鉛筆のシン/夢野久作=200字の短おもしろイイ小説!鉛筆のシン豆知識(受験生・絵描き向け)

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

鉛筆のシン-夢野久作-イメージ

今回は『鉛筆のシン/夢野久作』です。

文字数214字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約1分。

電子書籍で常に携帯したい。約200字の短おもしろイイ小説!
140字小説・ツイッター小説は小説か否か。
人のせいにするか自分のせいにするか。
受験生・絵描きの鉛筆のシン豆知識。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(214字! 1分かからない! ぜひ!)

『鉛筆のシン/夢野久作』

子供が鉛筆を削っているとあまり無茶に削るので何べんでもシンが折れました。

「このナイフがわるいのだ」

と子供は言ってナイフを磨いでコシコシ削りましたが、やっぱりポチポチと黒いシンが折れます。

「この鉛筆がわるいのだ」

と子供はカンシャクを起して鉛筆を折ってしまいました。

「もっといい鉛筆でなくちゃ駄目だ」

鉛筆は折られながら言いました。

「あなたの心をもっといいのにとりかえなくちゃ、いくらいい鉛筆を買ってもだめです」

狐人的読書感想

鉛筆のシン-夢野久作-狐人的読書感想-イメージ

アーネスト・ヘミングウェイさんが、わずか6つの単語のみで小説を作った、というのは有名なお話でしょうか?

『For sale: baby shoes, never worn.』
(売ります : 赤ちゃんの靴、未使用)

また、「小説は40字(原稿用紙2行)で作れる」と言った方もいらっしゃるそうです(こちらは真偽、詳細は不明、偽話だったらごめんなさい)

かたや、短すぎる小説、たとえば140字小説・ツイッター小説というものを小説としては認められない、という向きもあります。

物語としての構成、世界観というものを感じる前に、さらさらっと読み終えてしまうので、これは小説とはいえないのではなかろうか、というご意見には頷けるところがあります。

しかしながら、どんなに短くとも(短いからこそ)、より人の心に響く小説というものがある、と、僕などは思っているのですが、ただ便宜上、ある程度明確なカテゴライズは必要だ、という意見にも同様に頷かされるところはあります。

結局カテゴライズというものは、専門家の方なりがわかりやすい理屈で分類したものを、多くのひとが納得して受け入れられたものが、一般的なものとして普及するわけですよね。

だけど、個人レベルでは「これは小説なんだ!」と言い張ってしまえば、あえてそれは反論することでも(すべきことでも)ないように思えて、その意味では人間の決めた概念や定義といったものの曖昧さを思わされます。

こういうことって、けっこう論争にまで発展していたりしますよね。

有名人の地元が生まれた場所なのか育った場所なのかとか(最近だと「第72代横綱・稀勢の里さんの地元が牛久市か龍ケ崎市か」、「直虎の商標権をめぐる、静岡県の浜松市と長野県の須坂市」、というのが印象に残っています)、名所と呼ばれる地域にどこまでが入っているのか(どこからどこまでが湘南なのか)とか。

(……う~ん、あまりいい例示ではなかったかもしれませんが、言わんとしていることが伝わっていれば幸いです)

なんとなく、利害がかかわっていると、激化している気がするのはおそらく気のせいではないはずですよね。

あるいはそのことに対する愛情とか思い入れが強い場合も同様のように思われます。

どちらも(それぞれの意味で)大切なことですが、しかしたいていの場合は「どちらでもいいよ」ということのほうが多いような気もします。

小説の場合にしても、愛情や思い入れが強いゆえに、140字小説・ツイッター小説というものを小説として認めたくない、というのはよくわかります。

これは、やはり誰かが強制できるものではなくて、個々人の判断に委ねられていて、それぞれがそれぞれの認識を持って楽しめればいいのかなあ、ということになるのでしょうか。

おもしろければすべてよし、ということは小説のみならず、マンガ、アニメ、ゲーム、ドラマ、映画――かなり広い範囲でいえることなのですよね。

たまに、140字小説・ツイッター小説を小説とは認められない! という方々がそれを認めたくなってしまうような140字小説・ツイッター小説を書けないものか、とか考えてしまうのですが、さすがにこれは、僕には大それた考えかもしれません。

書き手がそれを小説だと言って、読み手がそれを小説だと認めれば、たしかにそれは小説なのだといえるのかもしれません。

で、要は何が言いたいのかといえば、すなわち、短くても(短いからこそ)いい小説というのは本当に存在するんですよねえ、ということが言いたかったのです(あくまでも狐人的な感想として、てか、そのためだけの前置きが長過ぎですが……)

『鉛筆のシン』は、短い中にユーモアと教訓が含まれたおもしろすばらしい小説だと思いました。

僕も子供のように八つ当たりしてしまいそうになることがたまにあります(おいおい)

わかりやすい(かはわかりませんが)例を挙げれば、「タンスの角に小指をぶつけた!」みたいな、自分の不注意で何かに身体を強く打ちつけてしまったときなどでしょうか?

「人のせいにするか自分のせいにするか」

――というようなことは、僕としては常に意識しておきたいことなのですが、イライラしていたりすると、これをついつい忘れていることが多いように思います(僕の心ももっといいのにとりかえなくちゃ、ですかね、汗)

電子書籍で常に携帯しておいて、ちょっとした暇に読みたいような、そんな短イイ小説でした!

読書感想まとめ

140字小説・ツイッター小説は小説か否か。

人のせいにするか自分のせいにするか。

電子書籍で常に携帯したい。

狐人的読書メモ

鉛筆のシン-夢野久作-狐人的読書メモ-イメージ

(受験生・絵描きの鉛筆のシン豆知識)パソコン・スマホの普及によって、文字が書かれなくなってきている、といわれているのを聞いたことがあるが、ふと、シャーペンができても鉛筆ってなくならないな、ということを思った。絵を描く人ならわかるのかもしれないが、絵は鉛筆のほうが描きやすいという意見がある(最近はパソコン・ペンタブ・ペイントソフトの3種の神器があるので、これが古い考えなのかどうかはわからないけれど)。マークシートの試験でシャーペンが禁止され、鉛筆が推奨される理由は、シャーペンだと読み取り装置が読み取れない可能性があるかららしい。なんとな~く現代の技術なら解消できるような気がして、思わずうがった見方をしてしまいそうになるけれど、鉛筆はまだまだなくならないかもしれない。

・『鉛筆のシン/夢野久作』の概要

1924年(大正13)年2月7日『九州日報』にて初出。夢野久作の「九州日報シリーズ」。発表当時の署名は「香倶土三鳥」。短おもしろイイ小説。

以上、『鉛筆のシン/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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