狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『戯作三昧/芥川龍之介』です。
文字23000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約65分。
『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴の一日が描かれる。馬琴の創作への苦悩と希望は、芥川の創作への苦悩と希望である。何事も自分を信じて楽しんでやるということ。たぶん。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
曲亭馬琴は朝風呂に行った銭湯で、自著『南総里見八犬伝』の良し悪し二つの批評を聞かされることになる。良いほうは彼の愛読者の弁で、馬琴は自身の子供っぽい自尊心を恥じる。
悪いほうはわざと自分に聞かせようとしているらしい。悪評は創作の動機に反動的な不純物を加えることになるので、できるだけ見聞きしないようにしているが、一方で悪評を聞いてみたいという誘惑にかられ……自信を失う。
家に帰ると編集者が待っていて話をするが、しつこく原稿依頼をされて不快になる。編集者を追い払う。相手の下等さのために自分もまた下等なことをしなくてはならないと思えば、気分が沈む。
昼食ののち書斎へ入った馬琴は、王道的小説と自分が書きたい小説との隔たりを感じて思い悩む。そこへ画家で友人の渡辺崋山が訪ねてくる。
崋山と話をしていると、彼は常に絵のことを考えている。馬琴はその姿勢を羨ましく思い、同じ創作家として触発されるところがある。
崋山が帰ったあと、心地よい興奮のまま八犬伝の続きを書こうとして、昨日書いた分を読み返してみると……どうも納得ができず、その一つ前は、もう一つ前は……と読み返すうち、始めから書き直すよりないと、憂鬱になる。
自分の才能に対する自信に疑問を抱き、絶望的な気分になっていると、出かけていた孫が元気よく膝の上にのっかってきて、馬琴のしわだらけの顔に喜びの表情が輝く。
幼い孫は突拍子もないことを言う。「勉強しろ。癇癪を起すな。もっとよく辛抱しろ」。そう観音様が言ったという。それを聞いて、馬琴の心の曇りは晴れる。
その夜、八犬伝を執筆する馬琴の筆は軽かった。
戯作三昧の心境に達していた。
狐人的読書感想
『南総里見八犬伝』の著者、曲亭馬琴(滝沢馬琴)さんの一日が描かれています。馬琴さんの創作への苦悩と希望は、芥川龍之介さんの創作への苦悩と希望が投影されているように思えます。
いつもながら心の解剖といいますか、自意識の動きを客観視して批判的に捉えようとしているあたりが、みごとだと感じます。
自分の自尊心を恥じたり、相手に腹を立てることを自省したり、すごく共感できるんですよね。それによって鬱々たる気分になってしまうところなんかもとくに。
自著の悪評を見聞きしないようにしていて、だけど一方でその悪評を聞いてみたいという気持ちは、なんとなく現代のエゴサーチを彷彿とさせるところです。
これは馬琴さんや芥川さんほどの、よほどの有名人でない限り実感しにくい気がしますが、いまはSNSなどで自分がどのように思われているのか気になる人も多いのだとか。
悪評でも興味を持ってもらえていると、前向きにとらえるべきなのか、やっぱり落ち込んでしまうような――想像するだけでも複雑な気持ちがするものですね。
いろいろと悩み多き馬琴さんでしたが、最終的には幼い孫の突拍子もない言葉によって迷いが晴れたようでした。おじいちゃんには孫が一番かわいいということでしょうか、希望が感じられるすごくいいラストでした。
自分を信じて楽しんで書ければそれが戯作三昧の境地であって、「自分を信じる、楽しんでやる」ということは何事にも通じる、物事に取り組むときの姿勢であるように感じられた、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
自分を信じる、楽しんでやる!
狐人的読書メモ
・「戯作」は江戸時代の通俗小説など読み物の総称である。文字通り「戯れに書かれたもの」という意味。
・『南総里見八犬伝』といえば名前は聞いたことあるけれど、実際にどんな話なのかは知らなかった。読んでみたいと思った。
・『戯作三昧/芥川龍之介』の概要
1917年(大正6年)11月、『大阪毎日新聞』にて初出。曲亭馬琴の一日を描き、芥川龍之介自身の創作への苦悩と希望が表れている、ように感じる。
以上、『戯作三昧/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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