漱石山房の冬/芥川龍之介=天才が天才にしかできないアドバイス。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

漱石山房の冬-芥川龍之介-イメージ

今回は『漱石山房の冬/芥川龍之介』です。

文字数1500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約6分。

芥川龍之介の夏目漱石回想記。

二人の天才はどんな関係だったの?

漱石先生が芥川にしたアドバイスが書かれていて、
まさに天才が天才にしか言えないことだと感じました。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(短い作品なのでぜひ全文をどうぞ)

『漱石山房の冬/芥川龍之介』

わたしは年少のW君と、旧友のMに案内されながら、久しぶりに先生の書斎へはひつた。

書斎は此処へ建て直つた後、すつかり日当りが悪くなつた。それから支那の五羽鶴のたんも何時の間にか大分色がさめた。最後にもとの茶の間との境、更紗の唐紙のあつた所も、今は先生の写真のある仏壇に形を変へてゐた。

しかしその外は不相変である。洋書のつまつた書棚もある。「無絃琴」の額もある。先生が毎日原稿を書いた、小さい紫檀の机もある。瓦斯煖炉もある。屏風もある。縁の外には芭蕉もある。芭蕉の軒を払つた葉うらに、大きい花さへ腐らせてゐる。銅印どういんもある。瀬戸せとの火鉢もある。天井てんじやうには鼠の食ひ破つた穴も、……

わたしは天井を見上げながら、独りごとのやうにかう云つた。

「天井は張り換へなかつたのかな。」

「張り換へたんだがね。鼠のやつにはかなはないよ。」

Mは元気さうに笑つてゐた。

十一月の或である。この書斎に客が三人あつた。客の一人ひとりはO君である。O君は綿抜瓢一郎わたぬきへういちらうと云ふ筆名のある大学生であつた。あとの二人ふたりも大学生である。しかしこれはO君が今夜先生に紹介したのである。その一人は袴をはき、他の一人は制服を着てゐる。先生はこの三人の客にこんなことを話してゐた。「自分はまだ生涯に三度さんどしか万歳を唱へたことはない。最初は、……二度目は、……三度目は、……」制服を着た大学生は膝のあたりの寒い為に、始終ぶるぶる震へてゐた。

それが当時のわたしだつた。もう一人の大学生、――袴をはいたのはKである。Kは或事件の為に、先生の歿後来ないやうになつた。同時に又旧友のMとも絶交の形になつてしまつた。これは世間も周知のことであらう。

又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。文を売つて口をするのもい。しかし買ふ方は商売である。それを一々註文通り、引き受けてゐてはたまるものではない。貧の為ならばかくも、つつしむべきものは濫作である。先生はそんな話をしたのち、「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。いや、暗い軒先の芭蕉ばせうそよぎも覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だつたと云ひ切る自信を持たない。

更に又十二月の或夜である。わたしはやはりこの書斎に瓦斯ガス煖炉の火を守つてゐた。わたしと一しよに坐つてゐたのは先生の奥さんとMとである。先生はもう物故ぶつこしてゐた。Mとわたしとは奥さんにいろいろ先生の話を聞いた。先生はあの小さい机に原稿のペンを動かしながら、床板ゆかいたを洩れる風の為に悩まされたと云ふことである。しかし先生は傲語がうごしてゐた。「京都きやうとあたりの茶人の家とくらべて見給へ。天井てんじやうは穴だらけになつてゐるが、かく僕の書斎は雄大だからね。」穴は今でも明いた儘である。先生の歿後七年の今でも……

その時若いW君の言葉はわたしの追憶を打ち破つた。

「和本は虫が食ひはしませんか?」

「食ひますよ。そいつにも弱つてゐるんです。」

Mは高い書棚の前へW君を案内した。

×   ×   ×

三十分ののち、わたしはほこり風に吹かれながら、W君と町を歩いてゐた。

「あの書斎は冬は寒かつたでせうね。」

W君は太い杖を振り振り、かうわたしに話しかけた。同時にわたしは心の中にありありと其処そこを思ひ浮べた。あの蕭条せうでうとした先生の書斎を。

「寒かつたらう。」

わたしは何か興奮の湧き上つて来るのを意識した。が、何分かの沈黙ののち、W君は又話しかけた。

「あの末次平蔵すゑつぐへいざうですね、異国御朱印帳いこくごしゆいんちやうしらべて見ると、慶長けいちやう九年八月二十六日、又朱印を貰つてゐますが、……」

わたしは黙然もくねんと歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。

(大正十一年十二月)

狐人的読書感想

短編小説となっていますがエッセイのようですね。

夏目漱石さんの書斎(漱石山房)を久しぶりに訪れて、なんとなく思い出に浸っているところが自然な感じがします。

全体的に、芥川龍之介さんの夏目漱石さんに対する強い想いみたいなものはあまり感じられないように思いました。

しいていえば、ラストシーンの帰り道で、「わたし」がようやくしみじみ感じ始めたところに、一緒に先生の書斎を訪ねたW君が、突然別の話題を持ち出してきて、その軽薄さを憎むあたりに、強い想いみたいなものが表れていると感じます。

おそらく「わたし」は、冬は寒かっただろう物寂しい先生の書斎と、そこで執筆していた先生の晩年の姿と、あるいはいまの自分の心情とを重ね合わせて、思うところがあったんだろうなあ、と単純に想像しました。

とはいえ、芥川龍之介さんと夏目漱石さんが深い子弟の関係にあったのかといえば、どうもそんなこともなかったようで、多くの門下生を抱える先生(=夏目漱石)とその一門の一人(=芥川龍之介)、という把握が適切なようで、その期間も夏目漱石さんが亡くなるまでの1年ほどとのことでした。

ただし、お二人とも、お互いの作品を高く評価していたのは事実みたいで、互いに互いの作品を評した手紙が残っているそうです。

とくに、夏目漱石さんが芥川龍之介さんの『鼻』を読んで書いた激賞の手紙は有名らしく、これで芥川龍之介さんは自信をつけて、売れっ子作家への道を歩んでいったといいますから、やはり尊敬の念は大きかったのでしょうね。

それを表すかのように、芥川龍之介さんはほかにもいくつか夏目漱石さんのことを書いた作品を残されているそうなので、ぜひ読んでみたく思いました。

これらの他作品も併せて読めば、『漱石山房の冬』もまた違った味わい方ができるかもしれませんしね。

しかしながら、今回の読書でも気になった部分がいくつかあったので、そのあたりをつらつらと書き綴っておきたいと思います。

MとKという人物が出てきますが、Mとは松岡譲さんという方で、Kとは久米正雄さんという方だそうです。

この二人、夏目漱石さんの娘さん(長女・筆子)を巡っての三角関係にあったらしく、作中の「或事件」とはこの事の顛末をいっているのだとか。

Kは筆子さんに恋をしていて、結婚の内諾まで取りつけていたそうですが、筆子さんはMを愛していました。結局、筆子さんはMと結婚して、Kは夏目家と疎遠になり、友達だったMとも絶交するという――さらっと書かれていますがドロドロな事件だったようですね。

それから、夏目漱石さんが「わたし」にしたというアドバイスも印象に残りました。

『小説を売って儲けるのはいいが、買うほうの注文をいちいち引き受けてはいけない』――といったところです。

読者(買い手)の要求や世相を意識せずに、自分が好きなように小説を書いて、それで売れている作家さんはいまの時代にもたしかにいるような気がします(完全なる主観ですが)。

つつしむべきものは濫作である」とはいいますが、これは本当に才能のある人間が、同じように才能のある人間にしかいえないアドバイスなのではなかろうか、と思いました。

たしかに、むやみに書いても良い評価は得られないのかもしれませんが、しかし何が当たるかわからないというのもあるような気がするんですよねえ……。

好きな小説を確信的に書けるというところに、やはり天才を感じてしまいます。

読書感想まとめ

天才・夏目漱石が天才・芥川龍之介にしたアドバイスが印象的でした。

狐人的読書メモ

長い時間をかけて良い小説が書けて、それが必ず売れる小説家はすごい。長い時間をかけて書いた小説が売れなかったときのこととか考えないのかな、とはよく思う。短い時間で良い小説が書けて、それが必ず売れる小説家もすごいけど、回転率がいいだけに売れなかったときのこととかはあまり考えないような気がする(ふと、漠然と気になったことのメモ)。

・『漱石山房の冬/芥川龍之介』の概要

1923年(大正13年)、『サンデー毎日』にて初出。初出時のタイトルは『書斎』。天才が天才にしかできないアドバイスが印象に残った。

以上、『漱石山房の冬/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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