狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『郷愁/織田作之助』です。
文字数8000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約21分。
「世相」とは、
人間が生きている限り、
何の理由も原因もなく持たねばならぬ憂愁の感覚。
だから人間を描かねば世相は描けない。
詰将棋のように小説を書くこと。
すばらしく勉強になりました。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
夜の八時過ぎ、新吉はプラットフォームのベンチに座り、大阪行きの電車を待っていた。四十時間一睡もせず、ぶっ通しで書き上げた小説を、中央郵便局へ持っていくためだ。これでどうにか〆切に間に合うだろうか……。
新吉は世相を描こうとしていたが、結末がどうしてもうまくいかず、結局「世相は遂に書きつくすことは出来ない」という、逆説的で納得できないものになってしまった。
新吉がぼんやり座っていると、宝塚行きの電車が入ってきて、四十くらいのみすぼらしい女が一人、降りてきた。女は新吉の傍へ寄ってきて「ここは荒神口でしょうか」と尋ねる。「いや、清荒神です、ここは」。
この辺りに荒神口という駅はない。新吉が女にそのことを伝えると、女は半泣き顔で、懐から電報を出して見せる。『コウジ ング チヘスグ コイ』、主人からのものだという。
大阪行きの電車が入ってきたので、新吉は一度家に帰るよう勧めてみるが、途方に暮れている女は心が決まらないらしく、新吉は一人電車に乗った。動き出した電車の窓から見ると、女は新吉の座っていた場所に腰かけ、きょとんとした眼を前方へ向けていた。
向かい側に座っている二人の男が、大声で戦後の新円切替について話していた。新吉はさきほどの女のことを考えた。女の一途さにかぶさっている世相の暗い影から眼をそむけることはできなかった。
原稿を送って再び阪急の構内へ戻ってきた新吉は、夕刊を売っていないかと、地下鉄の構内へ階段を降りる。
阪急百貨店の地下室入口前で、一人の浮浪者が横になり、その傍に、五、六歳くらいの浮浪者の子供らしい男の子が、膝立ちでちょこんとうずくまり、きょとんとした眼で何を見るともなく、上のほうを見上げていた。
自分はなぜこんな所で夜を過さねばならないのか、なぜこんなひもじい想いをしなければならないのか、なぜ夜中に眼をさましたのか、なぜこんなに寒いのか――不思議でたまらないというような眼だった。
子供のきょとんとした眼、女のきょとんとした眼――それこそが世相だった。暗いとか絶望とかいうのでもない、虚脱とか放心とかいうのでもない。それは、いつの時代もいつの世相のときでも、大人にも子供にも男にも女にも、ふと覆いかぶさってくる得体の知れない異様な感覚であった。
人間というものが生きている限り、何の理由も原因もなく持たねばならぬ憂愁の感覚――「世相」などという言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎない。
なぜ人間を書こうともせずに、「世相」を書こうとしたのか――新吉ははげしい悔いを感じたが、同時に道が開けた明るい想いも抱いていた。
狐人的読書感想
「人間というものが生きている限り、何の理由も原因もなく持たねばならぬ憂愁の感覚」――それが「世相」。
すばらしい作品だと思いました。
だから人間を描かずして世相は描けない――言われてみればたしかにそのとおりで、しかしそれをするのがなかなか難しく感じてしまいます。
「新聞も政治家も一般民衆もその言う所はほとんど変らない。いわば世相の語り方に公式が出来ているのだ」というところに感銘を受けます。
株価や有効求人倍率といった経済指標の上昇、デフレ脱却、プレミアムフライデーなどの働き方改革……しかし、その恩恵を受けているのは一部の大企業社員や富裕層、求人も安定しない非正規雇用が増えているだけであって、給料だって多くの人は上がっていないという世相が、現代にはありますよね。
世相を書こうとするとき、上のようにどうしてもニュースのワードを羅列してしまいがちになりますが、人間を通して書かなければ、それってホントには伝わらないんですよね。
人間を通して世相を描くことで、人の心に訴えて、実感させることができる――小説の持つ、一つの優れた点だと感じました。
織田作之助さんは、自身の作家としての考えや作家論みたいなものを、作品の中に描いていることも多いように感じていて、とても勉強になります。
「睡魔と闘うくらい苦しいものはない」と言いつつも、四十時間ぶっ通しで小説を書き上げたというのはすごいです。
僕などは、何を書いていても、眠いとほとんど何も書けなくなってしまうので、その秘訣を教えてもらいたいところです。
また、「一行の落ちに新吉は人生を圧縮出来ると思っていた」という部分には、オチの重要性を再認識させられます。
「小説を書くのは詰将棋のようなもの」だと新吉(あるいは織田作之助さん)は考えていて、ここにはプロット作りを思わされるところがあります。
「新吉は書き出しの文章に苦しむことはあっても、結末のつけ方に行き詰るようなことは殆どなかった」そうですが、僕は逆に書き出しから途中までは案外すらすら書けても、そこでなぜか行き詰ってしまうことがままあるような気がしています。
やっぱり、はじめにちゃんとプロットを作ってから書きはじめたほうが、効率的だしうまく書けるものなのかもしれませんね……「小説を書くのは詰将棋のようなもの」、心に刻んでおきたい言葉です。
勉強になる作品だと思いました。
読書感想まとめ
・人間を描かずして世相は描けない
・小説を書くのは詰将棋のようなもの
狐人的読書メモ
「しかし、今は仕事以外に何のたのしみがあろう。戦争中あれほど書きたかった小説が、今は思う存分書ける世の中になったと思えば、可哀想だといい乍ら、ほかの人より幸福かも知れない」――仕事以外に何のたのしみがあろう、はいかにも日本人っぽくもあるが、そのあとの心境は見習いたい、そう思えるようになりたいところである。
・『郷愁/織田作之助』の概要
1946年(昭和21年)『真日本』にて初出。すばらしい小説。小説の勉強になる小説。
以上、『郷愁/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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