読書時間:およそ10分。
あらすじ:――なんでもよほど古いことではある。少年と大王。激しい炎を背景に、二人のモノノフが相搏とうと、対峙していた。モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ――二人の剣が交わるとき、少年は、母の教えの真意を知る。
*
――なんでもよほど古いことではある。はてさて。何時代と表すべきか。あえてモノノフの時代とでも言い表すことにしようか。
*
夜。
大王の屋敷が激しい炎に包まれていた。
赤々と燃え上がる屋敷を背景に、二人の男が対峙していた。
「こんな若造に寝首をかかれるとは。いったいどんな知略を用いた?」
悠々と構える大王は、背が高く、長い髭を蓄えて、筋骨隆々たる偉丈夫。
「…………」
他方、背の丈は大王に及ばず、引き締まった体は細く、炎が照らし出す赤い顔にも、どこかあどけなさの残る少年。
「答えぬか。まあよい」
大王はそれだけ言うと、革の腰帯につるした剣を取って、大上段に振りかぶった。
雷火の一閃。
その剣は、雷より疾く、斬られたものは、その激しさゆえ火に焼かれると云う――それは、一人の将を大王の座に上らせた、この地上において二人使うもののない剣技だった。
「俺の技がどれほど疾くとも、剣を構えるより先に斬りかかったりせぬわ。貴様もモノノフならば構えてみせよ」
モノノフならば。
(モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ)
その言葉を受けて、少年が動いた。
少年は背に負った大剣を取って構えた。
「ふん。小賢しい真似を。しかし俺と相対して些かも震えぬところは褒めてやろう」
大王は少年の構えを見て鼻で笑った。
少年の取った構えもまた大上段。
逆巻く炎が、轟々と、天を衝く。
二人のモノノフが、いま相搏とうと、対峙していた。
*
――このときよりさらに遡ること十五、六年ほど昔。
*
夜。
周囲の制止を振り切った女が一人、白い馬の背に乗って、闇の中を飛ぶように駆けていた。
(どうか間に合って)
女は長く白い足で馬の太腹を蹴った。
遠くの空に、篝の光が、薄明るく見える。
馬の荒い鼻息と、蹄の音が宙で鳴る。
もうどれほど、駆け続けているだろうか。
馬が懸命に自分を運んでくれていることを、女は感じている。疾駆の状態がもう長くは持たないであろうことも。
それでも女は細い足で、馬の腹を蹴らずにはいられない。
(すまない。だけどいまはお前だけが頼りだ)
そう心の中で念じて、女は馬の鬣を三度撫でた。
周囲の者たちが止めたように、行けばどのような目に遭わされるか、わからない。
それでも、愛しい男の死に際を知らされて、じっとしてられる女ではなかった。
そんな女を、アメノサグメが、岩の陰から、じっと見ていた。
しかし何の気紛れか、彼女が女の邪魔をすることはついぞなかった。あるいは、より上位の神が、何らかの作用を及ぼした影響なのかもしれない。
女の髪が闇の中に流れる。
蹄の音が飛んでいく。
それなのに、女はいまだ、篝の光のところまで辿り着けずにいる。
*
――このときよりさらに遡ること何時間か前。
*
知略を用いて善戦するも、男は戦に敗れ、生け捕りとなって、敵の大将の前に引き据えられていた。
「ずいぶんと手こずらせてくれたわ」
敵の大将は、長い髭をしごきながら、座に腰を据えて男を見下ろした。
縄で縛られた男は、立ち上がることもできず、芋虫のごとく地面に這いつくばり、せめて顔だけは真っ直ぐに上げて、敵の大将を見据えるほかない。
篝の明かりが、二人の顔を、闇の中に映し出していた。
「死ぬか、生きるか」
大将は、男の不敵な面構えに、口の端を歪めて問うた。
これは、この時代の習わしであった。戦場で捕虜となった者には誰でも一応はこう訊いた。
生きると答えれば奴隷に堕とされ、死ぬと答えれば即座に首を刎ねられる。この頃の奴隷の扱いを思えば、それは早いか遅いかの違いでしかない――要するに、この問いの本質は、敵に屈伏するのか否か、モノノフとしての覚悟と心構えの問題であった。
「死ぬ」
男は躊躇なくそう答えた。
いや、僅かに、本当に僅かばかり、瞳に宿る火が揺らいだ。敵の大将は、その動揺を見逃さなかった。
「ほう、貴様ほどの男でも、やはり死ぬのは怖いと見える」
「違う」
「何が違う?」
「それは……」
男は黙して、それ以上口を開こうとはしなかった。
「女か」
「殺せ」
「ははははははは――」
男の反応を見て、大将は大口を開けて豪快に笑った。
「やはり女か。どれ、貴様がそれほどまで心にかける女がどれほどのものか、俺も興味が湧いてきたぞ。いいだろう。夜が明けて鶏が鳴くまで待ってやる」
「くっ、よけいな真似をするな! さっさと殺せ!」
殺せ、殺せ、と喚く男を嘲笑いながら、大将は兵に命じて、生け捕りにした者の中から一人を、男の郷へ使いに出した。
男は、己の心の弱さを恥じて、歯噛みした。
(来るな)
いまや捕らわれの身となった男は、女の性分を知り過ぎるほどに知っている男は、ただただ念じることしかできなかった。
*
――馬の蹄の音が聞こえてくる……。
*
「兄様!」
女は馬から飛び降りて、脇目も振らず男のもとへ走り寄った。
「馬鹿な、なぜ来た」
男はうめくように言葉を吐いた。
「……ごめんなさい」
謝りながらも、女の顔に慙愧の色は微塵もなかった。そこにあるのは、再び男に巡り会えたことへの安堵と、深い決意に満ちた瞳だった。
男は苛立ちとともに、一目逢うことのできた喜びと、己のために悲壮な覚悟を決めた女への愛おしさを、感じないわけにはいかなかった。
「勇ましく、美しい女ではないか」
先程から、この様子をじっくりと眺めていた大将が、立ち上がって口を開いた。
「死ぬか、生きるか」
大将がいま一度発したその問いは、男への再度の確認ではなかった。新たに捕らえた女への問いかけであった。
「待て。相手は女、戦をしたわけでもない」
「つまらぬことを言う。勝者に蹂躙されしは敗者の常ではなかったか」
男の言に、大将は皮肉な笑みを湛えた。
「死ぬ」
男たちの会話を断ち切るように、女が言った。
「可憐な容姿とは裏腹に気の強い女だ。気に入った。では問いに条件をつけよう。子を成すことを許す」
はっとして、女は大将を見上げた。
「さあ。死ぬか、生きるか」
*
――女は男と交合った。そして……
*
「やめろぉおおおおおおおおお――」
叫び、喚き、暴れる男を、数人の兵が押え込んだ。口に杯を噛ませた。
大将はそんな男の目の前で女を犯した。
「ははははははは――どちらの、子種が、強いか、もう一勝負と、いこうではないか。貴様は、結果を知ることは、できぬが。いずれ黄泉で、会うことがあれば、教えてやろう」
強靭な大将の腕に抱かれ、女の抵抗は無意味だった。
男はなお暴れ続けた。縄が擦れたところからは血を流し、関節は外れ、骨は折れた。それでも男は暴れた。言葉にならぬ怨嗟の叫びを上げた。
凄まじい形相の鬼がそこにはいた。
大将もまた鬼だった。荒れ狂う男を眺めながら、腰の動きをいっそう速くした。
女は、悲鳴とも嬌声とも分からぬ声を漏らしながら、乾いた目を男に向けた。
兵たちは、そんな光景を肴にして、大いに盛り上がり、酒を呷った。
ふいに大将が合図を送った。
兵の一人が、腰帯から剣を抜き放ち、男の首を刎ねた。
女の視界で、愛する男の、首が舞った。大将は女の中に精を放った。男の血が女の身体を染めた。
女は掠れた狂女の声で哭いた。
「……ゆ…、さ…い、ゆる、さ、ない、ゆるさない、許さない、許さない――」
鬼が繰り返す。
「……わ、たしの……、わたしとあの人の、子、が……、必ず、お前を殺す」
鬼が呪う。
「ではそのときを楽しみに待つことにしよう」
鬼が嗤う。
鬼たちが酒を呷る。
鬼、鬼、鬼。
篝火が、鬼どもの影を、躍らせる。
そこに人の姿はなかった。
鬼の宴は、夜が明けて、鶏の鳴くまで続けられた。
*
――女は男の子を産んだ。
*
子供が幼児のうちは、女も気にしなかった――いや、あえて気にしないようにしていたのか。
幸いなことに、子供の顔は、母親の面影が強かった。
「モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ」
女は子供にそう言い聞かせ、立ち上がると同時、専用に拵えた棒を持たせて、厳しい修練を課した。
「モノノフの子ならば泣いてはなりませぬ」
子供は黙々と女の言うことを聞いていた。
子供が十になった年、母親の前で自然と見せた剣技に、女は我が身が震えるのを、どうしようもなく抑えることができなかった。
子供は、大人の扱う剣を大上段に構えた。そしてつぎの瞬間、剣は地面すれすれのところに振り下ろされていた。斬られた巻藁が燃え始めた。
雷火の一閃。
それは神技とも称えられる、憎き男の剣だった。
女は決断した。
ある日子供をカムイの森に連れていった。
「三年間、この森で一人、生き抜いて帰ってきなさい」
一本杉の根のところで、女は子供にそれだけを言い置いて、その場を立ち去った。子供は追いかけてこなかった。いつまでも、去っていく母親の背中を見つめていた。女は一度も振り返らなかった。
カムイの森には獰猛な獣がいる。人の踏み入らない奥地には、巨獣が潜むと云われている。とても十になったばかりの子供が一人で生きていけるはずがなかった。
はたしてこれは本当に修練なのか、ただ忌避すべき子供を捨ててきただけではなかったか。
子供の剣技を目の当たりにしたとき、女はおぞましさにおののくとともに、心はある感情に打ち震えていた。
自分はこの現実を喜ばなかったと言えるだろうか?
――これであの人の仇を討てる。
愛する男の子供ではなく、憎い男の子供を産んでしまった罪悪と、激しい嫌悪……。
愛する男のために、憎い男を確実に殺せる剣を手に入れた事実と、暗い喜悦……。
相反する想い。
こうした葛藤が、女を引き裂くほどに、苛んでいた。
子供は、そのことを理解していただろうか。親の言葉にただ忠実に従っただけだったのか。
子供は三年の間、郷に姿を見せることはなかった。
三年後、子供は女に言われたとおり、帰ってきた。
身の丈も伸び、筋肉に覆われ、傷だらけになった逞しい身体は、もはや子供のものではなくなっていた。どこで手に入れたものか、背には大人でも持て余すほどの大剣を背負っていた。
*
――それから、さらに歳月は過ぎ、我々は始めの場面に戻ってきたわけだ。
*
馳せ違った。
(モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ)
その瞬間、少年は母の教えの真意を悟った。
これが、あの日以来、たまさかに、まるで蛆を見るような目で、我が子を見ていた理由だったのか。
この世で、二人使うもののないと云われている剣を、いま、二人の男が、互いを屠るために用いた。
雷火の一閃。
なぜこの男が……、いや、なぜこの俺が。
つまりこの男は俺の……、では父の仇とは……。
(モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ)
頭の中で母の言葉が繰り返される。
……父の仇とは、父を斬ったこの俺こそが、父の仇ということではないのか。
母上は、俺のことを……。
大王は、口の端を歪めて笑った。
「また俺の勝ちか」
地に伏した巨躯。
両断された傷口から炎立ち、煙は天へと昇っていく。
*
――モノノフの子ならば必ずや父の仇を討たねばなりませぬ。少年は自刃する覚悟を決めて母のもとへと帰った。
*
「よくやりました。さすがはモノノフの子です」
それが母からの初めての誉め言葉。
「あの男と剣を交わしたからには、もう解っていますね」
少年はただ頷いた。
「それではこれから最後の教えを言い伝えます」
女は懐から小刀を取り出して、
「モノノフの子ならば――」
それを――
*
――モノノフの子ならば母の仇を討ってはなりませぬ。女は我が子の代わりに父の仇を討ち、我が子には母の仇を討つことを禁じた。
*
「……雨が降ってきたな」
少年は天を仰いだ。満天の空に、一つ星が流れた。
「雨ではなく、あの星々が降ってくればよいものを」
モノノフの子は泣いてはなりませぬ、と母はいつも言っていた。
「この世のどこにモノノフがおろうか? そしてこの世のどこに人がおろうか? 鬼。鬼。鬼。邪悪な鬼どもがはびこるばかりではないか」
少年の背後には一人の老爺が控えている。
「邪も、鬼も、モノノフも、すべて人が生み出すのでございます」
「……ならば俺が、この世に最後のモノノフとして、邪を祓い、鬼を滅し、真の人の世を築いてみせよう」
「若様ならば……、いえ、大王様なら必ずや、良き人の世をお築きになれるでしょう」
いつしか雨は止み、夜は過ぎていった。
*
――地に立ったモノノフの仔の背中には、平伏する民たちの姿があった。
*
<ノーマルエンド、終>
*
――なんでもよほど古いことではある。はてさて。ではつぎは真のモノノフの仔の物語を語ることにしようか……
*
<トゥルールート、始?>
※
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