狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『夢遊病者の死/江戸川乱歩』です。
文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約41分。
肉親憎悪という言葉がある。ヒキニートという言葉がある。
子供は心無い言葉で親を遠ざけ、親は子供を恐れて近づけない。
どうしてこうなっちゃうのかな。ちゃんと話してほしいな。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
彦太郎は夢遊病者だった。そのことが原因で勤め先の木綿問屋をクビになり、父親のところへ帰ってきた。
50歳を越えた父親は、旧藩主M伯爵邸の門長屋に住み込んで、小使のようなことをしていた。
父親は、息子が店の金を使い込みでもしたのだろう、と早合点をしてしまった。
彦太郎は、父親から頭ごなしに説教されると、自分の病気が恥ずかしいのもあって、夢遊病のことを打ち明けられずにいた。
こうして父子の関係は日増しに悪くなっていった。
ある雨の夜、父子はまた口論となり、取っ組み合いのケンカをした。彦太郎は部屋の隅にうずくまり、父親は銭湯へ行ってしまう。
いつしか雨はやんでいる。銭湯から帰ってきた父親は、息子の機嫌をとるように、庭で一緒に月を見ようと誘うが、彦太郎は泣いたままの姿勢で答えなかった。
翌朝、彦太郎が目を覚ますと、部屋の中に父親がいない。
出勤するにはまだ早い時間……妙な胸騒ぎを覚えた彦太郎は、縁側にあった下駄をつっかけると、急いで庭の籐椅子の側へ行った。
このとき、彦太郎は二足ある下駄のうち、桐の地下穿きのほうではなく、朴歯の日和下駄のほうを履いた。もしも桐の地下穿きのほうを履いていたならば……彼のその後は大きく変わっていたかもしれない。
父親は亡くなっていた。
彦太郎は伯爵家に駆けつけ事の次第を伝えた。
伯爵家の電話で警察が呼ばれた。
警察の調べによると、死因は鈍器による打撃、絶命したのは昨夜十時前後、周囲に加害者の遺留品は何もなく、ただひとつ、一束のダリヤの花が籐椅子の側に落ちていたが、誰も注意を払わなかった。
唯一の手掛かりは、雨ではっきり残っていた、あるひとつの足跡だけだ。
関係者のものではない、その足跡は、彦太郎の家の縁側から続く、桐の地下穿きのものだった――彦太郎は夢遊病者だった、もしや昨夜、桐の地下穿きを履いた自分が、父を……。
ようやくそれに思い至った彦太郎は、門のところに立てかけてあった警察の自転車に乗って逃げた、真夏の日光の下、必死に逃げて逃げて逃げて逃げて――ついに力尽きて道端に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
その間、伯爵邸では、一人の書生が犯人として名乗り出ていた。
昨夜、伯爵邸ではパーティーがあった。その片づけをしていた書生は、ふとつまづいて、転んでしまったはずみで、花瓶を置く台を倒し、その上の品物が勢いよく窓から飛び出していった。
その品物は、装飾用の花氷だった。
氷の塊は籐椅子に座って月を眺めていた彦太郎の父親の頭を打ち……溶けて雨水とまじり、あとにはダリヤの花束だけが残った。
主が不明だった桐の地下穿きの足跡は、被害者である彦太郎の父親自身が残したものだった。桐の地下穿きは真ん中がひび割れており、それに気づいた被害者は、一度家に戻って履き替えたのだろう、と警察では結論付けた。
その翌々日、彦太郎と父親の棺が、M伯爵家の門を出た。噂を聞いた人たちは、親子の変死を気の毒がったが、なぜ彦太郎は逃亡を試みたのか――その謎だけは残された。
狐人的読書感想
彦太郎……この名前を読むたびに、ピコ太郎をイメージしてしまうのは、僕だけ?
――なんて、名前の響き以外まったく関係ないのですが、PPAPが浮かんできてしまって、どうしてもシリアスな気持ちになれませんでしたねえ……強烈なインパクトあるイメージの、影響力を思います(違う?)。
さて。
そんな(?)『夢遊病者の死』の読書感想ですが、やはり江戸川乱歩さんの作品は、人間感情の描き方が巧みなように感じられます。
主人公の彦太郎は、夢遊病のためお店をクビになってしまい、病気の不安のため、なかなかつぎの勤め先を決められないでいました。
病気のために思うような仕事ができない人の気持ちというのは、健常者が普段あまり考えることのないものだという気がします。
彦太郎の抱えるイライラとした鬱屈は、そのような気持ちに通じているところがあるように思えて、なんとなく感じるところがありました。
うまくいかない親子関係についても、思わされるところがあります。
本文中では「肉親憎悪」という言葉が使われていますが、まさにこれを感じたことのある人は、少なくないのではないでしょうか?
息子がニート状態になってしまい、その原因を想像して、いろいろと口うるさく言ってしまう父親の気持ちはわかりますし、息子の側も精神的な問題を抱えていて、しかしそれを恥ずかしさと反発から切り出せずにいるのもわかるような気がします。
お互いにちゃんと話し合えれば、案外すんなりことが運ぶかもしれないのに、なぜかそれができないんですよね。
親子だからこそ互いに甘えがあったり、妙な見栄が邪魔をして、正直な気持ちを言えないのかもしれません。
「死んじまえ、死んじまえ、死んじまえ……」と、彦太郎が狭い部屋の中でひとり、父親を連想しながら呟いている場面があるのですが、現代のヒキニートを思わされるシーンで、ひきこもりがちな僕としても胸が痛くなるところでした。
子供は心無い言葉で親を遠ざけてしまい、親はそれを恐れて子供に近づけなくなってしまい――どんどんお互いの心の距離は開いてしまうのでしょうね。
本音で話し合わなければ何も前進しないのに、それがどうしてもできない……なんでかなあ、なんでこうなっちゃうのかなあ、なんて、思ったり。
父親のお説教の中で、ひとつ印象に残ったところがあります。
「そんな贅沢がいえた義理だと思うか。先のお店をしくじったのは何が為だ。みんなその我儘からだぞ。お前は自分ではなかなか一人前の積りかも知れないが、どうして、まだまだ何も分りゃしないのだ。人様が勧めて下さる所へハイハイと云って行けばいいのだ」
自分が夢遊病であって、そのためにお店を辞めさせられた彦太郎からしたら、カチンとくる物言いかもしれませんが、しかし『お前は自分ではなかなか一人前の積りかも知れないが、どうして、まだまだ何も分りゃしないのだ。人様が勧めて下さる所へハイハイと云って行けばいいのだ』という部分は、たしかにそういうこともあるかもしれないな、と、僕は思わされてしまいました。
将来の夢や就きたい職業、よく「やりたいことが見つからない」という言葉を耳にしますが(あるいは口にしますが)、やりたいことを見つけられる人のほうが少数派なのかな、なんてことを考えたりもします。
まずは状況に流され飛び込んでみて、やってみればそれがやりたいことになるのかもしれず、この父親の言葉は人生の先輩の助言として、ひとつ受け止めてもいいもののように感じます。
江戸川乱歩さんの『夢遊病者の死』は、ミステリーとしてもおもしろく読んだのですが、それよりも人間感情について思わされるところの多い読書でした。
読書感想まとめ
これを読んで、ちゃんと親と話そうという気になれたら、いいのにな。
狐人的読書メモ
彦太郎の運命を決定づけた二つの下駄のうち、どちらを履くかという選択。彦太郎はそんなことを知る由もなく、ただなんとなく朴歯の日和下駄を履いたがために破滅してしまう。人間の力では抗いようのない、運命力のようなものを感じた。中島敦さんの作品によく見られるテーマだ。
・『夢遊病者の死/江戸川乱歩』の概要
1925年(大正14年)7月、『苦楽』(プラトン社)にて初出。江戸川乱歩全集、第1巻『屋根裏の散歩者』収録。初出時のタイトルは『夢遊病者彦太郎の死』。夢遊病は『二癈人』でも取り上げられていたテーマ。
以上、『夢遊病者の死/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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