狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『南島譚 -02 夫婦-/中島敦』です。
文字数8000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約26分。
一人の男を巡り女同士が決闘をするヘルリスという風習がある。
最恐無敗・浮気者の妻が夫の恋人・華麗な美女に挑む!
その結末やいかに?
ついつい口出ししたくなりますよね。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
ギラ・コシサンとその妻エビルの話はパラオに広く伝わっている。ギラ・コシサンはとてもおとなしい男だった。その妻のエビルは浮気者で、その上大変嫉妬深く、いつもギラ・コシサンを悲しませていた。
パラオでは、痴情にからむ女同士のケンカのことをヘルリスという。ヘルリスは衆人環視の中で堂々と行われる。一人の男を巡って二人の女が決闘する。ただし武器を用いてはならない。決闘は素手で行われ、相手の衣類をすべてむしり取ったほうが勝者となる。勝者は衆人たちの祝福を受け、いかなる理由があっても常に正しいと認められた。エビルはヘルリスの無敗の王者だった。
あるときギラ・コシサンの住んでいる部落に、べつの部落からリメイという美人が働きにきた。ギラ・コシサンは一目で運命的なものを感じ、二人はたちまち恋仲となる。
当然エビルは嫉妬に狂った。リメイにヘルリスを挑み、そして見事に惨敗した。家に帰るとその怒りの矛先は夫のギラ・コシサンに向けられた。ギラ・コシサンもわざわざ家に帰らず、ヘルリスの勝者リメイのもとに逃げればよいものを――習慣は我々の王者である。
狂乱と暴風ののち、ようやく和解が成立した。ただしそれには妻からの条件があった。その条件とは、ギラ・コシサンがリメイときっぱり別れた上で、自らカヤンガル島に渡り、そこで豪華な舞踊台を作らせて持ち帰り、「夫婦固めの式」を行うことだった。
ギラ・コシサンはカヤンガル島に渡った。舞踊台を完成させるのにひと月の時がかかった。その間もギラ・コシサンが考えるのはリメイのことばかりだった。
ギラ・コシサンが舞踊台を持って家に帰ると、エビルは男を連れ込んでいた。その様子を覗きながら、ギラ・コシサンはほっとした。そして少しばかりの寂しさを感じた。
ギラ・コシサンはリメイのもとに走った。美しいリメイは他の男たちに口説かれていたが、ギラ・コシサンが必ず来てくれると待ち続けていた。ギラ・コシサンは浮気な妻と貞淑な恋人のことを比較しないわけにはいかなかった。
二人はリメイの故郷に逃れ、そこで結婚式を執り行った。一方エビルは、ことの次第を知って怒り狂ったが、すぐに村で二番目に金持ちの男と再婚した。
ギラ・コシサンとエビルは、それぞれ別々ではあるものの、幸せな後半生を送ったという。
狐人的読書感想
中島敦さんの読書感想は前回に引き続き『南島譚』です。
第二話は「夫婦」。
最近の読書やニュースでは、夫婦あるいは夫婦の問題について思わされることが多いのですが、古今東西、男女関係、夫婦関係といったものは永遠のテーマだという気がしますね。
先日泉鏡花さんの随筆『愛と婚姻』を読んで、結婚というものは親孝行であり、世間に対する体裁であり、子孫繁栄や社会機能を維持するための社会システムであるという見方を知ったのですが、人間は感情の生き物であるからこそ合理的な社会システムを構築できません。
少子化問題で悩まされているのならば、多夫多妻制を取り入れればいいんじゃないか、などと単純に考えてしまったのですが、しかし男女の関係には嫉妬がつきもので、なかなか動物や昆虫のようにはいきませんよね。
なればこそ、一人の人を一生愛して、一生を添い遂げる一夫一妻制が先進国では主流なわけですが、一人の人を一生愛して、一生を添い遂げることができないのもまた人間なんですよねえ……。
最近は芸能人の浮気報道が多く見られますが、これは夫婦間だけの問題なので、他者が口出しすべきことではないのだと分かってはいるのですが(とはいえ国民の規範となるべき政治家については話が別ですが)、なんとなく興味深く見てしまいます。
たとえばですが、芸能人の夫が浮気をして、妻がそれを許してくれて、その奥さんの態度が立派だという報道があると、なるほどそのとおりだなあ、などと思ってしまうのですが、ふと、夫側の事情にも思いを馳せてみたくなります。
夫はテレビに出て一生懸命に働いて、子供のお弁当や送り迎えなどもしっかりとやって、しかし妻はというと一日中家でゴロゴロしている――などと想像してみると、一概に奥さんが立派だとはいえないように感じますし、夫のほうに鬱憤が溜まってしまうのもわかる気がするんですよね。
とはいえもちろん浮気はよくないことで、家庭での夫と妻の在り方には結婚した段階でそれぞれに責任が生じるので、そんなことは別にして語らなければならないのでしょうが、上のような事情があると、浮気をしてしまった夫にも同情の余地があるふうに感じてしまいますよね。
傍観者はただ夫婦の事情を想像するしかなく、実際の事情など知る由もなく、ゆえに本来は口出しをすべきではないのですが、どうしても興味深く見てしまうのが浮気同様悲しき人間の性というものかもしれません。
さて、『南島譚 -02 夫婦-』の内容ですが、おとなしい夫ギラ・コシサンと恐ろしい妻エビルが事実上離婚するまでのお話でした。
この小説では妻のほうが浮気者で、夫はそれにずいぶんと悲しまされていたようですが、やはり結婚した段階で、お互いの行いにも責任が生じると考えるならば、相手が何をしたところで結婚した自分の責任でしょ、ということになるのですが、そうはいっても夫ギラ・コシサンをあわれに思ってしまいますよね。
第一話の「幸福」でも思ったことですが、南島譚は普段触れることのない異文化、すなわちパラオの風習がとてもおもしろいです。
一人の男を巡って二人の女が決闘をするヘルリスには、誰しも興味を惹かれてしまうのではないでしょうか?
西洋では一人の乙女を巡る騎士の決闘というのが、オーソドックスな決闘のイメージだと思うのですが、南洋では女同士の決闘が主流だったんですかね? たしかに南の島の女性というのはなんとなく強いイメージがあります。
最強無敗のエビルをヘルリスにて華麗に打ち負かした美女リメイは、どことなく女神を思わせるヒロインで、創作の良いモチーフになりそうな気がします。
ひとつ印象に残ったフレーズがあります。
『習慣は我々の王者である』
――というものなのですが、シェークスピアさんの『ハムレット』に『習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、反面それは天使の役割もする』というものがあって、ふとこれを思い出しました。
習慣というものはなかなか抜けないものだという意味合いにおいて通じるところのある言葉ですが、よい習慣を心がけたいものです。
結局この物語のオチは、ギラ・コシサンとエビルが離婚して、それぞれに新しいパートナーを見つけて幸せな後半生を送りました、というものでしたが、これはいまでも現実的なひとつの真実をいっているように感じました。
夫婦のどちらかが浮気をして、一方がそのことを許し、老いればそれも笑い話となって、一生幸せに添い遂げることができた、なんて話はたしかに美談の趣があるようにも感じられますが、実際にはまれなのではないでしょうか?
人間一度裏切られれば、そのしこりは必ず心のどこかに残り、一緒にいることがただただつらいばかりになる気がします。
現在離婚が多いのも、そのほうがお互いに(少なくとも裏切られたほうは)幸せになれるからだという証左ではないでしょうか。
人間は誰しも過ちを犯すもの、それを許せる心の広さを持ちたいとは願うのですが、現実を見ればやっぱり許すよりも別れたほうが幸せになれると考えて行動するケースのほうが多いように感じてしまいます。
他人の夫婦関係に口出しをすべきではありませんが、みなさんの夫婦関係はどうでしょうか? ――などとやはり気になってしまうのが人間の悲しい性だという今回のオチ。
読書感想まとめ
他人の夫婦関係にとやかく言うべきじゃないのだけれど、どうしても口を出したくなってしまうんですよね。
狐人的読書メモ
ヘルリスにはもうひとつ、強いものこそ正義だという自然の摂理が含まれている。これは非常にわかりやすいし、また本能的に受け入れやすいのでたびたび大多数がこれを支持してしまうことは歴史上多いように思う。
がしかし、絶対に正しい正義も、絶対に間違っている悪もこの世には存在しない。善悪の概念は結局のところ人の主観に過ぎない。
人間は人に流されずに自分で正義と悪を見定めなくてはならない。たとえそれで滅びることになったとしても。これもひとつ人間の悲しき性であろうか。
・『南島譚 -02 夫婦-/中島敦』の概要
1942年(昭和17年)11月『南島譚』(問題社)にて初出。夫婦関係について考えさせられる小説。やはり南島の異文化がおもしろかった。
以上、『南島譚 -02 夫婦-/中島敦』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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