小説読書感想『蠅 横光利一』デスノートのリュークも言ってた「死は平等だ」

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。
(「『狐人』の由来」と「初めまして」のご挨拶はこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」

前回(⇒小説読書感想『オツベルと象 宮沢賢治』のんのんびより…労働の闇…謎の■)は少し長くなり過ぎてしまった(いったい誰が全文読んでくれるだろうか……)ので、そこら辺をちょっと意識しつつも、今回の小説読書感想は横光利一さんの『蠅』です。

恥ずかしながら、横光利一さんのお名前は、この度初めて知りました。志賀直哉さんと一緒に「小説の神様」とも呼ばれた方だそうで、「神様」と呼ばれるだけで、もう凄い人なのだということだけは、ひしひしと伝わってくるわけなのですが。

「漫画の神様」といえば手塚治虫さん、「ゲームの神様」といえば遠藤雅伸さん、「ロックの神様」といえばジミ・ヘンドリックスさん、「インターネットの神様」といえばジョン・ポステルさん、「ボクシングの神様」といえばモハメド・アリさん、「F1の神様」といえばアイルトン・セナさん、「野球の神様」といえばテッド・ウィリアムズさん、「サッカーの神様」といえばペレさん、「バスケットボールの神様」といえばマイケル・ジョーダン、「経営の神様」といえば松下幸之助さん――みたいな(何人くらいご存知でしょうか?)。

「小説の神様」といえば横光利一さん! ということですね。

「小説の神様」の小説をこれまで一つも読んでこなかったとは……読書を嗜む者として不徳の極みです。『蠅』は横光利一さんの代表作に挙げられています。まだ間に合う! と信じて、読み進めていきたいと思います。お付き合いいただけましたら、幸いです。

『蠅』は、タイトル通り、蠅が主人公のお話――ではありません。一匹の蠅の目を通して、物語は進んでいくのですが、例えば夏目漱石さんの『吾輩は猫である』みたいに、この蠅が擬人化されているわけでもなく、ゆえに感情も持ち合わせておらず、なので登場人物たちに対する感情移入といったようなものもなく、淡々とお話が進んでいきます。

蠅の目がカメラの役目を果たし、それにより映し出された映像を見ていくような感覚、といってみてはたして伝わるでしょうか。ある種映画を見ているような読書感覚を味わえて、新鮮な印象を受けました。さすが「小説の神様」ですね。

短い章立ての中で、登場人物たちが次々に登場していくさまは、テンポが良くて読みやすく感じました。

まず最初に登場するのが、蠅です。

真夏の宿場、薄暗い厩の隅、蜘蛛の巣にひっかかっていきなりの大ピンチ! かと思いきやあっさりとそこを脱し、馬糞から藁、藁から馬の背中へと移動します。鬼気迫ってはいませんが危機迫る展開からのあっけない脱出! 肩透かし! プロローグとしては上々なように僕は思いました。さすが「小説の神様」!(しつこし?)

次に登場するのが、この馬が引く乗合馬車の馭者です。宿場横の饅頭屋の店頭で、呑気に将棋など指しています。この馭者が、この物語の中で一番よくない奴です。「おい! 馭者!」と思わず叫びたくなります。

さて、宿場の馬庭に農婦がやってきます。この農婦は、街にいる息子が危篤だと知らされて、息子を見舞おうと急いでいます。馬車はついさっき出たばかり。それを聞いて泣き出した農婦の姿を見つけた馭者は、次の馬車があるぞ、と教えてやりますが、その後も呑気に将棋を指し続けます。農婦の息子が危篤であるにもかかわらず……。「おい! 馭者!」ですよね。

そうこうするうちに、今度は若者と娘が宿場の方へやってきます。二人も何かわけありのようで、馬車に乗りたいご様子。駆け落ち、ですかね。若い二人を応援したくなります。

次にやってきたのは母親と男の子。ふむ。特に切迫した事情もなさそうな、仲睦まじい普通の親子です。

そして最後にやってきたのが田舎紳士。長年の苦労が実を結び、相場で大儲けしたのか、羽振りがよさそうなご様子。四十三歳とのことですが、いよいよ人生これから、といった感じで、うらやましい限りですね。

さて、登場人物はこれですべて出そろいました。もう誰もやってはきません。いよいよ馬車出発かと思いきや、馭者はなかなか馬車を出しません。かわいそうなのは息子が危篤の農婦です。早くしないと、息子の死に目に会えないかもしれない。もう二時間も馬車を待っているのに、街までは三時間かかるといいます。

「おい! 馭者!」――と、言いたくなった僕なのですが、ここで少し冷静になって考えました。馭者は乗合馬車の雇われ人。だとしたら、勝手に出発時間を変更するわけにもいかず。情に動かされて、職務をおろそかにするわけにはいかない、という心理はわからなくもありません。馬車を早く出したからといって、農婦の息子の生死が左右されるわけでもなし……うーん、悩ましいところ。

現代だったらどうなんでしょうね。例えば、バスの運転手さんのところにこの農婦がやってきて、「息子が危篤だからどこそこへ行ってくれろ」とお願いされます。そこには通常ルートでは行けません。情を優先すべきか、職務を優先すべきか。情を優先したら賞賛されるでしょうか。職務を放棄したことも許されるのでしょうか。あるいは職務を優先したら非情だと罵られてしまうのでしょうか……、まあタクシー乗ってね、っていう話になってしまいますが。

ともあれ時間は進みます。馬車の乗客たちは待ち続けます。そして誰も知らないその真の理由が語られます。

乗客たちが待たねばならぬ、その理由とは。馭者が職務を優先しているわけではなくて……、饅頭にあるというのです。馭者は、宿場横の饅頭屋の饅頭を、一番に蒸し上がる出来立てほやほやの饅頭を食べるのを習慣にしているから、その出来上がりを待っていたのでした。ここに至っては「おい! 馭者!」で間違いないですよね。息子が危篤の農婦のために一日くらい我慢しろよ……たとえ馭者にとって、人生最高の慰めが、その饅頭とはいえ。

ようやく饅頭も蒸し上がり、馬車の準備も整って、乗客たちも乗り込むと、馭者は手に入れた饅頭を腹掛けの中へ押し込んでから、馭者台の上に乗ります。蠅は馬から馬車の屋根へ。馭者が喇叭を鳴らし、鞭を鳴らして、いよいよ出発進行。

名MCのごとく、田舎紳士が会話を回し、車内のみんなは和気藹々。馬車はどんどん進んでいきます。

おや、お昼を過ぎた頃――、馭者台では鞭が動かなくなり、喇叭がならなくなったよう。

なぜなら……。

馭者台の上で饅頭を食べた馭者は、お腹も満たされ、そのまま居眠りをし始めます。それを知っているのは一匹の蠅だけ。馬車はぐんぐん進んでいきます。崖道をも進んでいきます。そして崖の頂上にさしかかったとき、道を曲がろうとした馬は体勢を崩し、馬車ごと崖下へ真っ逆さま。瞬間蠅は飛び上がり――、

『そうして、人馬の悲鳴が高く一声発せられると、河原の上では、かさなった人と馬と板片とのかたまりが、沈黙したまま動かなかった。が、眼の大きな蠅は、今や完全に休まったその羽根に力をめて、ただひとり、悠々ゆうゆうと青空の中を飛んでいった。』

「おい! 馭者!」

というわけなのでした。

…………。

ここから感想を述べていきたいわけなのですが、うーん。

まずは、馭者。「おい! 馭者!」

馬車が崖下に転落してしまった原因は、馭者の職務怠慢にあるのだから、ここに、「仕事は真面目にしようね」といった寓意が含まれているように思いました。最近書いた記事(⇒小説読書感想『懐中時計 夢野久作』1分で読…てかこのブログで読める!)で同じような教訓を得たのは記憶に新しいです。ぜひこの馭者にも夢野久作さんの『懐中時計』を読んでいて欲しかった……(ついでに僕のブログ記事も読んで欲しかった!)。

そして。

この小説は明らかに「死」というものについて書かれていますよね。

馬車を引いていた馬、馬車に乗っていたのは、蠅、馭者、息子が危篤の農婦、わけありそうな若い男女、母親と男の子の親子、田舎紳士でした。

突然、理不尽にも、みんな命を失ってしまいました。ただ一匹の蠅だけが生き残った辺り、理不尽さを際立たせているように思います。

主とは違い、働き者の馬、悪人というほどではなくても、職務怠慢な馭者、息子のことを案じる農婦、愛し合う若い男女、子供の成長を楽しみにしていたであろう母親と未来ある男の子、人生に明るい兆しの見え始めてきた壮年の田舎紳士。

年齢も、性別も、抱えている事情も様々な人たちが、みんな平等に命を失ってしまいました。

「天国も地獄もない。生前、何をしようが死んだ奴のいくところは同じ」
「死は平等だ」

今回のブログ記事タイトルにもしましたが、横光利一さんの『蠅』を読み終えて、僕の頭に思い浮かんだのは、『デスノート』のリュークが言った、上のような台詞でした。

言われてみれば、この世界に平等なんてものはないのかもしれません。生まれたときから貧富の差とか容姿の優劣など、いろいろなものがあったりなかったりしますものね。そう考えてみると、「生」とは不平等なものであり、「死」だけが唯一平等なもの、という気がしてきて、なんだかちょっとだけ寂しいような気持ちになってしまいました。

ぜひ、横光利一さんの『蠅』を読んでもらって、感想など聞かせていただきたいところ。

しかしながら、せっかく『デスノート』を取り上げたので、少しだけ喋らせてもらうと、おもしろい漫画というのは廃れないものですよねえ。『デスノート』、僕はすごく好きな漫画なのですが、2016年10月29日に実写映画の続編となる『デスノート Light up the NEW world』が公開されたのを知ったときには、そのことをひしひしと感じました。前年に放映されたテレビドラマ版の『デスノート』も好評だったらしく、だからこその新作映画公開の運びとなったのでしょうね。僕は、原作のメディアミックス作品にはあまり触れないので、これらの批評はできない立場にありますが、単純に、『デスノート』が十年経っても忘れられない漫画になっているのが嬉しかったです、といったお話でした。

さて、今回の『文豪ストレイドッグス』に絡めて話してみようのコーナーですが、横光利一さんは、はたして……(検索中……検索中……)、なんと未登場! 「小説の神様」なのに……今後に期待したいところですね。

『文豪とアルケミスト』の方はといえば、お、こちらはいました! 長髪、切れ長の目――ちょっとクールな感じですね。もちろんイケメンさんです。真面目でストイックな美青年……無機物を擬人化させたような不思議な表現をする癖があると……妙な癖ですねえ、今回の『蠅』とは違う作品がモチーフなのでしょうか、武器は薙刀に近い刀……武器とかあるんだ……川端康成さんと盟友らしい、そちらも今度読んでみます。

と、そんなこんなで、横光利一さんの『蠅』の小説読書感想でした(結局また長くなってしまいました……)。

今回ブログ記事で関連付けた漫画・『デスノート』。

横光利一さんが登場する(かもしれない)『文豪ストレイドッグス』はこちら。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは今日はこの辺で。

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