狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『民主主義/織田作之助』です。
織田作之助さんの『民主主義』は文字数366字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約1分。
人気者になら誰とでも会いたがる彼。
芸能人に会いたい人は挙手願います。
手を挙げた人は多数派同調バイアスです。
民主主義ってどうなんでしょうね。
諦観こそ民主主義?
銀英伝見た!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
……民主主義?
(短いので全文をどうぞ)
『民主主義/織田作之助』
彼は人気者になら誰とでも会いたがった。しかし、人気者は誰も彼に会おうとしなかった。いうまでもなく彼は一介の無名の市井人だった。
野坂参三なら既にして人気者であり、民主主義の本尊だから、誰とでも会うだろう。彼はわざわざ上京して共産党の本部を訪問した。ところが、党員が出て来ていうのには、
「野坂氏は多忙で誰とも会いません。用件は私が伺いましょう」
用件はなかった。すごすご帰る道、仙台に板垣退助の娘がいることを耳にした。板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、
「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」
見せて貰うと、洗濯屋の名刺のように大きな名刺で「伯爵勲一等板垣退助五女……」という肩書がれいれいしくはいっていた。
彼はがっかりして会わずに帰った。
狐人的読書感想
どうやら織田作之助さんも超短編小説が多いみたいですね。夢野久作さんの「九州日報シリーズ」とともに追いかけていきたいところです。
『民主主義』というタイトルなので、民主主義的な内容なのかと思ったのですが、とくにそういった感じは受けませんでした。
僕が政治に詳しくないだけで、じつは深い民主主義の本質が含まれている作品なのでしょうか? (わかる方がいらっしゃったらぜひご教示いただきたいところ)
人気者に会いたいがためだけに東京、仙台とすぐに行っちゃう「彼」の行動力はちょっと凄いと思いました。
「彼」が会いたいのは政治家なわけですが、これって、アイドルのコンサートとかで遠出する方々の心理と相通じるものなのでしょうか? (ひきこもりがちで外に出たくない僕としてはなかなか理解しにくいものなのですが)
そうなってくると「彼」は「ミーハー」ということになるのでしょうか(「みいちゃん・はあちゃん」―?―の略との説がなんとなくおもしろいと思ったのですが)。
このミーハー心理が強い方というのは、話し好きで友好的な人が多いそうです。
ミーハー心理の特徴としては、他にもメディアに流されやすいといったことが挙げられるようですね。ブランドものや芸能人が大好き! といった感じのようですが、どうでしょう?
心理学用語では「多数派同調バイアス」と呼ばれる心理が関連しているそうです。
言葉がそのまま示す通り、多数派に同調してしまう心理状態――どこか、和を重んじて周りの空気を読もうとする日本人の美質(?)を思わされる心理ですが、災害時や裁判員制度などでは弊害になる場合もあるとのこと。
周りに合わせて助かることもあれば、危険に陥ることもあると思うので、一概に良し悪しは判断できない気がするのですが、何かあったときは冷静に自分の判断ができるよう心がけましょう、みたいなお話?
……違いました。
『民主主義』のお話でした。
いえ、『民主主義』から民主主義の内容が読み取れなかった、というお話でしたか。
とはいえ狐人的に「民主主義」という言葉は結構タイムリーなワードでした。
というのも最近のニュースなどを見ていると、民主主義について思わされるところがないでもないから、ということなのですが。
具体的には「森友学園問題」や「築地市場の豊洲移転問題」ですが。
いまに始まったことではないのかもしれませんが、「責任を取ろうとしない責任者」の姿というものを、ここ最近よく目にするように思います。
もちろん民主主義である以上、民主主義によって選ばれた政治家の責任は、国民全体に帰するものだとわかっているつもりではあるのですが。
それにしたって「私は知らない、記憶にない、部下が勝手にやったこと」という主張はあまりに無責任なように感じてしまいます(ところで憲法第15条の『選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない』って、問われないだけで責任が無いって言われてるわけではないって認識でいいんですかね?)。
謝ってすむことじゃなくて、だったら謝ってやらねー、ということなのかもしれませんが、そこをきちんと謝罪して、じゃあこれからどうしようか、ってするのが、トップのつとめのように思うのですが、……言っても栓なきことなのでしょうか?
つい先日もついつい書いてしまいましたが、民主主義の有効性みたいなものに思いを馳せずにはいられません。言論の自由が認められており、民主主義の責任は一人一人にあるということを自覚した上で、公然と政治を非難できるだけまだ専制君主制よりはましだ、と捉えるべきなのかもしれませんが。
(▼つい先日もついつい書いてしまった読書感想はこちら)
⇒坑夫の子/葉山嘉樹=シリア化学兵器、泣くのはいつも無辜の犠牲者家族なのです。
まともな政治なんて誰にもできない。だから誰が政治家になってもおんなじ。政治が失敗すれば貧しくなるのも一般市民。戦争になれば戦場に行くのも一般市民。せめて自分の生きてるうち、自分の子どもの代、孫の代くらいまでもってくれればそれでいい。
(この諦観こそが民主主義?)
――まあこんなことを言い出すのも『銀河英雄伝説』を見た影響というオチなのですが。
――社会に出てから言えよ、っていうさらなるオチがつくわけなのですが。
……結局『民主主義』の内容にほぼ触れていませんが。
板垣退助さんの娘さんに会いに行って、がっかりして会わずに帰った「彼」の心境はどういうものだったのでしょうね?
ミーハー心理だけなら、それだけでも十分話題にできたと思うのですが。
「こないだあの板垣退助の娘に会ったよ」みたいな。
野坂参三さんに会いにいったときも「要件はなかった」と、すごすご退散していますし、「彼」が何か信念を持って行動しているようには見えません。やはりただのミーハーに見えるのですが……。
あるいはこの作品は、「民主主義」を見誤っている一市民を皮肉って書かれた小説なのでしょうか?
実がなく、名ばかりの「板垣退助さんの娘」さんに、がっかりした「彼」の姿は、そのアイロニーを己が体現したものなのでしょうか。
翻って、こんなことをグチグチ書いているばかりで、信念のない僕自信を皮肉った作品なのだとすれば、自嘲と反省を感じさせられるばかりですが……。
……僕のようなものには、叱責を感じさせるような、じつはかなり深イイ小説なのかもしれません。
読書感想まとめ
民主主義をきちんと見つめない者に対する皮肉と叱責?
狐人的読書メモ
――ということも一応考えてみましたが自信はない! (と、自信を持って言うというオチ! ……自嘲と反省はどこへやった?)
・『民主主義/織田作之助』の概要
1976年(昭和51年)発行、『定本織田作之助全集 第六巻』(文泉堂出版)に収録された短編小説。1分で読めるアイロニック(?)な超短編小説。
以上、『民主主義/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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