狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『かめれおん日記/中島敦』です。
文字数20000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約67分。
大学時代、長編小説に挫折。
才能がないのか?
生活のための仕事。
教師時代、中島敦の感じていた閉塞感。
水を求めてミイラ化した切ないカメレオン、
蒼白になるのはどんなとき?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
横浜の私立女学校で博物学の非常勤講師をしている私は、ある日生徒からカメレオンを渡されてアパートで飼い始める。異国情緒が感じられておもしろく、私は久しぶりに元気を取り戻したような気がする。
ある同僚教師のことを思う。彼は他の教師よりも給料が低いと我慢ならないらしい。また、教師同士のいざこざを起こし、校長に喧嘩両成敗だとたしなめられると、彼はそれが不満だった。
「辞めてもいい」などと職員室中に言い回り、自分に非のないところを認めてもらわないと気が済まないようだ。しかし本当に辞めようとはしない。自分に損になることを彼は絶対にしないのだ。
私には彼が幸福に見える。精力的なところなどは見習いたいとさえ思う。自分の生き方に疑問を抱く。やりたいことがあったはずなのに挫折し、どうしてこんなことをしているのだろう? 喘息の薬を服用して眠れない夜、無理に眠ろうとするこの時間は無駄ではないのか? その時間を使ってやるべきことがあるのではないか? 悶々とし、鬱々としている。
熱帯の生き物であるカメレオンは、日本の寒さに耐えられず次第に弱っていく。それはまるで自分を見ているようでもある。やはり飼育は難しく、私はカメレオンを動物園に寄贈することにする。
昼休み、職員室にいると、去年の春結婚のため辞めていった音楽教師が、赤ちゃんを連れて入ってきた。そこに群がる女性教師たちの羨望、嫉妬、不安、矜持――見え透いていた。
女性教師というものは、男と女の良いところを併せ持っているのだと自惚れているが、実際には男と女の悪いところを兼ね備えた怪物だ。
カメレオンのカゴにもうカメレオンはいない。ふと、私は外人墓地に立ち寄って、彼らの哀しい執着に共感を覚える。
傾斜した小道を、私はそろそろ下り始める。
狐人的読書感想
私小説的な雰囲気があります。
中島敦さんは大学時代に長編小説『北方行』を書こうとして挫折、しばらくの期間、創作活動から離れることになります。
文学の道を歩きたい、だけど挫折とともに心も折れ、自分の才能に自信を持てない――
さらに、ここは小説の「私」とは違うところですが、中島敦さんは大学在学中に学生結婚をしており、家族を養うためにはちゃんとした職に就き、働く必要がありました。
そんなときに感じていた閉塞感が描かれているのだと思います。
とにかく自意識がすごいなあ、と感じてしまいます。文章が巧みで、すごく高度なことが書かれている気がするのですが、ふと、これって現代でいうところの中二病みたいな感じなのかな、などと思ってしまいましたが、どうなんでしょうね(さすがに文豪の作品に対してこの感想はないかなあ……)。
部分部分に共感できるところも多くて、そんな僕のほうが中二病なのかもしれませんが。
全体的に自身のことを自省的に書いているのですが、僕はそのあたりよりはむしろ、「私」が他人についてどう思っているのか、といったところに関心を覚えました。
それは二つ、同僚教師(吉田)と寿退職して遊びにきた音楽教師に群がる女性教師たちについてです。
同僚教師の性格や態度は、ちょっと自分にも通じるところがあって、反省させられる思いがします。
「他の教師よりも給料が低いと我慢ならない」、すなわち他人よりもいい境遇にありたいと願う心、自分に非のないところを認めてもらわないと気が済まない心、というものが自分にもたしかにあって、そのような行動を取ってしまうことがあります。
自分はこんなにがんばっているのに、誰かと比較して全然報われていない。学校や職場で不当に扱われていると感じると、誰にでもそのことを話して、「全然悪くないよね」などと慰めてもらいたい。
でも、こういう思いや行動って、周りの人たちからしたら不快なだけなんだろうなあ、ということを思います(不快とまではいえないにしてもめんどくさい、みたいな)。
それをしたからといって自分の立場が良くなるわけでもなく(むしろ印象を悪くしている)、周囲の人たちに不快感を与えてしまうだけなら、こういったことはしないよう心がけなければならないと思うのですが、イライラしていたりするとなかなか自制できないときとかあって、そのたびに自己嫌悪に陥ったりします。
自分と他人を比較しない生き方をしたいと願いますが、どうして他人と比較してしまうのだろうなどと考えますが、難しいんですよねえ……。
ただ、同僚教師はそういった自省とか自己嫌悪とは無縁の人のようで、ただただその行動によって満足を得ているだけなんですよね。
あるいは、それはうじうじ悩むよりも幸福な生き方だといえるわけで、その点を「私」も羨ましいように感じているのではないかと僕は読み取ったのですが、深く共感したところです。
他人の目を気にするのも協調性として大切なことですが、他人の目ばかりを気にしているのも生きにくいと感じてしまいます。
このバランスって本当に難しく思うのですが、あるいは難しく考え過ぎなんでしょうかねえ……、ぜひ誰かと話し合ってみたいところでもあります。
女性教師たちについては、辛辣というか、ちょっと意地悪に書かれている気がしましたが、「女性教師というものは、男と女の良いところを併せ持っているのだと自惚れているが、実際には男と女の悪いところを兼ね備えた怪物だ」というあたりは、なんというかイメージしやすい負の女性教師像という気がしたんですよね。
独身女性が結婚した身近な人に感じる羨望、嫉妬、不安、矜持などという気持ちは普遍的な女性心理としてわかりやすいもののように思います。
とはいえ、こういうことを考えてしまうときって、やっぱり鬱々として心が病んでいるときなのかなあ、という気がします。
やりたいことがうまくいかず、感じられる閉塞感が物事の見方を歪めてしまうというのはとてもよくわかります。
物事がうまくいっていたり、お金をたくさん持っていたり、お腹いっぱいだったり――人間は満たされていれば人にもやさしくなれますが、満たされていないとき人にやさしく接することほど難しいことはないような気がします。
これもやっぱり難しいんだよなあ、と感じます。
以下は完全な雑談ですが、本作でも書かれているように、カメレオンの飼育はけっこう難しいみたいですね。その要因はつぎのとおり。
・生餌しか食べない
・容器から水を飲まない
・環境管理が難しい
カメレオンは動くものしか認識しないらしく、なので生餌しか食べず、容器の中の流れない水は飲まないそうです。また寒さにも高温にも弱いらしく、飼育環境づくりにも気を遣うみたいですね。
そういえば今年に入って「水を求めてミイラ化したカメレオン」というのがツイッター上で話題になっていました。灼熱の太陽の下、水道のハンドルを掴んだまま、息を引き取りミイラ化したカメレオンがなんだか切ない、みたいな。
カメレオンはその生態などなかなか興味深い生き物です。
読書感想まとめ
やりたいことがあるのにうまくいかず、閉塞感を感じると物事の見方が歪んでくる。人間社会で生きやすく生きるための種々のバランスが難しいと感じる今日この頃です。
狐人的読書メモ
さらにカメレオン雑学を。カメレオンは周辺環境に溶け込むよう体色を変化させるが、あれは温度の変化ではなくて光の強弱によるもの。基本色は緑とか黄色というイメージだが、本来的に決まった色は持たない。
息絶えるときの色もやはり光に影響されるが、体調によっても変わってきて、良いと明るく、悪いとくすんだ色になる。よってカメレオンのなきがらはくすんだ色になる場合が多い。
オス同士の縄張り争いで怯えると、蒼白になるのはおもしろい。さらに、カメレオンは動きが遅いそうで、カメと競争しても負ける場合のほうが多いらしい。
・『かめれおん日記/中島敦』の概要
1936年(昭和11年)12月に脱稿されたとされているが、実際には1938年(昭和13年)~1939年(昭和14年)に完成したものと推測されている。『新鋭文学全集2 南島譚』(1942年―昭和17年―11月発行、今日の問題社)収録作品。
以上、『かめれおん日記/中島敦』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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