凱旋祭/泉鏡花=戦争賛美の空気が人々を百鬼夜行に変えてしまう。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

凱旋祭-泉鏡花-イメージ

今回は『凱旋祭/泉鏡花』です。

文字数6000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約22分。

戦争の勝利を祝う凱旋祭で、勝利に浮かれた百足が、
戦争未亡人を踏みつぶす。
当時の戦争賛美の風潮が、
この国を百鬼夜行に変えてしまったのだ。
多数派と少数派。正しいとは?正しく生きるとは?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

1895年某月某日に行われた戦勝を祝う凱旋祭。数千の生首提灯、巨大な象の作り物、見事な獅子の作り物、何人もの若者が連なってできる百足が、跳梁している。

異様な美と盛り上がりを見せる祭の中、人々から離れて悄然と立ち、寂しそうに辺りを見回す、一人の年若い美人がいた。彼女はこの度の戦争で未亡人となった。

突然の悲鳴、逃げ惑う人々――たちまち彼女は百足に巻き込まれてしまう。警官が駆けつけ騒ぎが収まっても、彼女は地面に横たわったまま、二度と起き上がることはなかった。

その日の深夜、突然の暴風が巻き起こり、生首提灯を吹き飛ばし、灯は消え、市は暗闇に包まれた。闇夜の中に大木の吹き折れる凄まじい音が聞こえた。

狐人的読書感想

『海城発電』『琵琶伝』『予備兵』など、泉鏡花さんは反戦小説をいくつも書いていますが、今回の『凱旋祭』もそのうちのひとつです。

日清戦争の勝利を祝う凱旋祭は、泉鏡花さんが生まれた石川県金沢市が舞台となっているそうですが、生首提灯などの情景描写は著者の幻視とみなされていて、実際の祭では怪しいオブジェクトの数々はなかったのかもしれません。

しかし、戦勝に浮かれる人々の異様な熱気、愛国心を示す催しへ積極的に参加しない人に対する集団での非難や暴力――まるで、象や獅子や百足の妖怪が跳梁跋扈する百鬼夜行のような、不気味な雰囲気が実際にあったのではないか、そしてそれは『凱旋祭』の舞台となる金沢市にかぎったことではなくて、当時の日本全国に蔓延していた空気感なのではなかろうか、などと想像してみると、やっぱりゾッとするような、恐さみたいなものを感じることができます。

浮かれる人々の中、戦争未亡人となった美人は、祭に進んで参加することができず、おそらくそれが原因となって、熱狂する群衆の行列である百足に、踏みつぶされてしまいます(百足は戦争賛成の空気に流されてしまった群衆の象徴的存在ですね、ムカデ競争みたいなイメージで)。

そうした世間の戦争賛美に対する痛憤や批判が、祭の夜に巻き起こった突然の暴風として表現されているのかと考えるなら、よくぞ書いてくれた! と言いたくなるような気持ちがします。

とはいえ、もしもその場に自分がいたら、そういった多数派の空気みたいなものに疑問を持ち、それを否定できただろうか、と想像してみると、なかなか難しく感じてしまい、自分が情けない人間のように思ってしまいます。

ちょっと話は変わってしまうかもしれませんが、現代でもお祭りはあって、それはみんなが楽しめるものだから、いいもののはずなのですが、たとえば翌日に試験があって、勉強のために自分がお祭りに行けないとしたら、それはただの騒音としか感じられず、お祭りなんかなければいいのに、なんて考えてしまいます。

しかし、これは完全にそんな考え方をする自分が悪くて、みんなが楽しんでいるのだから、自分一人は我慢すべきで、それは協調性として日本ではとくに重要な素質だと思うのですが、だけどその協調性が前述の戦争賛美のように、間違ったことも正しくしてしまうのだと思うと、一概には語れない難しいことのように考えてしまうんですよね。

結局世界は多数派のためにできていて、少数派は我慢するしかないのです。我慢がいやなら多数派に回るしかありません。それもいやなら世界から消えるしかありません。

多数派は少数派のことを考えて、少数派は多数派のことを考えて、お互いがお互いに我慢したり譲歩したりして、うまくバランスを保とうとしているのがいまの世界だという気がしますが、それがやっぱり難しく感じられてしまいます。

多数派と少数派がお互いに納得し、完全に均衡の取れた世界なんてあるはずがなく、やはり少数派が我慢して、多数派が幅を利かせる世界が、弱肉強食の自然な世界の在り方なんだと考えてしまいます。

だからといって平等ということを目指さなくてよいわけでもなくて、とはいえ平等ほど成立し得ないこともなく――ここでいつも思考はぐるぐるになってしまいます。

多数派少数派なんて関係なく、自分が正しいと思えることができるひとでありたいと願いますが、しかし自分が正しいと思うことが本当に正しいのか、自信を持つことは難しく、だから結局人に流されてしまい、けど結局それが正しかったとなる場合だってあるわけで……ダメですね、答えが出る気がしません、今日はこの辺りにしておきたいと思います。

読書感想まとめ

反戦小説。少数派でいることは難しく、そして少数派が本当に正しいのかもそのときにはわからない。正しく生きるというのは本当に難しいです。

狐人的読書メモ

・それが正しかろうが、正しくなかろうが、結局人間は自分らしく生きるしかないのであろう、自分らしさに覚悟を持って生きれば、たとえ多数派に排除されたとしても悔いはないのではなかろうか? そうでもないか? 本当に難しい。締まらない読書感想になってしまった。

・『凱旋祭/泉鏡花』の概要

1897年(明治30年)『新小説』にて初出。反戦小説。書簡体形式。泉鏡花の戦争観。戦争賛美の戦時の日本で、正しく反戦を訴えられるというのは、本当に凄いことだと思った。

以上、『凱旋祭/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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