狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『牛肉と馬鈴薯/国木田独歩』です。
文字数19000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約50分。
牛肉と馬鈴薯とは現実と理想のこと。
恋愛に倦みたる欠伸。我思う、ゆえに我あり。涅槃。
ラブだんが狐人的流行語。
一年があっという間に過ぎる人、それジャネーの法則じゃね?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
明治時代。芝区桜田本郷町にある明治倶楽部という洋館。七人の男が集まって、酒を飲みながら話をしている。テーマは「牛肉(=現実主義)と馬鈴薯(=理想主義)」について。
まずは上村が話をした。
上村はかつて馬鈴薯(=理想主義)を標榜していたが、現在では牛肉(=現実主義)のほうがいいという。
大学時代から北海道移住に大きな希望を見出していた上村は、大学卒業後、一人の友人と北海道に移住し、開墾事業を始めるも、その友人がたった二ヶ月でリタイアしてしまう。
それでもなお一人開墾を続ける上村だったが、孤独と馬鈴薯しか食べられない貧しい生活に耐えきれず、それから三カ月でやはり北海道を去ることになる。
この経験から得た上村の結論は、現実と理想は一致しないということ。馬鈴薯(=理想)はあくまでもステーキ(=現実)の付け合わせであって、いもだけでは閉口してしまう。理想ばかり追っていては、下手をすれば馬鈴薯だって食べられなくなる。牛肉(=現実主義)が一番だと上村は語る。
それを聞いた近藤が言う。
主義などというものは無意味だし、そんなものを持つから変節するのであって、はじめから主義などというものは持つべきじゃない。
近藤はただ牛肉が好きだから牛肉を食べる。そこに主義などないという。
岡本は近藤の意見に賛成する。
主義ほど愚かなものはない。が、生きている以上は牛肉や馬鈴薯を食べなければならない。
しかし岡本は、近藤のように好き嫌いで肉やいもを受け入れることができないでいる。
その原因は以下のことだと岡本は語る。
岡本にはかつて深く愛し合った恋人がいた。その恋人を亡くしたことで、生きる希望を失った。
近藤は人には二種類の欠伸があるという。
「生命に倦みたる欠伸」と「恋愛に倦みたる欠伸」。前者は男、後者は女がする欠伸であって、つまり女はとかく恋愛に飽きやすい生き物だから、岡本を愛したまま恋人が亡くなったことは、むしろ喜ぶべきである。
さらに岡本が続ける。
岡本には恋人が亡くなって以来抱くようになった「不思議な願い」があるという。それは「びっくりしたい」ということだった。
人は生まれてからいろいろな経験をして、最初は驚きを感じたものに驚くことができなくなっていく。
習慣の力に支配され、物事に慣れていき、感覚が鈍磨する。この習慣の圧力から逃れたい。
人間は「驚く人」と「平気な人」に二分でき、自分も含めて世界中のほどんどの人が「平気な人」なのだ。
そういった言を笑い飛ばす周囲に対し、最後に岡本は「ただ言うだけのこと」だとごまかすが、その顔には明らかな苦痛の色が浮かんでいた。
狐人的読書感想
『牛肉と馬鈴薯』=「現実と理想」
タイトルのこの例えがとても秀逸なものに感じました。
馬鈴薯とはじゃがいものこと、「牛肉とじゃがいも」といえば肉じゃがやカレーライスを思い浮かべてしまいますが、牛肉もじゃがいもどちらも、肉じゃがやカレーライスといった料理には欠かせない食材であり、「現実と理想」についても人生いは欠かせない要素、みたいな、同じことがいえそうですよね。
(ちなみに肉じゃがは英語で「meat and potatoes」なので、まさに『牛肉と馬鈴薯』ですね)
牛とじゃがいもということで北海道のお話が出てきたのかなあ、などと単純に思ったのですが、当時(明治維新以降)はロシアの侵攻に備える軍事的な意味や石炭や木材などの天然資源の確保において北海道開拓はかなり重要視されていたようです。
なので、明治政府が開拓移民を集めるために「理想の新天地へ、さあ行くぞ!」的な喧伝をしたのかと想像してみるのですが、実際の開墾は想像を絶するつらいものだったそうで、ここにもちょっと皮肉な「現実と理想」の響きを感じてしまいます。
ひょっとして、やっぱりこれも狙って書かれているんですかねえ、北海道イコール「現実と理想」のメタファーなのだとしたら、さすが国木田独歩さん、と唸らざるをえませんが、はたして……。
さて、内容についてです。
おもに上村・近藤・岡本が「現実と理想」についてそれぞれの意見を述べるのですが、哲学的な感じがして(とくに岡本)ちょっと小難しく感じました。
とはいえ、おもしろくなかったわけではなくて、とても興味深く読むことができました。
おもしろかったです。
途中、岡本の恋愛談が挟まるところなども楽しめました(不幸な話なので楽しんではいけないのかもしれませんが)。
ところで「恋愛談」というのは本文にそのまま出てきた表現なのですが、なんとなく気に入りました。現代でいうところの「恋バナ」といった表現ですが、「ラブだん」流行らないかなあ、みたいな(ヨだん)。
欠伸に見る近藤の恋愛観もおもしろかったですね。
恋愛に倦みたる欠伸、女性は飽きやすいというのは、言われてみれば頷けるような気がします。もちろん、男女問わず、人間は何事においても同じモチベーションを維持し続けることは難しく、すぐに飽きてしまうということはいえるわけなのですが。
この「飽きる」ということが、岡本の話の終盤において、ひとつ大事なテーマとして語られていますよね。
人間は子供の頃にはいろいろなものが初めての体験で、その物事に触れるたびに新鮮な感動や驚きを感じることができますが、年を取るにつれていろいろな経験を積み重ね、物事に慣れていき、飽きてしまい、感動や驚きを感じることが減っていきます。
じつはこれ、大人になると時間の感覚が短くなり、「あっという間に1年が過ぎる」ということにも関係しているんだそうです。
ジャネーの法則といいます。
主観的に記憶される年月の長さは、子供はより長く、大人はより短く評価される心理学的な現象です。
ジャネーの法則によれば、50歳の人間の10年は5歳の人間の1年であり、また5歳の人間の1日は50歳の人間の10日になるのだといいます。
この原因がまさに「習慣の力に支配され、物事に慣れていき、感覚が鈍磨する」ということなんですよね。
日々同じことを繰り返し、物事に慣れていき、新しい経験や発見がなくなると新鮮な驚きを感じることができなくなってしまい、結果時間の流れが速く感じられるようになります。
学校、仕事、趣味など、日々の生活の中に常に新しい物事を取り入れて、新鮮な驚き(びっくり)を感じられるように努めることが、体感的長生き、充実した人生を送ることにつながるのかと考えれば、岡本のいうところの「不思議な願い」=「びっくりしたい」というのもとても共感できるように思いました。
とはいえ、岡本のいっていることはどうやらこれとは違うことのようなのですが。
岡本のいう「驚き(びっくり)」とは、既成概念にとらわれず、何度でもありのままの現実を直視し、それをもって迷いを失くした状態に至りたいという、仏教の涅槃の思想に近いものだと感じました。
しかしながら、涅槃もひとつの理想であって、実際に人間がその状態に至るのはなかなか困難なことだといえます。
結局のところ、人間は習慣の力に支配され、現実を生きていくしかない――その諦観のような感情が、ラストの岡本のごまかしと苦痛の表情に表れているのでしょう、……たぶん。
十全に理解するのは難しいように感じましたが、まったく理解できないわけではなくて、理解できる部分についていろいろと思ったり考えたりして楽しい小説でした。
とくに哲学好きにおすすめします。
読書感想まとめ
現実と理想。ラブだん。
ジャネーの法則じゃね?
狐人的読書メモ
『忘れえぬ人々』もそうだったけれど、国木田独歩の作品には構成が巧みだと思わされる小説がいくつかある。すべてを意図して書いたのか疑ってしまうほど、自然に書かれていることが本当にすごいと思う。
想像の中で北海道を開拓する描写から『シムシティ』のような都市経営SLGを連想した。
吾とは何ぞや(What am I ?)。我思う、ゆえに我あり。コギト命題。
・『牛肉と馬鈴薯/国木田独歩』の概要
1901年(明治34年)『小天地』にて初出。『武蔵野』と並ぶ著者の代表作のひとつ。哲学小説。構成が見事。
以上、『牛肉と馬鈴薯/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント
下手をすれば馬鈴薯だって食べられなくなる。牛肉(=理想主義)が一番だと上村は語るの部分は牛肉(=現実主義)ではないでしょうか?
訂正しました。ご指摘ありがとうございます。