狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『点鬼簿/芥川龍之介』です。
文字数4500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約18分。
母、一番上の姉、父、
これが芥川龍之介の点鬼簿に記された者たちの名前である。
病気で子供を愛せなかった母、よくできた姉、愛情薄かった父。
親、兄弟姉妹。家族について思う小説。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
これは芥川龍之介の『点鬼簿』。
母
母は狂人だったという。著者はこの母に一度も母らしい親しみを感じたことがなかった。それは母が病気であったために、面倒を見てもらえなかったからだ。たまに絵を描いてくれた。が、絵の中の人物はすべて狐の顔をしていた。著者が11歳の秋に母は亡くなった。母が危篤となった一日目、著者は二番目の姉とふたり、母の枕元で泣いた。翌日著者に悲しみはなく、泣き声を絶やさない姉の横で、泣くふりをした。泣かれない以上、母は亡くならないと信じた。三日目の晩に母は亡くなった。母の命日と戒名をよく覚えているという。それを覚えていることは、十一歳の著者にとってひとつの誇りだったから。
一番目の姉
著者は三人姉弟であるはずだったのだが、一番目の姉は著者が生まれる前に亡くなっている。初子という名前で、姉弟の中で一番賢かったらしい。そして両親の愛情を一番受けたのもこの姉だったという。著者はこの姉については戒名を覚えていない。しかし命日が四月五日であることだけは妙にはっきりと覚えている。もしこの姉が存命ならば四十を越えるはずだ。著者はたまに四十くらいの女性がひとり、自分を見守っているように感じる。それが母なのか姉なのかはわからない。
父
著者は母が発狂したために、生まれるとすぐ養家に来ていた。だから父にも冷淡な思いがある。著者の父は牛乳屋で小さな成功を収めていた。バナナ、アイスクリーム、パイナップル、ラム酒――当時新しい果物や飲料を教えてくれたのは父だった。これらの物でつって、子供を取り戻そうとしていた。が、著者は養家の父母を愛していたので、この勧誘は功を奏さなかった。父は短気だった。著者が中三のとき、相撲をとって投げ倒されると、意地になって挑んできた。著者二十八歳のとき、父はこの世を去った。その前日、手を握られながら、母と結婚した当時の話などを聞くと、瞼が熱くなったという。父の葬式がどのようなものだったか、覚えていない。
――夫婦で久しぶりに墓参りに行った。母の埋葬を思い出した。そして姉の埋葬も想像した。ただ父のことだけは、細かに砕けた骨の中に金歯の交っていたことしか覚えていない。墓参りは好きになれない。彼ら三人は幸福だったろうか?
陽炎や塚より外に住むばかり。
狐人的読書感想
『点鬼簿』とは「亡くなった人の名前を書き記しておく帳面のこと」なのだそうです。芥川龍之介さんの『点鬼簿』。自伝的、私小説的な小説といってよいのでしょうか。これもやはり、晩年の作品だけに、著者自身の最期を連想させられる作品だったように思います。
芥川龍之介さんの『点鬼簿』に記された者の名前は、母、一番上の姉、父――そして最後に墓参り。四章立ての構成です。それぞれ順番に思ったことを書き綴っていきたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。
まずは母です。一番思わされることの多かった章です。
「僕の母は狂人だった」という、ちょっとショッキングなフレーズからはじまって、そのために著者は母親に面倒を見てもらったことがないと語られ、母に一度も母らしい親しみを覚えなかったといいます。
このあたり、仕方のないこととはいえ、切ない気持ちにさせられてしまいます。子供が愛情を感じられないというのは、多くの場合親の側に責任があるように僕は思うのですが、しかし今回の場合、「母は狂人だった」というところが難しいですね。
病気で子供をかまってあげられないというのは客観的に見てどうしようもないことだと思います。とくに重病だったりで、意識がなかったりおかしかったりするケースではなおのことそうなるでしょう。
子供の正しい在り方としては、親の事情を理解して、それでも親を愛する――というのが理想なのかもしれませんが、現実的にはなかなか難しいですよね。もしもそんな聖人みたいな子供が実際にいたら、ひねくれものな僕などは「ひょっとして演技なのでは……」とか疑ってしまいそうです。
親に褒められたい、先生に褒められたい――愛情を感じたいから演技をしてしまう子供というのは想像しやすい気がします。疲れてしまわないだろうかと心配になります。
このいわゆる「いい子の演技」に気づくのは、親でもけっこう難しいことなのではないでしょうか?
生涯いい子を演じ切れれば、それはもう聖人であるといって過言ではなく、偽物が本物になることにも似た、感嘆や尊敬の念を抱いてしまいますが、現実では無理をしすぎて破たんするケースがほとんど、という気がしています(先天的な聖人も後天的な聖人も創作のモチーフとしては興味深い題材)。
「いい子の演技」はできるだけ早く破たんしてしまったほうがいいと、狐人的には思いました。親が気づいてあげるにせよ、本人が気づくにせよ、限界を迎えてひきこもったりグレたりするにせよ――いずれにせよ、早く立ち直るためには、なにごとも早いに越したことはありません。
この『点鬼簿』の著者は、本当の両親から愛情を受けられなかったという思いを、ずっと抱えたまま大人になってしまいました。
あるいは本当の親の愛情というものは、義理の親、先生、恋人や友人から得られる愛情で代替可能なものかもしれず、やはり唯一無二のものなのかもしれない、だからこそあのような結果になってしまったのかと……、いろいろ考えさせられるところでした。
母の件が長くなってしまいました。つぎは一番目の姉です。
長男長女が一番かわいがられるというのは世の常であると感じました。少なくとも、弟妹はそう感じるものなのではないかなあ。しっかり者の長男長女というのもまたイメージしやすく思います。
作中の初ちゃん(初子)も姉弟の中で一番賢かったといわれていて、それを聞かされて育つ妹弟の胸中には察せられるところがあります(しかも、もうその姉を超えることはできないだろうという状況はなかなか堪えそうです)。妹、弟の苦悩みたいなものを思わされてしまいました。
そして父ですね。
この父親も、あまりまともな印象は受けませんでしたねえ。物で子供をつろうとは(僕などはひっかかってしまいそうですが……)。親が忙しくて、いくら物質的なもので愛情を示しても、やはり子供の愛情の飢え(精神的愛情の希求)は満たせないものなのかもしれません。
最後の墓参りのシーンで、父のことだけは「細かに砕けた骨の中の金歯」しか思い出せなかったところに、著者のそういった思いが込められているように感じました。
もうひとつ、最後の補足で、『陽炎や塚より外に住むばかり』という一句が挿入されているのですが、これは松尾芭蕉の弟子である内藤丈草さんという方の俳句で、「虫のカゲロウは成虫になると寿命が短い。ゆえに墓の外に生きていても、それは墓に入っているのと同じことだ」という意味があります。
不吉な余韻の残る終わり方です(やはり著者である芥川龍之介さんの晩年を連想してしまうからかもしれませんが)。
読書感想まとめ
親、兄弟姉妹――家族について思う小説。
狐人的読書メモ
狐が出てきた!(それだけ!)
・『点鬼簿/芥川龍之介』の概要
1926年(大正15年)10月1日発行の『改造 第8卷第11号』にて初出。自伝的、私小説的、短編小説。不吉さただよう、芥川龍之介さんの晩年を思わされる作品。
・ちょっと気になったこと引用集
僕はいつか西廂記を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、――痩せ細った横顔を思い出した。
――西廂記。王実甫による、中国、元の時代の戯曲。全21幕。正式タイトルは『崔鶯鶯待月西廂記』。旅の書生・張珙が崔鶯鶯と結ばれるまでの恋愛物語。
僕はその次の晩も僕の母の枕もとに夜明近くまで坐っていた。が、なぜかゆうべのように少しも涙は流れなかった。僕は殆ど泣き声を絶たない僕の姉の手前を恥じ、一生懸命に泣く真似をしていた。同時に又僕の泣かれない以上、僕の母の死ぬことは必ずないと信じていた。
――なんとなく子供の複雑な心境が察せられる。僕が泣かれない以上、僕の母の死ぬことはないと信じていた気持ちには切ないものがある。
僕は納棺を終った後にも時々泣かずにはいられなかった。すると「王子の叔母さん」と云う或遠縁のお婆さんが一人「ほんとうに御感心でございますね」と言った。しかし僕は妙なことに感心する人だと思っただけだった。
――王子の叔母さんも、そうとしか声のかけようがなかったのかもしれない。
僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇りの一つだった為であろう。
――子供が妙なことを覚えている心理というのは、たしかにこういうことなのかもしれない。
「これはお前と同じ名前の樹。」
伯母の洒落は生憎通じなかった。
「じゃ莫迦の樹と云う樹なのね。」
――伯母と初ちゃんの思い出話。ユーモアを感じた。ちなみに本当の樹の名前は『莫迦の樹』じゃなくて『木瓜の樹』。
僕はなぜかこの姉に、――全然僕の見知らない姉に或親しみを感じている。「初ちゃん」は今も存命するとすれば、四十を越していることであろう。四十を越した「初ちゃん」の顔は或は芝の実家の二階に茫然と煙草をふかしていた僕の母の顔に似ているかも知れない。僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。これは珈琲や煙草に疲れた僕の神経の仕業であろうか? それとも又何かの機会に実在の世界へも面かげを見せる超自然の力の仕業であろうか?
――会ったことのない姉への親しみか、あるいは母への執着か。
すると誰か後ろから「ああさん」と僕に声をかけた。
――「ああさん」と呼ばれていた(?)芥川龍之介さん。
僕は墓参りを好んではいない。
――お葬式やお墓参りの場ではどうしていいのかわからなくなる。
以上、『点鬼簿/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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