狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『鏡地獄/江戸川乱歩』です。
文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約34分。
彼の発狂した鏡地獄とはどんなところなのでしょう?
現代ではCGなどで実際に見ることができます。
なので実際に見てきました。
僕の言動におかしなところがあれば……察してください。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
「私」には一人の不幸な友達がいた。彼は小さい頃からレンズや鏡に異常な愛着を持っていた。彼は鏡を使っていろいろな仕掛けを作り、それらはいつも「私」を驚かせた。
彼のレンズや鏡に対する異常な嗜好は、だんだんエスカレートしていった。中学を卒業すると上の学校には進まずに、自宅に専用の実験室を新築して趣味に明け暮れるようになる。
ある年、流行感冒のために彼の両親が亡くなると、彼はもはや誰にも遠慮することなく、受け継いだ莫大な遺産を使って実験を行えるようになる。彼も二十歳を越え、女への興味と相まって、その嗜好はさらに異常性を増していく。
もともとあまりよくなかった彼の健康がそこなわれはじめると、それに反比例するように彼の異常な病癖もますます募るばかりとなった。彼は残りの財産を全て投げ打ち、さまざまな形の鏡の収集・製造を開始した。
彼には一人の親戚もおらず、また召使いたちが彼に意見できようはずもなく、たった一人の友人として「私」は彼の暴挙を止めようとしたが、狂気にとりつかれた彼の耳にその言葉が届くことはなかった。
ある朝、彼の召使いの一人が慌てた様子で「私」のところへ駆けつけてきた。「私」が急いで彼の実験室へ行ってみると、そこには一つの大きな玉が、まるで生き物のように転がっている。
中からは笑い声のような唸りが、シューシューと響いてくる。
「私」はハンマーを見つけてその玉を叩き壊した。案の定、玉の中に彼はいた。衰えていた彼の相貌は、無残なまでに変わり果てていた。
言うまでもなく、彼は発狂していた。
「私」が玉を調べてみると、内部は一面鏡張りで、中が見えるように光源が設置されていた。彼は全面鏡張りの球体の中で一晩を過ごしたのだ。
彼はいったい何を見たのか?
発狂してしまうほどの何を……。
私は恐怖を感じて想像することを途中でやめた。そこは想像することさえ許されない、恐怖と戦慄の人外魔境、恐るべき悪魔の世界、鏡地獄であったにちがいないのだ。
狐人的読書感想
『鏡地獄』は江戸川乱歩さんの短編怪奇小説ですが、「怪奇的に」というよりも、「物理的あるいは科学的に」興味深いことが書かれています。
やはりというべきか、江戸川乱歩さんも当時の科学雑誌(『科学画報』)のQ&Aコーナーからこの「鏡の球体」のアイデアを得たそうで、「球体の鏡の中に入ったら自分はどう見えるの?」という疑問は「たしかにどう見えるんだろう?」と思わされてしまいます。
こういった「普段なかなか思いつかないけれど、言われてみればたしかにどうなんだろう?」という疑問は本当におもしろいですよね。調べてみると意外な驚きがあったりします。
そんなわけで調べてみましたが、なんとテレビ番組で実際に実験されたことがあるそうです(2007年10月11日放送の『驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP』)。
この番組では嵐の櫻井翔さんが、実際に「鏡の球体」に入った感想と、目線カメラが映した映像が放送されたようなのですが、要約すると鏡地獄の世界で見える光景は以下のような感じです。
・鏡張りの球体の中では自分の姿が立体的(3D)に見える
・玉の中心から前方では自分の姿がクリアに映る
・後ろへ移動するとだんだん顔が大きく見える
・玉のちょうど中心辺りで顔と背中が同時に映る
・玉の中心より後ろでは自分の姿が逆さまに見える
ネットで探してみると、これをCGで再現している動画もありました。
不思議でちょっと気味の悪い映像でしたが、作品内で描かれているように発狂するほどではない、という気がします。
ただ、閉所に閉じ込められるだけで人の精神は相当疲弊しますからね。現実離れした映像を見せられ続けて、そこから想像力が恐怖を増幅することだって充分にありえる話なので、一概にないとはいえない、という気もします。
作中の語り部である「私」は、鏡地獄を「到底人間の想像を許さぬところ」と語っていますが、現在では以上のように見ることが可能で、だけどやっぱり人を発狂させるほどの恐怖というものは、現実世界というよりも人の想像の世界が生み出すのかな、ということを改めて認識させてくれる作品です。
この小説を読んで一つ思わされたことは「人の悪いところを指摘して、それを改めるよう忠告することのむずかしさ」みたいなことです。
小説の中で暴走する「彼」を召使たちはとめようとしませんでしたが、これは仕方のないことのように感じました。
もしも彼に意見して、怒りを買ってクビになってしまったら困りますしね。
自分の利益や不利益を考えずに、他人へ忠告できる人はいないんじゃないかと思います。
それは善いことだとか悪いことだとかいう前に、当たり前のこととして受け入れている自分がいます。
自分の悪いところを教えてくれる人というのは本当に貴重な存在だと思うのですが、実際に自分の悪いところを指摘されると素直に受け入れられない自分がいます。
頭ではわかっていても、そのときの気分などでできないことがあるんですよね。
反省させられるところです。
さらに難しいのは友達や恋人や家族など、自分に近い人にちゃんとこれができるだろうか、ということですよね。
自分に近しい人が悪いこと、ちょっとした悪いことをしたとしても見なかったふりをしてしまうように思います。
「そんなことで関係を壊したくない」というような気持ちがどうしても先行してしまうんですよねえ……、それでは真の友達や恋人や家族とはいえないのかもしれませんが。
「悪いことをはっきりと悪いといえる関係」が、あるいは友達や恋人や家族としての、一つの条件といえるのかもしれません。
「彼」の暴挙をとめようとした「私」のふるまいは見習うべきものだと感じました。
とはいえ結果を出せなければ意味がない、といったうがった見方もしてしまいましたが。
しかしながら「重要なのは結果じゃなくて何をなそうとしたかだ」ともいいますしね(というのはいささか自分本位な意見でしょうか?)。
悪いことを悪いといえる家族・恋人・友達になりたいし、また悪いことを悪いといってくれる家族・恋人・友達であってほしいと願いますが、僕にそれはなかなかむずかしそうです、というのが今回の読書感想でした。
読書感想まとめ
鏡地獄を実際に見て見ました。
狐人的読書メモ
日常生活の中でとくに役に立たない雑学でも、なんとなく知りたいとおもしろく感じてしまう。これは小説の中にこそ取り入れるべき手法なのではなかろうか、などと思ったらやはり当たり前のように小説で用いられている手法だった。
・『鏡地獄/江戸川乱歩』の概要
1926年(大正15年)10月、『大衆文芸』にて初出。江戸川乱歩の短編怪奇小説だが物理的・科学的に興味深い作品だった。『鏡地獄』の題材はやはり多くの人の興味を惹くものらしく、テレビや映画などでもたびたび取り上げられたりしている。
以上、『鏡地獄/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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