狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『丘の銅像/新美南吉』です。
文字数9000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約23分。
歴史に名を残したい?
誰かに自分のことを覚えててほしい?
いつまでも心を残すことは難しく、
それは知識や芸術や技術や記念日であってもまた然り。
やがては宇宙だって消えてしまうのだから。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
丘の麓の村に、ハンスという詩人がいた。国中にハンスの詩を知らない者はいなかった。このハンスが亡くなると、村では丘の上にハンスの銅像を建てることにした。こうして村にはハンスの子守唄と銅像が残った。
それから長い年月が経ち、詩人のハンスを知る者が誰もいなくなった頃、村に伝染病が蔓延した。ヘンデルという医師が薬草を発見し、村人たちを伝染病から救った。ヘンデル医師が亡くなると、村では丘の上にヘンデル医師の銅像を建てることにした。しかし、村は伝染病で貧しくなり、銅像を建てるお金がなかった。そこで村人たちは、誰だかわからないハンスの銅像にあごひげをつけて、それをヘンデル医師の銅像とすることにした。こうして村にはハンスの子守唄とヘンデル草とヘンデル医師の銅像が残った。
また長い年月が経ち、ヘンデル医師を知る者が誰もいなくなった頃、隣国との戦争が起こり、村からも大勢の若者たちが戦いへ出かけていった。そんな若者の一人にペテロがいて、馬に乗って英雄的な活躍をして亡くなった。村ではペテロの銅像を建てようということになるが、他の戦争で子供を失った親たちの理解が得られず、お金はなかなか集まらない。そこで、誰だかわからないヘンデル医師の銅像のひげをカイゼルひげにつけかえて、集められたわずかなお金で犬ほどの大きさの馬の銅像を作り、丘の上に飾った。こうして村にはハンスの子守唄とヘンデル草とペテロの日とペテロの銅像が残った。
さらに長い年月が経ち、ペテロを知る者が誰もいなくなった頃、村の地主の家に強盗が入り、番犬のナハトがこれを捕えようとして命を落とした。地主はこれに感激して、ナハトの銅像を建てることにした。そこで誰だかわからないペテロの銅像は強盗の銅像に、馬の銅像はナハトの銅像に見立てられ、丘の上に飾られることになった。こうして村にはハンスの子守唄とヘンデル草とペテロの日と「ナハトのような犬」という褒め言葉とナハトと強盗の銅像が残った。
またさらに長い年月が経ち、丘の上に新しい教会を立てることになり、よくわからないナハトと強盗の銅像を溶かして鐘に作り変えることになった。こうして村にはハンスの子守唄とヘンデル草とペテロの日と「ナハトのような犬」という褒め言葉と七つの鐘が残った。七つの鐘は美しく鳴り響き、村人たちの心に神の国を思わせるのだった。
狐人的読書感想
いまでは書物によって歴史が残され、必ずしもそうなるとはかぎらないかもしれませんが、「どんな偉業を残した人物でも、ときの流れとともに人々の記憶からは消えていってしまう」ということはいえるだろうと思います。
偉人の名前や由来するものは残っていても、「あれ? どんな人だったっけ?」みたいになることはけっこうあって、いまを生きる人にとってはそれが当たり前には違いないのですが、昔の人からしたらやっぱり寂しいことのように想像できるんですよね。あまり考えたことのないことでしたが。
しかし、そうした人たちが残した、歌などの芸術であったり、薬や医療技術であったり、休日などの記念日だったり、普段何気なく使っている慣用句であったり、いまでも観光名所になっている建物であったりが、たしかに残されていて、それはそれですてきなことのようにも感じられるんですよね。
とはいえ、結局、人は記憶よりも、利用できる物にしか興味を示し続けることができないのだととらえるならば、すてきな気持ちがした直後、なんだか厭世的な気分になってしまいましたが、この作品を読んでそんなことを思うのは、ひねくれものな僕だけ?
「歴史に名を残す!」とはよくいわれますが、それは何も人々の記憶に残るわけではなくて、人々の知識となることなんだろうなあ、などと思えば、そこにむなしさみたいなものを感じずにはいられないのですが、どうなんでしょうね?
ともあれ、僕が「歴史に名を残す!」なんてことはありえないことでしょうし、そんなことを想像するのは一般人には無縁なことで、また誰にとっても無益なことでもあるのかもしれません。
たとえば、一般人でも残すことができるものがあって、それが子供であり孫であり――子孫というものなのかもしれないな、などと、ふと考えます。
子孫たちも遠い先祖に思いを馳せることなんて、普段あまりないのだから、そのことにいまを生きる者がなぐさめや希望を見出すのは違うのかもしれませんが、たしかに残るものがあるのだと考えれば、なくなっていく者はなぐさめられたり幸せだったりするのかもしれません。
銅像のように実のないものはやがて消えていく、歌や薬や記念日や子々孫々はいつまでも続いていくにしても、やはりそのときのひとの心は忘れられていく――なんだかさびしいような、それでいいんだと思えるような、不思議な読後感のある今回の読書でした。
読書感想まとめ
人の想いはいつまでも残るというのはきれいごとで、結局人々に有益な物しか残らないのかもしれないけれども、それらはしょせん人間の勝手な感傷に過ぎず、世界はそんなこととは無関係にいつまでも廻り続けている――それでいいのかもしれません。
狐人的読書メモ
・とはいえ、人間がいつまでも滅びないとはかぎらず、世界だって決してなくならないとは誰にも言えない。宇宙だっていつかは消えてしまうかもしれないというし、そうなったらどうなるんだろう? 無から新たな世界が始まり、また廻り続けて――思えば、いまの世界もそうした繰り返しのなかの何回目かの世界なんだろうか、なんてことを久しぶりに考えた気がする。
・何事も、自分が初めて思いついたと思っても、それはいつかの時代の誰かが思いついていたことかもしれない。オリジナルを生むことは時代を経るごとに難しくなっていく。
・名もなき兵士も、その家族にとっては等しく英雄である。
・現代、思えば銅像ほど無益なものはないかもしれない。待ち合わせの目印くらい?
・『丘の銅像/新美南吉』の概要
初出不明。読んだ人がそれぞれに何かを思わされるはず。教会の七つの鐘の音のように、しみじみと心に響く名作だと思う。
以上、『丘の銅像/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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