狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『琵琶伝/泉鏡花』です。
文字数15000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約32分。
親の決めた許嫁と結婚した女には、他に好きな男がいた。
嫉妬が人を鬼にし、愛が人を獣にする。
「愛してる」って気持ちが全部
自己本位に感じられてしまうのは僕だけ?
泉鏡花はやっぱりいい!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
清川お通は陸軍尉官の近藤重隆に嫁いだ。しかし、それはお通の望んだことではなく、互いの親同士が決めた結婚だった。お通にはほかに好きな人がいた。それは相本謙三郎という彼女の従兄だった。
謙三郎は早くに両親をなくし、清川の家で養子として育てられた。清川の家には琵琶という名のオウムが飼われていて、これを呼ぶと「ツウチャン、ツウチャン」と言うほどによく飼い馴らされていた。お通と謙三郎は琵琶を伝令にして遊んだりするうち、互いに互いを想い合うようになった。
近藤はそのことに嫉妬していた。お通の気持ちがどうしても自分に向かないことを知ると、彼女を一軒家に幽閉した。
謙三郎は彼女に逢うためその一軒家を訪れるが、その際見張り番をしている老人の命を奪ってしまう。さらに徴兵されていた謙三郎は脱営の罪も犯しており、お通の顔を一目見る間もなく捕らえられ処刑されてしまう。
近藤はすべてを把握しており、お通に近藤の処刑シーンを見せた。お通はもはや生きる気力を失くし、しばらく実家で療養することを許された。
お通は謙三郎のいない書斎で、彼の写真に「謙さん、謙さん」と呼びかけながらお茶などを入れて暮らした。母も娘の心を察すると、それをやめさせることなどできなかった。
そんな日々が一ヵ月ほど過ぎたある日、「ツウチャン、ツウチャン」とオウムの琵琶が呼ぶ声に導かれて、お通は謙三郎の墓にやってくる。すると、近藤が健三郎の墓を蹴り上げ、ツバを吐きかけているところに出くわす。お通の怒りが限界を超える。
お通はすさまじい形相の獣となって、近藤の喉笛を食い破った。口を赤い血で染めながら、お通は謙三郎の墓に寄り添うように倒れた。
「ツウチャン、ツウチャン、ツウチャン」
琵琶はしきりに名を呼んだ。
狐人的読書感想
おもしろかったです、……てか、怖かったです。
いくら嫉妬のためだとはいえ、ここまでやってしまう近藤って……。あらすじだけだと十全に伝わらないかもしれませんが、やり方がかなり陰険なんですよねえ。
陰険な復讐のイメージって、なんとなく女性の印象が強いのですが、お通の復讐は衝動的なものとはいえ男らしいというか、さっぱりきっぱりしたもののように感じてしまいます。
「陰険」ということについては、おそらく個人の資質によるもので、男女の差なんてないんでしょうね、きっと。
しかしながら愛情が強いゆえに憎しみも強くなってしまい、だからこそ愛情を裏切られたと感じたときに生じる嫉妬の気持ちも大きくなってしまい、それで陰険な復讐に走ってしまうというのはわかるような気がします。
ただ、その場合の愛情というのは、相手を想う愛情なのか、自分に対する愛情なのか、という点についてはいつもわからなくなるのです。
これは恋愛のみならず、家族、友人など幅広くいえることのように思っています。
なんとなく自分が愛情だと感じているものが、じつはただの「自己本位なおしつけ」にすぎないのではなかろうか、などと、ふと思うことがあります。
たとえば、親に愛情を感じるのはおこづかいをくれたり、ご飯を食べさせてくれるからなのではないか、とか。
たとえば、友達に友情を感じるのはゲームや本を貸してほしいだけで、一緒にいるのは自分が楽しみたいだけなんじゃないか、とか。
自分が、自分が、自分が――。
家族に対して愛情を感じるのも、友人に対して友情を感じるのも、恋人に対して恋愛感情を抱くのも、みんな自分のためを思っての感情なのではなかろうか、などと、うがった考え方をよくしてしまうんですよね。
これの反論としては「母親の無私の愛情は唯一無二のもの」みたいなこともいわれますが、それにしたって「自分の遺伝子を残すための本能」から生じる自分本位であって、けっきょくのところ「至高の愛」「無私の愛」などというものはこの世界のどこにもないのかもしれません。
……なんだかひねくれものの僕にふさわしいひねくれたものの言い方になってしまっていますが、あるいはこれはみんなが知っている当たり前のことなんですかね?
生物である以上、動物である以上、自分本位であることが必ずしも悪だということはできません。
自分の命を助けるために、家族や友達や恋人を見捨てて逃げたとして、それは人間の道徳的には悪いことだといえるのかもしれませんが、他人がそれについて「悪」だと責めることはできないことのように思えます。
ただし、それを悪いと思える心を持っているのも人間なんですよねえ。だから自分本位であることにうしろめたさを感じてしまう。
うしろめたさを感じずに自分本位に生きられたらどんなに楽だろうなあ、などと考えてしまうことがありますが、結局自分本位なだけの人間は集団から排斥されてしまい、うまく生きてはいけません。
――などと人間の心の在り方のむずかしさを感じた小説でした。
『琵琶伝』は泉鏡花さんが師である尾崎紅葉さんの『やまと昭君』をモチーフとして書かれた小説だそうです。これらの先行作品には中国の『琵琶行』や『琵琶記』が挙げられるとのこと。
「おもしろ怖い」といえば泉鏡花さんらしい作品だと僕は感じるのですが、ほかにも泉鏡花さんらしさが出ている部分として、戦争に対する、また封建的な結婚制度に対する反対的な意味合いが含まれているように感じられて、この作品は大変興味深いです。
いずれにしてもかなり先進的な考え方を持っていた方のようですね、泉鏡花さんは。
前回の泉鏡花作品の読書感想は『愛と婚姻』という随筆だったのですが、これには泉鏡花さんの結婚観が如実に表れていて、非常におもしろいです。
『琵琶伝』と『愛と婚姻』はぜひともセットでオススメしたい作品だと思いました。
読書感想まとめ
愛とはすべからく自己本位、だけどそれでいい?
狐人的読書メモ
文豪には変わった人が多いが、泉鏡花はその中でもとくに変わってる。泉鏡花の人柄に興味を持つ。
・『琵琶伝/泉鏡花』の概要
1896年(明治29年)1月、『国民之友』にて初出。反戦や結婚観など当時としては先進的な著者の考え方がうかがえる小説。
以上、『琵琶伝/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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