狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『雁の童子/宮沢賢治』です。
文字数10000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約25分。
天人だった童子はある罪を背負い、下界で養子として育つ。
天への帰還を予感した童子は、養父に前世の罪を告白する。
お父さん、私は前世で、あなたの本当の子供でした――
輪廻転生物語。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
旅人の「私」が流沙の南の小さな泉で昼食をとっていると、巡礼の老人がやはり食事のためにそこへやってくる。「私」は泉のうしろに小さな祠を見つけて、その由来を老人に尋ねてみる。それは雁の童子の祠だと、老人は語りはじめる。
沙車に、須利耶圭という人がいた。名門の生まれだったが落ちぶれて、夫婦二人静かに暮らしていた。ある明け方、須利耶は鉄砲を持った従兄と野原を歩いていた。七羽の雁の列が飛んでいた。
従兄は須利耶が止めるのも聞かず、つぎつぎと六羽の雁を撃った。すると落ちていく雁が突然人の姿に変わり、須利耶と従兄弟が驚いて近寄ってみると、一番最初に撃たれた雁は老人で、悶えながら須利耶に言った。
「私どもは天の眷属です。罪があって雁の姿に変わっていましたが、いま報いをはたしました。私どもは天に帰ります。ただ私の一人の孫だけはまだ帰れません。どうかあなたの子にして、育ててください」
須利耶はこれを引き受けた。この話は沙車全体に広がり、子は雁の童子と呼ばれるようになる。須利耶夫妻はこの子を大切に育てた。
雁の童子はやはり変わった子供だった。ほかの子供らに「雁の捨て子」と石を投げられても、にこにこ笑っていた。子供らをたしなめた須利耶が、「なぜ泣かないのか」尋ねると、「おじいさんは鉄砲の弾丸で撃たれました」と童子は言うのだ。
ある日の食卓で、須利耶の妻が童子のために魚を小さく砕いていると、童子は堪らなくなって家を飛び出し、空に向かって大声で泣いた。またあるとき、母馬の乳を飲んでいた仔馬が無理に引かれていくのを見て、童子は須利耶にすがりついて泣いた。
童子は十二歳のとき、首都の塾へ入ることになる。しかし冬が近づいたある日、童子は突然家に帰ってきて、「勉強している暇はありません。お母さんと一緒に働こうと思います」と言う。須利耶の妻は「お前が立派になることを私は楽しみにしているんですよ」と言い聞かせて、童子はしょんぼり塾へと戻っていった。
冬に入ると須利耶は都に出て童子を訪ねた。二人で散歩をしていると、童子は沈んだ面持ちで「私はお父さんと離れてどこへも行きたくありません」、須利耶は「もちろんだ」と答えてやった。
ちょうどその頃、沙車の町はずれの砂の中から、古い沙車大寺の跡が掘り出され、その壁の一つに三人の天童子が描かれていた。その一人は雁の童子にそっくりで、そこへ立ち寄った須利耶が「恐いくらい、お前に似ているよ」と童子を振り返ると、童子はそこに倒れていた。急いで走り寄った須利耶に童子は言った。
「お父さん。お許しください。私は前世であなたの本当の子供でした。私どもは一緒に出家しましたが、事情があって、二日ほど仮の還俗をしたことがあります。そのとき、私には恋人があり、再び出家するのをやめようかと迷ったのです」
童子はさらに何かを呟いたようだったが、須利耶はそれをもう聞き取ることはしなかったという。
「私」は一期一会の出会いと老人に感謝の言葉を述べる。老人は黙って礼を返す。老人はさらに何かを言いたそうにしたが、にわかに向こうを向き、「私」は再び、荒れ地を歩きはじめる。
狐人的読書感想
これを読んで『竹取物語』を連想する人もいるみたいですが、僕はなぜか『西遊記』を連想しました(「天の眷属やその罪」、「輪廻転生」、「流沙と流沙河」など)。
作中に出てくる地名で「流沙」はタクラマカン砂漠のことで、「沙車」は現在のヤルカンド(新疆ウイグル自治区カシュガル地区)の古代国家の名前とのこと。
老人の話は、いまでもインドやチベットなど、アジアで広く伝わっている「天人伝説」とでも呼べるもので、『竹取物語』はまさに日本の天人伝説ですし、『西遊記』も西域を舞台にした物語なので、どちらも当たらずとも遠からず、といった感じでしょうか?(ムリあり?)
インドやチベットでは「天界で罪を負った天人が、鳥に化身して地上に下りてくる」というものはけっこう多くみられるのだそうです。
雁の童子と須利耶にもモチーフがあるらしく、雁の童子は『妙法蓮華経』の訳者として知られている鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)、須利耶は名前もほぼそのまま、クマーラジーヴァの師である須利耶蘇摩(スーリヤソマ)です。
雁の童子と須利耶の親子関係も、クマーラジーヴァとスーリヤソマの師弟関係とほぼ通じていて、雁の童子の最後の告白部分はクマーラジーヴァの経歴との重なりがみられます。
以上のように、西域の天人伝説、クマーラジーヴァとスーリヤソマ、仏教、などが作品のモチーフとなっているそうですが、ともあれ、おもしろい童話でした。
大きなテーマは「輪廻転生」ということのように感じました。
仏教の教え、人は業を背負って無限の転生を繰り返し、その中では前世で深い縁のあった人物、家族、友人、恋人などと再会をはたす喜びがありますが、しかしそれは一時的なものであって、再び別れは訪れます。
もしも人の生が本当にそのようなものであるのだとしたら、まさに無常、はかなさを感じずにはいられませんが、それを受け入れるということが、悟りを開くということなんですかね? よくわかっていません。
そんなふうにして読んでみると、仏教の教えが描かれている経典(?)みたいな童話だと捉えることもできて、ストーリーのおもしろさとはまた違った趣を感じることができます。
いくつかミステリー的な感じで気になるところもあるんですよね。
童子はも一度、少し唇をうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと申します。
雁の童子が前世を告白をするシーンは、上の引用のような描写で終わるのですが、気になるのは『須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかった』という部分です。
童子の声が弱々しくなっていて聞き取れなかったのか、童子が天に帰る事実を認めたくなくて、あえて聞こうとしなかったのか、あるいは別の理由で?――どう思いますか?
また、以下の引用は、老人の物語が終わり、老人と「私」が別れるシーンです。
老人は、黙って礼を返しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、今まで私の来た方の荒地にとぼとぼ歩き出しました。私もまた、丁度その反対の方の、さびしい石原を合掌したまま進みました。
明らかに、雁の童子と須利耶のラストとの対比になっているんですよね。
出会いの喜び、別れの悲しみ――どちらも同じことのように受け入れて、人は歩いていかなければならない、みたいな意味を読み取れるのですが、ひょっとして老人は須利耶の、「私」は雁の童子の、それぞれ生まれ変わりだったのだろうか? などと考えてみると、なんかちょっとワクワクできるんですよねえ。
いろんな視点で読んでおもしろい作品だと思いました。
読書感想まとめ
出会いの喜び、別れの悲しみ――どちらも同様に受け入れて、人は前へ歩いていくのです。
狐人的読書メモ
異世界転生とかあるけれども、出会いと別れを繰り返す輪廻転生は創作のモチーフとしてやっぱりおもしろいと再認識した。
・『雁の童子/宮沢賢治』の概要
初出わからず。『マグノリアの木』『インドラの網』とともに「西域異聞三部作」と呼ばれる作品。輪廻転生。仏教的内容。
以上、『雁の童子/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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