狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『東京八景(苦難の或人に贈る)/太宰治』です。
文字数21000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約56分。
自堕落、退廃的、人間失格、
一般的な太宰治のイメージ通り。
しかしどこか共感を覚えずにはいられない。
それが人の弱さか。
30歳成人説。私は、生きなければならぬ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
1941年、32歳の太宰治が、伊豆の南の小さな温泉宿で2ヶ月、集中して短編小説を書こうとしている。タイトルは『東京八景』。太宰が大学進学のため上京してからの十年間の東京生活を、そのときどきの風景に託して書こうというのだ。それは「青春への訣別の辞」であり「一生涯の、重大な記念碑」となるべき小説だ。
1930年、はじめは戸塚、弘前の高等学校を卒業し、仏蘭西語を一字も解しないまま東京帝大の仏蘭西文科に入学。H(小山初代)と同棲しながら非合法共産主義運動に関係、長兄が上京し一時Hを実家に預けることになると、銀座のバーの女給・田部シメ子と鎌倉で入水、太宰のみ生き残ってしまう。
23歳、再びHとの同棲がはじまる。五反田は、阿呆の時代である。その年の夏に神田・同朋町、晩秋には神田・和泉町、その翌年の早春に淀橋・柏木――なんの語るべきこともない。非合法共産主義運動、俳句、留置場生活……。
24歳の晩春、日本橋・八丁堀。Hの裏切り。芝区・白金三光町。遺書を綴る。『思い出』。幼時の悪について書く。これが太宰の処女作となる。25歳、大学を卒業できる見込みはない。家族の信頼を欺く自分、それは狂せんばかりの地獄である。それから2年、太宰は地獄の中に住む。長兄に泣訴して留年し、裏切る。やはり遺書を書くことに没頭する。『晩年』。
その年の早春、杉並区・天沼三丁目。1年経つも卒業しない。兄たちの激怒。泣訴。遺書を作るためにもう1年。知人もHも兄たちも欺く。人を欺くことは、地獄である。
その年の春に天沼一丁目。晩秋には『晩年』を書き上げる。同人雑誌『青い花』を1冊のみ発行。翌年3月、また卒業の季節、都新聞社の入社試験に落ちる。虚偽の地獄に疲れ果てていた。1935年、鎌倉にて首吊り、不様な失敗。人々はそんな太宰に優しく、太宰はその人生の優しさに呆然とする。
4月に阿佐ヶ谷の外科病院で腹膜炎の手術。世田谷区・経堂の内科病院で数カ月、千葉県船橋町に転地。鎮痛剤の中毒となる。そのために借金生活、『晩年』も売り尽くしてしまう。
1936年の秋、東京、板橋区のある病院へ。一月後、秋晴れの日の午後、退院。帰りの自動車の中でのHとの会話。「僕は、これから信じないんだ。おまえの事も信じないんだよ」。杉並区・天沼三丁目のアパートへ。その夜から二つの小説を書きあげる。その原稿料で熱海、また借金を増やす。もう29歳だった。
1937年の早春、ある洋画家(小館善四郎)がHとの不貞行為を告白。Hと二人、水上温泉にて薬品を用いて失敗。Hとの別れ。アパート近くの最下等の下宿屋で飲んだくれの生活。もう30歳。
しかし30歳、転機がやってくる。長兄が代議士に当選し、その直後選挙違反で起訴される。相次ぐ家族の不幸。故郷の不幸が太宰のコンプレックスを払しょくする。それは金持ちの子というハンディキャップ。金持の子供は金持の子供らしく大地獄に落ちなければならぬという信仰。健康の回復。なお又、年齢、戦争、歴史観の動揺、怠惰への嫌悪、文学への謙虚、神は在る――しかしながら、人の転機などは説明できるものではない。
とにかく太宰は30歳の初夏から本気で作家生活を開始する。今度は遺書として書くのではなく、生きていくために書いたのだ。『姥捨』が売れると甲州へ。1年間で10以上の短編を書く。1939年、井伏鱒二の紹介で石原美知子とお見合い結婚。
その年の初秋、甲府市の小さな家から東京市外の三鷹町に移住。気がつけば作家として生きている自分がいる。毎日、武蔵野の夕陽は、大きく、ぶるぶる煮えたぎって落ちている。妻との侘しい食事をしながら、この家一つは何とかして守って行くつもりだ――ふと東京八景を思いついた。過去が、走馬燈のように胸の中で廻った。
この武蔵野の夕陽を自分の東京八景に加えよう。戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。とても八景にはまとまらなかった。
さらにこの春と夏、ぜひとも加えたい二景を見つける。
春、恩人ともいえる大先輩のSさん(佐藤春夫)と歩いた新橋駅前の橋の上。夏、妻の妹の婚約者T君の出征を見送った芝公園。
それから数日後、太宰は伊豆へ旅立ち、もう10日経つが、まだあの温泉宿にいるようである。何をしている事やら。
狐人的読書感想
自堕落で、退廃的で、人間失格、ダメ人間――まさに世間一般的な(?)太宰治さんの印象どおりの作品ですね。
最近は、そういう印象のほとんど感じられない短編小説ばかりを読んでいたので、そのようなイメージはだいぶ薄れていたのですが、やはりこういった作品は強烈に心に残ります。
とはいえ、全部が全部、批判的になれないところが、太宰治さんの生き方にはあるような気になるんですよね。
もちろん、やっていることはむちゃくちゃで、決して褒められるべきことではないのですが、言っていることにどこか共感を覚えられるところがあって、それは誰しもが持っている人間の弱さが書かれているからであって、そんなところが多くの人に愛され続けている理由なんだろうなあ、などといまさら当たり前のようなことを言ってみたり。
本作は狐人的に思わされる部分が多々あったので、気に入ったフレーズなどを引用メモする形で、以下に残しておきたいと思います。
『書きたいものだけを、書いて行きたい』
冒頭ですね。2ヵ月、まとまった時間と環境を作って、集中して書きたい作品を書く、というのは、なんかわかります。
とはいえ僕の共感は、プロの作家さんがいっていることとはまた違うことなのかもしれませんが。書きたいものだけを書くって、難しいことのように思えるんですよね。
どうしても読者の嗜好や要求を考えてしまうというか。『三つに二つは買ってもらえるような気がして来た』という自信はどうやったら身につくんでしょうね?
書きたいものを書いて売れている小説家の凄さをふと思います。書きたいものじゃないけど売れている小説家もまた凄いとふと思います。
『人生の優しさに私は呆然とした』
ある人が自ら命を絶とうとしたあと、その人にあからさまに冷たくできる人なんていないだろうなあ、などと想像すると、なんとなく当たり前のことのような気もするのですが、でも、どんなに自分勝手な絶望であっても、苦しみのどん底にいるからこそ、人の優しさが身に染みるということはある気がするんですよね。
そんな人生の優しさに触れたこと、ありますか?
『自分の苦悩に狂いすぎて、他の人もまた精一ぱいで生きているのだという当然の事実に気附かなかった』
まさに人間って、自分ばかりが苦しいのだと思ってしまいがちですが、当然他のひとだって、一生懸命生きているんですよね。僕もよくそのことを忘れがちになります。
『私には所謂、文才というものは無い。からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった』
文豪と呼ばれるひとがそんなふうに思っていたというのは、なんだか意外な気がしました。だけど思えば、自分の才能を確信できるひとなんて、ほんの一握りなのかもしれません。それがのちにどんなに優れた偉業を成し遂げたひとであったとしても。
『私は、もう三十歳になっていた』
『何の転機で、そうなったろう。私は、生きなければならぬと思った』
『相続く故郷の不幸が、寝そべっている私の上半身を、少しずつ起してくれた。私は、故郷の家の大きさに、はにかんでいたのだ。金持の子というハンデキャップに、やけくそを起していたのだ。不当に恵まれているという、いやな恐怖感が、幼時から、私を卑屈にし、厭世的にしていた。金持の子供は金持の子供らしく大地獄に落ちなければならぬという信仰を持っていた』
『なお又、年齢、戦争、歴史観の動揺、怠惰への嫌悪、文学への謙虚、神は在る、などといろいろ挙げる事も出来るであろうが、人の転機の説明は、どうも何だか空々しい。その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかに嘘の間隙が匂っているものだ。人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものでは無いからでもあろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている』
長くなってしまいましたが、太宰治さんが本気で作家生活をはじめる転機について書かれた一連の文章です。
30歳というのは、なんとなく作家の転機という印象があります。たしか村上春樹さんが『風の歌を聴け』を書いて、作家デビューしたのも30歳頃のことで、「30歳成人説」なんてことも言っていたように思います。村上春樹さんが小説を書こうと思い立ったエピソードも、転機としておもしろいんですよね(という余談)。
金持ちの子であるがゆえのコンプレックスみたいなものは、わかるようなわからないような。たぶん、自分がお金持ちの子ではないから実感しにくいんだと考えるのですが。それはただの甘えじゃね? って、思ってしまう自分がいるんですよね。その甘えのことを言っているのかもしれませんが、なんかちょっと違うようにも感じられるんですよね。
人の転機については、後にして思えば……ということが多いというのはわかります。おそらく、なにかを始めてそれが成功したら、その転機はなんだったのか、と考えて、たぶんあれだ、というのがあるのでしょうが、そればかりでもないんでしょうね。
まさに『多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている』――そんな感じなんでしょうね?
『人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか』
これはなんとなくわかる気がしました。人の苦しみなんてその人にしかわからないもので、きっと比べられるようなものじゃないのかもしれませんが、しかし自信を持って苦しんだといえること、その苦しみを克服するために行った努力、そういったものは間違いなくプライドのよりどころになるものだという気がしました。
太宰治さんの東京八景以後の人生を思えば、本作は必ずしも明るい未来を明示している作品ではないのかもしれませんが、これは絶望の果てに見る希望を感じられる小説のように思えて、かなり好きになれそうな作品です。
読書感想まとめ
太宰治の半生。自堕落で、退廃、自分勝手な絶望――だけど、それを非難する気にはなれず、なんだか好きな作品です。
狐人的読書メモ
・『火花』で芥川賞を受賞した、お笑い芸人ピース又吉直樹さんおすすめの作品で、自身のエッセイ集にも『東京百景』と、本作を意識したタイトルをつけているそう。『東京百景』もおもしろいと聞いたので、機会を見つけて読んでみたいと思った。
・『東京八景(苦難の或人に贈る)/太宰治』の概要
1941年(昭和16年)『文學界』にて初出。東京帝大入学から本作執筆時までの東京生活を振り返る、自伝的小説。未来を思わせる明るい二景と、思いでの暗い花としての過去の景色が、二つの対照的な時間軸として描かれている。いい小説だと思った。
以上、『東京八景(苦難の或人に贈る)/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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