狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『花吹雪/太宰治』です。
文字数17500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約52分。
黄村先生のドタバタコメディ!
シリーズ3部作の第2作。
テーマは武術!
舞い散る花吹雪の中、
宿命のライバル・杉田老画伯に挑む、
黄村先生の結末やいかに!
顔が大きすぎてモテない、って……
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
「私」が久しぶりに黄村先生を訪ねると、先生は学生たちを相手に気炎を上げていた。「私」はさっそく座談筆記の準備に入る。
今回のテーマは「武術」について。男子の真価は武術にあり、男子は武術のほかには何もいらないのだ、と黄村先生はいう。
いざとなればやっぱり腕力がものをいうし、武術で培った精神がなければ何事もうまくはいかない。
まったく腕力が関係ない仕事でも、しかし古来の大人物たち――森鴎外、勝海舟、文覚上人、日蓮……、みな武術の心得があった。
「私」はこのたびの座談にもやはり感銘を受ける。とくに森鴎外がじつは強かった、という話に興味を覚えて調べてみると、実際小説と日記とにそれを窺わせるエピソードが書かれている。
考えてみれば、キリストだっていざというときにはやった。お釈迦さまもやはり耶輸陀羅姫をお妃に迎えるためにやった。夏目漱石もそうだ。源義家は言うに及ばず、宮本武蔵の『独行道』は剣のみならず人生の達人であることを示している。
「私」は、宮本武蔵の二十一条の生き方と自分のとを比較して、なさけない思いにとらわれる。黄村先生の教えはまったくそのとおりだと思った。
そんな矢先、その黄村先生から一通の手紙が届く。
手紙によれば、黄村先生はあの座談会のあと、一度弓の道場を訪れたそうだが、稽古は散々なものだったらしい。
弓の弦でしたたかに打った耳を、医院で診てもらった帰り道、屋台に寄ってお酒を飲んだ。桜吹雪が舞っていて、お酒は進んだ。そこに日頃から互いによく思っていない、筋骨たくましい杉田老画伯がやってくる。
案の定、その日も杉田老画伯は先生を侮蔑して立ち去ろうとした。しかし黄村先生、今日ばかりはそれに待ったをかけた。先生は、大切な入れ歯を外し路傍に置き、杉田老画伯の左頬を三つ殴った。が、老画伯はただあっけにとられるばかりだった。
黄村先生が満足して入れ歯を拾って帰ろうと思うと、しかし入れ歯は桜の花びらに埋もれてしまい、どこにあるのかわからない。懸命に入れ歯を探す先生の姿がいかにもあわれだったのか、杉田老画伯は親切にも入れ歯を一緒に探してくれる。
その後、入れ歯はなんとか見つかり、黄村先生はさきほどのお詫びに「自分を殴ってくれ」と杉田老画伯に申し出る。老画伯は強烈な一発を先生にお見舞いし、悠々と立ち去っていくのだった。
武術は同胞に対して実行すべきものに非ず。
隣人を憎まず、さげすまないように。
以上、黄村先生は「男子武術が一番論」を取り下げた。
狐人的読書感想
ふむ。黄村先生のドタバタコメディということでよろしいのでしょうか、たしかにおもしろい人ですね。
なんと、この『花吹雪』は「黄村先生シリーズ」三部作の第二作にあたる小説だそうで、僕はまだ他作は読んでいないので、結果的に読む順番を誤ってしまいました。
とはいえ、他の二作(『黄村先生言行録』と『不審庵』)もまたぜひ読んでみたいと思いました。
『花吹雪』はそう思えるくらい楽しめた作品です。
「花吹雪」といえば、やはり桜の花吹雪を思い浮かべて、小説のみならず「桜ソング」とか、日本を象徴する風流な光景ですが、この作品の入りも「桜の花吹雪を浴びて駒を進める八幡太郎義家の姿」という、印象的なシーンから始まります。
この「源義家=成功者」、対する「黄村先生=失敗者」として、人の振り見てわが振り直せということで、反面教師的に黄村先生から学ぼうという、作品の主旨が書かれているのですが、うまいなあと思わされる反面、ひどいなあという気もするんですよね。
「私」は黄村先生を尊敬しているのだろうか?
という感じですが、おかしな行動が人を引きつけて、しかもそれがなんだか憎めない、みたいな人はたしかにいるように思います。
天然とか言ったりしていいんですかね、そういう感じで本当におもしろい人ってけっこうレアな感じがするんですよね。
だからテレビに映るタレントさんとかでそういう人を見かけると、すごいなあと素直に感心してしまうことがあります。
笑わせてるのか笑われてるのか、それがいいのか悪いのか、みたいな話もありますが、計算せずに人を笑わせられるというのはまさにタレント、ものすごい才能だと思えるんですよね。あるいは、あれが計算だったら、さらにすごいと思ってしまいます。
「私」も、こんな感じで黄村先生を尊敬し、慕っていたのかなあ、という気がしました。
つまり尊敬にもいろんなかたちがあるということを書きたかっただけなのですが、ずいぶんと長くなってしまいましたね。
さて。
内容は冒頭に書いたように、ユーモラスなドタバタコメディといった趣です。黄村先生の反面教師的な教訓とはいっても、やはり「安易な暴力はいけないよ」ということをいっているだけなのだと思います。
有名な文学者や宗教家が、じつは武術の心得があって強かったといういくつかの挿話は、「私」のみならず僕も興味深く思いました。
キリストのこととか、お釈迦さまのこととか、もっと調べてみておもしろそうだと感じました。
森鴎外など腕っぷしの強い偉人と照らし合わせて、自分をいかにもなさけなく感じている「私」の姿も印象的でした。
とくに宮本武蔵の『独行道』をなぞって、「私」が自分自身の二十一条を書き連ねているところは、著者の人柄が感じられておもしろいところです。
太宰治さん好きの人はすでに読んでいる人が多いかもしれませんが、たとえば文ストとか文アルとかで、最近実在のほうの太宰治さんにも興味を持った人がいれば、一読の価値があるところのように感じました。
とはいえ、ほぼ一般的な太宰治さんのイメージと変わったところはありませんが。
ただ一か所、僕が意外に感じたところがあります。
九、起きてみつ寝てみつ胸中に恋慕の情絶える事無し。されども、すべて淡き空想に終るなり。およそ婦女子にもてざる事、わが右に出ずる者はあるまじ。顔面の大きすぎる故か。げせぬ事なり。やむなく我は堅人を装わんとす。
上の引用は『独行道』の九条になぞらえて「私」が書いた箇所ですが、僕は太宰治さんといえばモテるイメージを持っているのですが、本人的にはそんなこともなかったんですかね?
顔面の大きすぎる故か、って(笑)
などなど、いろいろと見どころの多い作品でした。
読書感想まとめ
黄村先生のドタバタコメディ。おかしな人なのに不思議と尊敬できることはあるように思う。他人からはモテモテに見えても案外本人的にはそうじゃないってことあるんですかね?(純粋に疑問)
狐人的読書メモ
文武両道にはやはり憧れを持つ。容姿、頭脳、スポーツ――人間は優れたものにどうしても惹かれてしまう。それは反対に劣っているものを見下してしまったり、嫌悪してしまう感情にもつながっていて、そんな心を持っていることがときにどうしようもなくイヤになることがある。
・『花吹雪/太宰治』の概要
1944年(昭和19年)、単行本『佳日』にて初出。当初は1943年(昭和18年)雑誌『改造』にて発表される予定だったが、結局掲載はされなかった。「黄村先生シリーズ」三部作の第二作にあたる作品。ユーモラスな黄村先生のドタバタコメディがおもしろい。
以上、『花吹雪/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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