狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『竜潭譚/泉鏡花』です。
文字数17000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約53分。
千里の神隠し。美しい情景と幻想の世界。
自立と母の再生は
スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』
に通底するテーマです。
神隠しにあった家族が、はやくまた出会えるように、
願っています。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
千里という名の幼子が山道を歩いていく。どこもかしこも紅色のつつじの花が咲いていて、おもしろい眺めだ。何かが頬をかすめる。五彩に輝く虫だ。姉上が毒虫だと言っていたのを思い出す。千里は夢中で毒虫を追う。
毒虫が触れた頬がかゆい。どこまできてしまったのだろう。日差しが赤くなってきた。まだ家には遠い、と思えば、姉上の顔が懐かしくて泣いた。「もういいよ」と呼んでいるのが聞こえてきて、千里は石と木の鳥居をくぐり、小さな稲荷の堂、鎮守の社に足を踏み入れる。
言うことを聞かず勝手に遊びに出て泣いたのを、姉上に知られなくてよかったと思う。千里が一人境内に佇んでいると、五、六人の子供が走ってくる。誘われるまま一緒にかくれんぼをする。鬼になった千里は誰も見つけられない。みんな黙って帰ってしまったのだろうか。
「こちらへおいで」、顔の色が白く、背が高く、美しい女が千里を呼んだ。千里は女についていく。稲荷の社のところへくる。女が消える。暗くなる。ゾッとする。暗い隅に行ってはならない、黄昏の片隅には怪しいものがいて人を惑わすから――姉上が教えてくれたことがある。千里は社の裏へ逃げ込んだ。しばらくすると二、三人の人の気配。「ちさとや」と呼ぶ姉上の声。
怪しいものが姉上に化けたのか、だけど……。走り出たときにはもう遅く、姉上の姿はなかった。千里は涙を洗おうと御手洗に近寄る。思わず叫んだ。行燈の灯に照らされた水面、映る顔は誰? そこへ姉上がやってくる。千里が振り向くと、姉上は「違ってたよ、坊や」と言って駆け去ってしまう。
ただ悔しくて、姉上をつかまえたくて。千里は駆けた。坂を下り、上り、町に出て、暗い小道を辿り、野も横切り、畔も越えて――やがて大沼が行く手を塞ぐところで千里は倒れた。
気がつくと柔らかい布団の上に寝ていた。縁側に続く庭、岩角に立てられた一本のろうそくの灯、一糸まとわぬ姿で水浴びをしている美しい女。姉上よりも年上で、初めて会ったとは思えずに、誰だろう、千里はつくづく女の顔に見入る。
女が言うに、千里の頬をかすめたのはハンミョウという大変な毒虫だった。毒で顔が変わってしまい、姉上が見間違えたのも無理はない。もうすっかりきれいになったわ。女は静かに雨戸を引くと、千里に添い寝した。
ここは九ツ谺というところなの、さあもう寝るんですよ。女は千里に乳を含ませてくれた。姉上は乳を飲もうとするのをお許しにはならないし、母上が亡くなられてから三年が経っていた。
翌日、千里は老夫に背負われ山路を行き、舟で大沼を渡る。舟はくるくるくると回り、見送る女の微笑が見えなくなる。
帰ってきたふるさとの町の道で、千里は後見人の叔父につかまり、家に連れて行かれ、そのまま柱に縛りつけられる。叔父は、千里に魔が憑いていると言い、姉上は無言でさめざめと泣く。叔父の妻は千里を「薄気味悪い」と言う。
閉じ込められて日が過ぎていく。姉上が気遣ってこっそりと夕暮れの町に連れ出してくれたが、「狐憑き」、かつての友達が石を投げる。姉上は顔を赤くして千里をかばいながら逃げ戻る。
たしかに千里は獣の心になっていた。すべてのものが千里を腹立たせた。美しいあの女の人のところへ逃げ去りたかった。
千呪陀羅尼のお祓いによって、千里の憑き物は落ちた。儀式の夜は激しい嵐となり、九ツ谺の谷が洪水に沈んだという。
いま、若く清らかな顔をした海軍少尉候補生は、かつて九ツ谺だった淵に臨んで粛然としていた。
狐人的読書感想
神隠しもの、でいいんでしょうか、母胎回帰的な内容? 泉鏡花さんといえばやはり情景描写が美しく、幻想的で――すごくよかったです。
神隠しといえばスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』を思いますが、泉鏡花さんの『竜潭譚』に影響を受けている、という見方があるようですね。
少年少女の自立、母の再生、といったあたりに共通するテーマが見られるそうで、言われてみればたしかに、という気もします。
『竜潭譚』では姉の母性の成長がひとつ印象的なところでしたが、『千と千尋の神隠し』でも全編を通じて千尋が母性を発揮する場面があって、とくにハクとの関係性に顕著だったように感じます。
宮沢賢治さんの童話『オツベルと象』は、やはりスタジオジブリの『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』に影響を与えているともいわれていますよね。
他にも近代文学が現代日本のアニメーションに大きく関連しているというような話を聞けば、活字離れが進んでいるといわれる昨今、そのような童話や小説を読んでみようかな、という気がしますが、どうでしょうね?
(インターネットやSNSなどの普及で、じつは全体的に見れば活字離れは進んでいないのだという話もありますが)
神隠しとは、突然人が消えてしまう現象です。「神」の意味は結構広くて、天狗や鬼や狐といった妖怪の類も含まれています。
神隠しにあった人は神域へ誘われるのだといいますが、『竜潭譚』もそうですし、『浦島太郎』などの昔話にもあるように、かつては神隠しにあった人は再び現世へと戻ってくるんですよね。
飢饉や食糧難の時代、神隠しという言葉は、子供の間引きや娘を売ったりする行為の免罪符的な意味合いで使われていたそうで、あるいはいつか戻ってきてほしいという親の願いも含まれていたのだと聞けば、なんだか悲しいような気がしてきます。
誘拐や家出など、現代で神隠しといえば事件であって、行方不明になった人が戻ってくるケースは少ないそうです。
家出はともかく、誘拐はいなくなった本人、残された家族、双方ともにお互いに会いたいと願うのは当然のことだと思います。
願いは単純なのに、それが実現することの難しさを思います。
神隠しにあった家族が、はやくまた出会えるように、願っています。
読書感想まとめ
千里の神隠し。
狐人的読書メモ
神隠しにあって戻ってきた人は狐憑きというような、ぼーっとした呆けたような状態のこともあったという。狐憑きは狐人の由来でもある(狐人的見解)。
・『竜潭譚/泉鏡花』の概要
1896年(明治29年)11月『文芸倶楽部』にて初出。神隠し幻想譚。自立と母の再生。若くして母を亡くした著者自身の想いも垣間見える。
以上、『竜潭譚/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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