいます。

こういうことを考える機会もなかなか見つけにくいように思うので、ぜひ定期的に読みたい作品です。

今上天皇の生前退位が2019年4月と決まり、年号は平成からまた新たなものへと移り変わるわけですが、昭和16年12月8日から100年後、2041年12月8日にもまた読みたいと、そう思える小説でした。

読書感想まとめ

そういうつもりはなかったのかもしれませんが、のちの世の日本人に向けたメッセージ的な小説に思えてなりませんでした。

狐人的読書メモ

――いや、あるいは狙って書いていたのだろうか……だとすると、太宰治という作家の才能は本当に底が知れないと感じる。

・『十二月八日/太宰治』の概要

1942年(昭和17年)『婦人公論』にて初出。主婦の日記という語り口もあるのか、現代でも読みやすく、まさに100年後を見据えて書かれているという気がする。すごくいい小説だと思う。

以上、『十二月八日/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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