狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『おばけずきのいわれ少々と処女作/泉鏡花』です。
文字数5000字ほどの随筆。
狐人的読書時間は約19分。
お化け好き。几帳面で神経質。鬼神力と観音力!
お経のように意味がわからずとも音に力ある美文。
鏡花の人柄が伝わってくる随筆。
文ストの鏡花ちゃん好きもぜひに。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
鏡花は迷信家で、この世には二つの大いなる超自然力があると信じていた。ひとつは鬼神力、これは大入道や一本脚傘の化物など、妖怪変化の類として人前に現顕する。もうひとつは観音力、観世音菩薩の功力である。これらは一草一木に宿っている。
鏡花は鬼神力を畏れ、だからこそ観音力を念じるが、それを哲学的見地あるいは宗教的見地からは捉えていない。観音経を声に出して読む。意味はわからずとも、その音にこそ確かな力が宿っている。それは文章においても同じだから、水には音あり、樹には声ある文章を書きたいと努めている。
鏡花は自身の迷信深さを示す一例として、師である尾崎紅葉の原稿をポストに投函しに行くのが日課だった頃のエピソードを語っている。原稿が一度なくなればまた改めて書くのは難しい。なので紛失を恐れ、原稿を入れた後、ポストの周りを必ず三回、周って見なければ気が済まなかった。このクセは「見苦しいことをするな」という、紅葉の一喝で改まる。鏡花にとって師の一喝は、観音力の現前に他ならなかった。
鏡花が父の訃に接して田舎に帰り、家計困窮のため自らの命を絶とうと決心したときも、紅葉のつぎのような手紙に励まされている。
『其の胆の小なる芥子の如く其の心の弱きこと芋殻の如し、さほどに貧乏が苦しくば、安ぞ其始め彫闈錦帳の中に生れ来らざりし。破壁残軒の下に生を享けてパンを咬み水を飲む身も天ならずや。』
要するに、馬鹿め、しっかり修行しろ。厳しい叱責だが、信じている師の言葉だからこそ、鏡花は心機一転、立ち直ることができた。
日清戦争当時は小説家にとって飢饉の年だった。新聞は戦争におわれて小説など載せなかった。春陽堂が鉄道小説、探偵小説を多く出版し、小説家と読書家を救ったという。
鏡花の処女作『冠弥左衛門』にも裏話がある。これは巌谷小波の執筆期間中のつなぎとして鏡花が書いた小説だ。本人初めての新聞掲載、出世第一作、家族に聞こえるくらいこれ見よがしに朗読するほどうれしかったが、後で聞いたところによると評判はよくなかったらしい。
デビュー作の『冠弥左衛門』ののち、探偵小説の『活人形』、『聾の一心』、『鐘声夜半録』、『義血侠血』、『予備兵』、『夜行巡査』の順に鏡花の作品はつぎつぎと発表されていった。
狐人的読書感想
泉鏡花さんの随筆ですね。小説の文語体(美文調)とは違って口語文なので、とても読みやすかったです。
その人柄が伝わってくる作品なので、泉鏡花という人物に興味を持っている方におすすめできます。
『文豪ストレイドッグス』や『文豪とアルケミスト』の人気で、文豪その人物やその作品自体にも、興味を持っている人がけっこういるんじゃなかろうか、などと想像しているのですが、案外そんなこともないんでしょうかね?
ともあれ、僕としてはおもしろく、興味深く読めました。
泉鏡花さんといえば、やはり幻想小説や怪奇小説のイメージが強いですが、迷信家であるというのはこのたびはじめて知りました。
強く迷信を信じているからこそ、あれだけ惹きつけられる幻想譚や怪異譚を描けたのだろうと、妙に納得してしまいました。
「この世には二つの大いなる超自然力がある――それは鬼神力と観音力!」みたいな。
鬼神の一族と観音の一族の争いを描く伝奇的小説、みたいな空想がパッと思い浮かんだのですが、まあ、ありがちですかねえ……(思いついた瞬間は「おっ!」って感じだったんですけれどもねえ……)。
観音経の読誦についての考え方は、たしかに泉鏡花作品の美文調に通じていて、こちらもとても納得してしまいます。
お経の意味がわからずとも、読んだときの美しい音調に力が宿っているように、鏡花作品の美文調も、意味はわからないのだけれども、なんとなく心惹かれる文章というのが多々あるんですよね。
現代は言わずもがなの口語体、しかもできるだけわかりやすい言葉で書かれていなければ読者には読んでもらえず、もはや泉鏡花さんや尾崎紅葉さんのような、美文調の小説は生まれてこないかもしれませんね。
そう思えば、現代でもたしかなファンがついている泉鏡花作品は貴重だ、という気がしてきます。これからも長く読み継がれていくのか、それともだんだんと廃れていってしまうのか――狐人的には前者を望みたいところです。
ポストのエピソードは迷信深さというよりは几帳面さや神経質を示しているお話のように思えました。
ただ気持ちはわからなくもありません。
一度書いた原稿データが消えてしまえば、それを改めて書くのはやっぱり難しい気がするんですよね。
スジやところどころの文章は覚えていても、まったく同じものにはならないという気がします。
昔は原稿のコピーをとるのも大変だったかもしれませんが、いまはデジタルデータがほとんどですよね。バックアップは忘れずにとっておきたいところです。
逆にいまの時代に得にくいものもあって、それは小説の師匠という存在だと思います。
小説の専門学校とかもあるみたいですが、誰かに習って小説を書いているひとって、どのくらいいるんだろうなあ、と、ふと疑問に思います。
泉鏡花さんは師匠の尾崎紅葉さんを熱烈に敬愛していたようですね。師の言葉すなわち観音力の現前に他ならないって、ちょっと恐いような気もしますが、そこまで信頼できる人がいるというのは心強いだろうなあ、などと想像します。
小説にかぎらず、いまは何事においても師匠という存在は少なくなってきてるんですかねえ……、なんとなく感慨深い気持ちになりますね。
日清戦争当時の小説家事情や処女作『冠弥左衛門』の裏話もとても興味深いものでした。
とくに、「襖一重隣のお座敷の御家族にも、少々聞えよがしに朗読などもしたのである」といったあたり、文豪と呼ばれるような人でも、やっぱり最初に認められたときはうれしいかったんだなあ、と思うと、ちょっと親近感が湧いたりします。
終わりに紹介されていた『冠弥左衛門』、『活人形』、『聾の一心』、『鐘声夜半録』、『義血侠血』、『予備兵』、『夜行巡査』の作品の中では、『夜行巡査』しか読んだことがないので、またほかの作品も読んでみたいと思います。
読書感想まとめ
『文豪ストレイドッグス』や『文豪とアルケミスト』の人気で、文豪その人物やその作品自体にも、興味を持っている人は多い(はず)でしょう、鏡花ちゃん好きにもぜひおすすめしたい作品です。
狐人的読書メモ
『蓋し自分が絶対の信用を捧ぐる先生の一喝は、この場合なお観音力の現前せるに外ならぬのである。これによって僕は宗教の感化力がその教義のいかんよりも、布教者の人格いかんに関することの多いという実際を感じ得た。』
宗教の感化力は、教え(経典)よりも布教者(キリスト、ブッダなど)の人格いかんに関することの多い――というところには共感を覚えた。たしかに現在の新興宗教などを鑑みても、その教義よりはカリスマ的人物によるところが大きいように見受けられる。それが昔からのことだという点は改めて気づかされたようにも思う。
・『おばけずきのいわれ少々と処女作/泉鏡花』の概要
1907年(明治40年)『新潮』にて初出。泉鏡花の人物が感じられる随筆。おもしろく、また興味深く読むことができた。
以上、『おばけずきのいわれ少々と処女作/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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