ねずの木の話/グリム童話=お母さんは実の我が子がやっぱりかわいい?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

ねずの木の話-グリム童話-イメージ

今回は『ねずの木の話/グリム童話』です。

文字数13000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約20分。

男の子の継母は実の娘に全財産を残したいと考えている。
男の子の頭が落ちる。

残酷ですが不快感なく自然と読み進められるグリム童話。
お母さんは実の我が子がやっぱりかわいい?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

昔々、二千年前。金持ちの夫婦がいた。夫婦は子供を望んでいたができなかった。ある冬の日、妻は家の前の中庭にあるねずの木の下で、リンゴの皮をむいていた。指を切ってしまい、雪の上に血が落ちた。妻はため息をついて「血のように赤く、雪のように白い子供がいたら……」と呟いた。すると本当に子供が生まれるような、幸せな気分になった。それから十月後、妻は雪のように白く、血のように赤い男の子を生んで、息を引き取る。夫は妻の最後の願いを聞き届け、亡くなった妻をねずの木の下に埋める。

間もなく夫は再婚し、後妻との間には女の子が生まれる。後妻は男の子を疎ましく思う。どうにかして我が子に全財産をやれないものかといつも考えている。男の子は後妻の仕打ちに怯えながら暮らさねばならなかった。

ある日、後妻はリンゴをあげるから箱の中から自分でとりなさいと男の子を促す。言われた通り、男の子が箱の中にかがみこむと、後妻は箱のふたをバタンと落とす。男の子の頭が落ちる。

後妻は男の子の首に頭をのせてハンカチでつなぐ。そして椅子に座らせリンゴを持たせる。男の子の妹はリンゴをくれるように男の子に頼むが何の返事も返ってこない。そのことを後妻に告げると、「横っ面をひっぱたいておやり」と言われて、妹はその通りにする。男の子の頭が落ちる。

妹は泣いて後妻に訴える。わたしがお兄ちゃんの頭を落としてしまった。後妻は妹を慰めて、男の子をスープにしてしまう。妹の涙が塩になった。帰ってきた夫は何も知らずにそのスープを食べる。うまい、うまい、もっとくれよと言いながら。

テーブルの下に投げられた骨は妹によって集められて、ねずの木の下に置かれる。するとねずの木が動き出し、中から雲が立ち昇り、雲から火が燃え立つと、火の中から美しい鳥が飛び出していく。

鳥は、金細工師の家で金の鎖を、靴屋の家で靴を、粉屋の小屋で石うすを、その美しい声で歌う代価として手に入れてから、父親の家に戻る。鳥の歌声を聞いた父親が表に出ると、金の鎖が落ちてくる。つぎに妹が表に出ると、靴が空から落ちてくる。いよいよ後妻が表に出ると、重い石うすが落ちてきて、後妻はぺちゃんこに潰れてしまう。父親と妹が再び外に出ると、そこには男の子の姿がある。喜んだ三人は一緒に家に入って食事をした。

狐人的読書感想

ねずの木の話-グリム童話-狐人的読書感想-イメージ

うん。怖いですね。普通に。

グリム童話の多くには残酷さや恐怖を感じますが、それは真に迫ったものではなくて、復讐劇のドロドロとした不快感というものもあまりなく、自然と読み進められるところにいつも不思議なものを感じます。

おそらくは、エンターテインメントとして残酷さや恐怖を描いていない、グリム童話だからこそ味わえる感覚だと思うのですが(ひょっとして当たり前のこと言ってる?)。

『ねずの木の話』といえばなんとなく聞き覚えのあるタイトルに思いましたが、他に『百槇の話』(びゃくしんのはなし)や『ねずの木』というタイトルでも知られている物語のようです。『モモ』や『はてしない物語』(ネバーエンディング・ストーリー)で有名なミヒャエル・エンデさんが読んだ本として紹介されている書籍もあるらしく(『M・エンデが読んだ本』)、狐人的にはそこにも興味を惹かれました(今度ぜひ読んでおきたい本です)。

興味を惹かれるといえば、やはり『ねずの木』ですよね。この童話を読む限りでは何か象徴的な意味を有しているように感じられます。

ねずの木は、ヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹です。硬い針葉がネズミを刺し、日本ではネズミ除けの木とされていたことから「ネズミサシ」、これが縮まって「ねずの木」と呼ばれるようになりました。香りに特徴があるのでアロマオイルがつくられ、リキュールのジンはこの実(ジュニパーベリー)で香りをつけたものなのだとか。また殺菌作用があるため北欧ではバターナイフやスプーンの素材としても利用されてきたといいます。

最初の妻はねずの木の下で男の子を生む予感を覚えて実際に男の子を生みます。亡くなってのちはその木の下に埋められます。男の子もまた妹の手でねずの木の下にその骨を置かれて鳥になり(火の鳥もまた再生の象徴)、最終的には復活を果たす――どうやら生命のサイクルとでもいうべき意味がねずの木には含まれているようですね。

いくつかの宗教とカニバリズムには密接なかかわりがあったりもします。なので男の子の復活の条件として、父親のカニバリズム行為が描かれているのかもしれません。

生きるために食べて、いずれは土にかえり、やがてそこから新たな命が芽吹く。ねずの木とカニバリズムの両者が複合して生命のサイクルを形作っているといえるのではないでしょうか?(どうでしょうね?)

後妻が男の子を疎ましく思う気持ちですが。なんとかして我が子に全財産を残したいって。理屈としてはもちろん、人間感情的にも理解できる部分ではありますが、狐人的心情としては理解しがたいところでもあります。

実際に自分がお腹を痛めて産んだ子供というのは、やはり特別だというのはわかるのですが。子供を産むと後妻の気持ちもよくわかってくるものなのでしょうか? あるいは男性の場合はどうなのでしょうね? 自分の血を分けていない子供と自分の血を分けた子供とでは、やはり表には出さずとも心情的に違うものがあるのかもしれません。

我が子よりも何らかの面で優れていた場合には嫉妬なども相まって……、いろいろな感情が絡み合って生じる気持ちを、一概には語れないのかもしれませんが、ちょっと気になったところでした(とはいえ自分の犯した罪を実の娘のせいにしようとする母親て……)。

あとは鳥になった男の子が美しい歌を歌う代わりに、金の鎖、靴、石うすと手に入れていったシーンが狐人的に興味深かったです。

音楽も小説も絵画も――いまやあらゆる芸術がビジネスとして成立しているわけなのですが、そのことを思わされた部分でした。童話は二千年前とされていますが、芸術を鑑賞するために代価を支払うという観念は、この頃にはすでにあったことを示しているように思ったのです。逆に、芸術がビジネスとして認められていなかった時代の芸術家の不幸、といったものを感じた小説に中島敦さんの『狐憑』があって、これを思い出しました。

単純に、目的のために鳥がアイテムを集める過程はRPG的で楽しめましたが(やはりこれが創作のために重要なストーリーラインの一つという気がします)。

最後に、鳥となった男の子が歌う歌の中に「キーウィット」(あるいは「キヴィット」)という記述が出てきた点が気になりました。何か意味のある言葉なのかと思い、ちょっと調べてみたのですが、ドイツ語でキヴィット(:Kiebitz)という鳥がいるみたいです。日本ではタゲリと呼ばれる鳥のようなのですが。あるいはその鳴き声は、日本では子猫のように「ミューミュー」と聞こえるそうですが、ドイツでは「キーウィット」(「キヴィット」)と聞こえるのかもしれません(英語圏でニワトリの鳴き声が「クックドゥードゥルドゥー」と聞こえるみたいに)。

読書感想まとめ

よくも悪くも残酷なグリム童話。

狐人的読書メモ

ねずの木の話-グリム童話-狐人的読書メモ-イメージ

キーウィット、キーウィット、なんと、きれいな鳥でしょう!(『マザー・グース』に同じような唄がある)

・『ねずの木の話/グリム童話』の概要

KHM 47。『柏槇の話』、『杜松の樹』、『ねずの木』など。マルリンヒェン、マルレーン、マリーなど妹の名前にバリエーションあり。

以上、『ねずの木の話/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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