煙草と悪魔/芥川龍之介=勝っていると思ったら、じつは負けてる?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

煙草と悪魔-芥川龍之介-イメージ

今回は『煙草と悪魔/芥川龍之介』です。

文字数7500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約18分。

悪魔と人間の知恵比べ。
ストーリーラインは童話などによく見られるものですが、
示されるテーマは趣を異にしていて、おもしろい。
お金、頭、容姿――あなたは勝ってる? 負けている?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

たばこを日本に伝えたのは悪魔だという伝説がある。この悪魔は天文18年(1549年)、フランシスコ・ザビエルに仕える宣教師の一人に化けて、ともに日本へやってきた。

ところが、日本にはまだキリスト教信者がおらず、悪魔が誘惑する相手がいない。そこで悪魔は暇潰しに、園芸をしようと考えた。さっそく、すきくわで畑を耕し、お寺の鐘の音がいざなう道徳的眠気を払いながら、耳の中の種をまいた。

それから幾月か、その夏の末にはうす紫色の花畑が完成した。そこに一人の牛商人が通りかかり、宣教師に声をかける。

「その花はなんですか?」。「名前を当ててごらんなさい。三日間よく考えてみなさい。当たったら、この畑に生えているものをすべてあなたにあげましょう。当たらなかったら、私があなたに何かもらうことにします」。「いいでしょう。なんでもあなたのおっしゃるものをあげましょう」。「では、当たらなかったら、あなたの体と魂をもらいます!」。

宣教師は牛商人の前に悪魔の正体を現した。牛商人は冗談のおしゃべりだとばかり思っていたので、これにとても驚いて、悪魔の手にのってしまったことを後悔した。三日間知恵を絞ったが、どうしても花の名前がわからない。

そこで牛商人は一計を案じた。約束の期限の切れる晩、黄牛あめうしを例の畑のところで暴れさせた。慌てて出てきた悪魔の宣教師は「ちくしょう、なんで、俺のたばこ畑を荒らすんだ」。こうして、たばこ畑は牛商人のものになった。

悪魔は牛商人の肉体と霊魂を自分のものにできなかったが、これを悪魔の負けといえるだろうか? たばこは日本全国に普及し、人間の堕落に一役買っているように思える。悪魔の失敗は、一面の成功を伴ってはいないか? 悪魔は転んでもただでは起きない。誘惑に勝ったと思うときにも、人間は存外、負けていることがありはしないか?

もう一つ、江戸時代のキリスト教禁止令によって、悪魔は日本から姿を消した。それ以降の悪魔の消息を語っているものはなく、明治以後、再び渡来した悪魔の動静を知ることができないのは残念だ。

狐人的読書感想

日本のお寺の鐘の音に心を洗われそうになりながら、それを振り払うために一生懸命畑を耕し、健康的な労働生活を送る悪魔のキャラクターが憎めません。

本作は芥川龍之介さんの「キリシタンもの」と呼ばれる作品群の一つですが、芥川さんの描く悪魔はどこか憎めないキャラが魅力的なんですよね(それを感じさせない作品もありますが)。

悪魔と知恵比べをするこの物語の本筋は、グリム童話の『ルンペルシュティルツヒェン』を彷彿とさせます。

そこには人間が悪魔に打ち克つという、勧善懲悪的なメッセージが含まれているように感じるのですが、本作はそれとはちょっと異なる見解がオチの部分に示されていて、ここをおもしろく読みました。

牛商人は悪魔との知恵比べに勝利し、たばこ畑を手に入れましたが、それを日本に広めることで、人々の健康を害するという、全体的に見れば悪魔が勝ったといえそうな展開ですよね。

人間は、どうしても目の前の勝利や成功というものに目を奪われてしまいますが、長期的に見ればたしかにそれが敗北だったと思えることもあって、勝つってなんなんだろう、などと考えさせられるところです。

善悪は表裏一体、その価値観は時代によって大きく変わりますが、勝敗というものもまた表裏一体だというふうに感じます。

現在の日本では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、受動喫煙対策が進められていますが、たばこの煙に含まれる成分は肺がんのリスクファクターであり、副流煙によって周囲の人にも害があることを思えば、たばこは悪であるということが、現在の善となりつつあるような気がします。

『煙草と悪魔』が発表されたのは1916年(大正15年)のことですが、作中でもたばこは明らかに悪いものとして描かれていて、けっこう昔からこの認識があったことを意外に思いました。

たばこはコロンブスがスペインに持ち帰って世界中に広まったといわれていて、日本には1570年代にポルトガルから伝わったといいます(この説を信じるなら、本作で取り上げられたザビエルのキリスト教布教、1549年から20年ほど後ということになりますね)。

1900年(明治33年)に未成年者喫煙禁止法が公布されていますから、芥川龍之介さんが本作を書かれた頃には「たばこが体に悪い」という認識は一般的になっていたと考えられます。

最後にもう一つ、教訓というか、警告のような一文があります。

――記録は、大体ここまでしか、悪魔の消息を語つてゐない。唯、明治以後、ふたたび、渡来した彼の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾ゐかんである。……

意味深な感じですよね。

西洋文化は便利な反面、日本人の精神的風土を脅かすような、悪魔的なものをも含んでいると捉えられるかもしれません。芥川龍之介さんは、そうしたものが日本に取り入れられていくことに、何か不安を感じていたのかもしれません。

食生活やファッション――現代の日本は西洋文化を取り入れて発展した姿ですが、そこにはやっぱり、悪魔的なものがあるように感じます。

おいしさ、便利さ、かっこよさやかわいさなどに目を奪われて、勝っていると思いつつ、じつは悪魔に負けてはいないでしょうか?

感慨深い小説でした。

読書感想まとめ

勝つとは? 負けるとは? おいしい、便利、かっこいい、かわいい――目の前のことに目を奪われて、勝っていると勘違いして、悪魔に負けていませんか?

狐人的読書メモ

天使はどこに、悪魔はどこに……。

・『煙草と悪魔/芥川龍之介』の概要

1916年(大正5年)『新思潮』にて初出。初出時の表題は『煙草 西川英次郎氏に献ず』。キリシタンもの。善悪の表裏。近代化への不安。

以上、『煙草と悪魔/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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