狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『四月馬鹿/織田作之助』です。
文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約27分。
人が嘘をついてしまうのは寂しいからなんだよ。
皆に自分を見続けていてほしいからなんだよ。
だけど才能・名声・金……それらを失ったとき、
人は自然と離れていってしまうものなんだよ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
武田麟太郎という作家の訃報を受けて、織田作之助が書いた哀悼の小説。武田は『日本三文オペラ』『市井事』『銀座八丁』などの作品を残しており、本作の「武田さんのことを書く。」という書出しは、武田の『弥生さん』の書出しを真似たものだ。
織田は武田を作家として尊敬していたが、一人の人間としても好きだった。
大阪で一番汚ない男。
とあるカフェのウェイトレスに惚れて、通い詰めた挙句、ある日、そのウェイトレスから、ライバル視していた男に自分の気持ちを伝えてほしいと依頼され、ヤケ酒を飲んだエピソード。
突然ふらっと行方不明になっては、ジャワで鰐に食われたといって、「武田麟太郎鰐に食われて急逝す」などとデマを飛ばし、マラリヤにもかからず元気で帰ってきたりする。
武田はいつもそんな調子だから、織田は武田が罹災したという噂をきいても、またデマだろうと愉快に思う。が、四月一日の朝刊に「武田麟太郎氏急逝す」の記事が出ていて、どきんとする。
狐につままれた気持ちになる。
しかし、真っ暗な気持ちの中、あっ、と気づく。
凄いデマを飛ばしたな。今日は四月馬鹿じゃないか。
そうだ、四月馬鹿だ、こりゃ武田さんの一生一代の大デマだと呟きながら、私はポタポタと涙を流した。
狐人的読書感想
(引用)武田さんのことを書く。
――というこの書出しは、実は武田さんの真似である。
――というこの書出しで始まる本作は、作家・武田麟太郎さんの亡くなったことを受けて、織田作之助さんがそのことを哀悼している小説です。
織田作之助さんは、武田さんのことを作家として尊敬し、また一人の人間としても好きだったようで、そのことがひしひしと伝わってきます。
昔の作家といえば変わり者のイメージがありますが、まさに武田さんはその変わり者のイメージどおりの人だったようですね。
ウェイトレスに惚れた話や、編集者から逃げ回る話など、武田さんの破天荒っぷりが描かれていて、読んでいてとても楽しかったです。
才能のある変人というのは奇妙に人を惹きつける魅力を持っていますよね。そういう人たちを世間では「カリスマ」とか「天才」とか呼ぶのかもしれませんが、武田さんもカリスマ性を持った天才だったのかな、などと想像させられてしまいます。
そういう人と出会い、親しくなれるというのは、本当に幸運なことだと感じられます。そういう人たちを近くで見ていられるというのはいかにも楽しいですし、またその人の近くにいるだけで、自分自身もなんだか特別な人間になったような気がするものですよね。
自然と人が寄ってきて、いつもその中心にいて、楽しそうに人生を生きていて――そんな人には寂しさなんて無縁で、本当に幸せそうに、あるいは羨ましく外からは見えてしまうものですが、しかしながら、人間同士のつきあいがじつに上辺だけのものだということを、人が自然と集まってくる人間だからこそ強く感じてしまう、というところがあるのかな、って気にもなります。
実際、現実の話でも、芸術家とか芸能人とかお金持ちが、その才能や名声やお金を失ったとき、あれだけ集まってきていた人たちが、突然一人もいなくなってしまった、みたいなエピソードはよく聞かれる話です。
ラストに「あんなにデマを飛ばしていたこの人は寂しい人だったんだ、寂しがり屋だったんだ」と、「私」がポソポソ不景気な声で呟いていたシーンは、あるいは武田さんも前述のようなことを感じていたのかと思えば、たしかに、より側にいた人の悲しみは、より強いものになるんだろうな、などと想像してしまいます。
もっと武田さんの気持ちをわかってあげられたらよかった、と、織田作之助さんは思っていたのかもしれません。
とはいえ、多かれ少なかれ、人は孤独を抱えて生きるもの。
結局は独りで生きているんだ、という意識を、どこかで常に持っていなければ、人生というものは生きづらく感じてしまうように思っています(その逆もまたしかり)。
ともあれ。
本作を読んで武田麟太郎さんという作家に興味を持ちました。また機会を見つけて、その作品を一つでも読めたらと思っています。
そういえば、『四月馬鹿』というタイトル、「エイプリルフール」の日本語表記であるという事実に、じつは最後まで気がつきませんでした。
四月馬鹿馬鹿だったという、今回の読書感想のオチです。
読書感想まとめ
織田作さんの武麟さんへの哀悼小説。
狐人的読書メモ
・作家、武田麟太郎の小説に対する観察眼や姿勢も興味深かった。とくに「リアリズムの果ての象徴の門に辿りついた」という表現が印象に残っている。どういうことなんだろう? マジックリアリズムみたいな?
・武田麟太郎は、兵古帯を前で結んで、通常後ろへ回すはずの結び目の尻尾を腹の下に垂れていたという。原宿などの街を歩く、奇抜なファッションの人をふと連想した。流行っているファッションでも、何がどう認められてこうなったのか、けっこう不思議なものがあったりするよね。
・武田さんのデマの件はペルソナの「噂システム」を彷彿とさせるところがあった。……そんなこと連想する奴は僕だけかもしれないけれども。
・『四月馬鹿/織田作之助』の概要
1946年(昭和21年)『光』にて初出。織田作之助の書いた作家・武田麟太郎への哀悼小説。エイプリルフールとデマの吹聴を楽しむ武田の急逝がうまくマッチしていて悲しみを誘う。イソップ寓話とワンピースのウソップのエピソードを思い出す。創作的にすごくいい発想だと思った。
以上、『四月馬鹿/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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