蛾はどこにでもいる/横光利一=愛する人を亡くしたときに、また。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

蛾はどこにでもいる-横光利一-イメージ

今回は『蛾はどこにでもいる/横光利一』です。

文字数6500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約22分。

愛する人を亡くしたときってどんな感じ?
蚊の腹の中でまだ生きている妻の血に、胸がときめく?
残された人は生きなければいけない。
動くものは動くが良い、廻るものは廻るが良い。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

とうとう彼の妻が亡くなった。彼はぼんやりとして、妻の顔にかかっている白い布を眺めていた。昨夜、妻の血を吸った蚊がまだ生きて壁に止まっていた。彼は、蚊が腹に妻の血を蓄えて飛んでいるのを見ると、妻の遺体よりも、蚊の腹の中でまだ生きている妻の血に、胸がときめくのを感じた。

彼は旅に出た。妻の実家、泊まったホテル、行く先々で寝ようとすると、蛾はどこにでもいる。彼にはその蛾が、妻なのではないかと思われてならなかった。

恩師の家に泊めてもらっていたある夜、美しい女が彼のもとを訪ねてくる。「ただお逢いしたかった」と言う彼女に、彼は妻の亡霊を見る。それは蛾を妻だと思うよりも自然なことのように感じられた。

が、話しているうちに、彼女が妻とは全く別の女だということが鮮明になってきた。突如、一匹の蛾が彼女を襲うようにまとわりつく。女を妻と思うより蛾を妻だと強く思う彼は、女を助けることができない。ついに女は部屋から飛び出していった。

翌朝、彼はまた旅に出た。ホテルの日本間で仰向きに寝ると、昨夜の不思議なできごとについて思考を巡らせる。女はただ蛾に本能的な恐怖を持っていただけ。ではあの蛾は? いや、どうでもいいことじゃないか。動くものは動くが良い、廻るものは廻るが良い。

夜の膳が運ばれてきた。一匹の蛾が膳の縁にとまって彼を見ていた。彼は寒さを感じたが、夏だ、蛾はどこにでもいるに違いない。

彼は敢然として刺身を口に投げ込んだ。

狐人的読書感想

『春は馬車に乗って』『花園の思想』などと同様に、横光利一さんの早逝した妻・キミさんについて書かれた短編小説です。

妻を失った喪失感が、冒頭からひしひしと感じられますね。「妻の遺体よりも、蚊の腹の中でまだ生きている妻の血に、胸がときめくのを感じた」って……なんかちょっと病みを感じてしまいますが、しかし名文だと思います。

いつも寝るときに見る蛾が、妻の生まれ変わった姿なのでは――と考えるあたり、おもしろい発想だなと感じます(あるいは内容的にこの言い方は不謹慎かもしれませんが)。

身近な動物、動くものに、亡くなった人の亡霊を重ねて見てしまうというのは、逃避といった人間心理的にもわかりやすいですし、そんな経験はない僕でも共感を覚えるところです。

僕には、横光利一さんのこれら一連の作品を読むときに、必ず喚起させられる思いがあります。それは「亡くなったひとは残されたひとに、いつまでも自分を覚えておいてほしいと願うだろうか?」ということなのです。

もちろん、自分の亡くなった後も、自分の好きな人には自分のことを覚えていてもらいたい、というのはごく自然な感情だと理解できるのですが、はやく自分を忘れて、別の誰かと幸せになってもらいたいという気持ちもまた、抱き得る感情だと思うんですよね。

自分がもし大切な誰かを残して亡くなることになった場合、自分を忘れてほしいのか、自分を忘れてほしくないのか、はたしてどっちの気持ちが強いだろうか……、なかなか想像しがたく考えてしまいます。

やはり、自分を忘れず、しかも新しい幸せを見つけてくれるのがベストだ、という気がしますが、それもなんだかきれいごとすぎるという気がしてしまうんですよね。

これは残された人のほうにとってこそ、大きな問題なのかもしれません。亡くなってしまった好きな人のことは、きっといつまでも覚えていたいでしょうが、実際忘れてしまわなければ、悲しみを抱えて一人、生きていくのはつらすぎることだってありますよね。

そんな心の葛藤の表れが、美しい女の訪問なのかな、という感じがしました。

結局、蛾が女を追い出してしまったことで、彼の中では亡くなった妻への想いがいまだ強いように見受けられるのですが、しかしいつまでもくよくよしているわけにもいきません。残された人はとにかく生きねばなりません。

最後の食事のシーンに、そういった現実的な残された人の生き方みたいなものが、描かれているのではないでしょうか。

とくに若いうちに経験する永遠の別離というものは、なかなか簡単には割り切れないものだと想像します。『春は馬車に乗って』を読んだときにも感じたことですが、自分がつらい別れを経験したとき、ふと読み返してみたく思う、今回『蛾はどこにでもいる』もそんな感じの小説でした。

読書感想まとめ

もしもつらい別れを経験することがあれば、そのときにまた読んでみたく思った小説です。

狐人的読書メモ

・『蛾はどこにでもいる』というタイトルに惹かれる。ちなみに蛾は蝶の祖先であるらしい。もともと夜行性の蛾、その中から昼に活動するものが現れ、花々の間を飛ぶ際の保護色とするため、鮮やかな羽の色に変わっていったのが蝶なのだとか。蛾と蝶の違い雑学。

・『蛾はどこにでもいる/横光利一』の概要

1926年(大正15年)『文藝春秋』にて初出。『春は馬車に乗って』『花園の思想』など、著者の亡妻・キミについて書かれた短編小説。大切なパートナーとの永遠の別れについて思わされる作品。

以上、『蛾はどこにでもいる/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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