狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『泥濘/梶井基次郎』です。
文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約19分。
最近書いた小説が病的な失敗をして、
それが日常生活にまで悪影響を及ぼす。
不思議な共感力のある梶井日記。
集中力がすぐ切れる僕が試して、
効果のあった集中力アップ法をご紹介します。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
郊外に住んでいる「私」のところに、待っていた為替が届いたので、東京の街へ出かけることにする。雪がイヤでなかなか外へ出る気にはなれなかったのだけれど。
最近「私」は、かなり頑張って書いた作品を失敗に終わらせてしまった。その失敗がなんだか病的な感じだったので、その後の生活にまで悪い影響を与えていた。
書くことがうまくいかず、集中力がすぐ切れて、気がつくとぼんやりして、そこに沼の底から湧いてくるメタンのような妄想が浮かんでくる。両親に不吉なことが、友達に裏切られているような。
そんなふうにして眠れない夜、鏡を覗くと自分の顔が、まるで知らない人の顔のように見える。それを見るのは怖いような遊びたいような。
たまに昼の現実と夜の夢がわからなくなる。自分を見た人が逃げていくような、顔を伏せている人がこちらを向けばそれはお化けのような、そんな気がすることがある。
そんなことを思いながら、私は東京の街へ出た。
銀行で為替をお金に替えて(係がグズだった)、散髪屋へ入り(顔の石けんをよく拭いてくれなかった)、友人のところへ行って雑談をした(ひきこもってばかりじゃなく外へ出たほうがいいよ)。
古本屋を巡り、さっき買わなかった古雑誌のことを後悔し、結局その店に戻ってみると雑誌はどこにもなかった。食料品や生活品の買い物をして、ライオンで食事をしビールを飲んだ。
ライオンを出て石けんを買ったが、なぜ石けんを買ったのかわからない。すると「ぼんやりしてるからよ」と言う母のことが思い出される。母が「私」の名前を呼ぶ、ただそれだけで私は涙し、責められ、励まされる。
電車で自分の町へ戻り、夜道を歩いていると、街灯に照らし出された自分の影が、ドッペルゲンガーとして現れて、先へ歩いて行く。「私」は月のような位置からそれを眺めている。
あれはどこへ歩いてゆくのだろう?
「私」は「私」の下宿のほうへ、暗い道を入っていった。
狐人的読書感想
最近書いた小説がうまくいかず、鬱々とした気分のところに実家から仕送りが届いて、雪がイヤでひきこもっていたけれど、ちょっと街に行ってくるか、みたいな、ただの日記ですよね、これ。
ただの日記なのに、なぜかすごく引き込まれるんですよねえ……、すらすらと読み進めてしまいました(そんな文章が書けるようになりたい)。
いつもながら病みの心理描写が秀逸なのですが、ところどころ共感できる部分があります(それはぼくが病んでいるということ?)。
「私」の場合は頑張って書いていた小説が失敗に終わってしまい、それが病的な失敗の仕方だったために(病的な失敗って……)、日常生活にまでよくない影響を及ぼしているのだと語っていますが、これはけっこう「あるある」なように感じました(どうでしょう?)。
何かひとつの物事がうまくいかなくなったとき、連鎖的にほかのすべてがうまくいかなくなることってありませんか?
僕なんかはブログを更新しようとして、サーバーエラーで予定通りの時間に更新できなかったりすると、その後何もやる気が出なくなることがあります。
すぐに気持ちを切り替えて、また別のことをすればいいだけのことなのですが、うまくいかなかったことを引きずってしまい、なかなかそれができないんですよね。
書こうとしてうまくいかず、集中力が切れてぼんやりし、イヤなことを思い浮かべてしまう――というところなんかもすごくわかる気がしました。
そういえば、最近集中する方法を知る機会があって(テレビで見ただけなのですが)、いくつか試してみてなんとなく効果があるような気がしたものがあったんですよね。
・部屋を暗くしてデスクライトだけで作業する
これは心理学的な方法なのですが、明るい場所では周囲に見える情報が多すぎるため、暗い環境でこれを制限することにより集中力が上がるそうです。
・ムリヤリ机に向かう
机に向かうまでがしんどいのですが、イスに座ってみると意外とスムーズに作業に取りかかることができたりします。人間は何か行動を起こすと、ドーパミンが分泌されて、興奮状態に入るそうです。
・集中力が切れたら片足立ち
バランス感覚を保とうとすると集中力が復活するといいます。ただこれは立ち上がるだけでなんとなく効果がある気がしました。気分転換になるんですかね? スクワットをしながら、あるいは歩きながら英単語を覚えるみたいな話も聞いたことがありますが……。
いきなり話題を横道に逸らしてしまいましたが、以上は僕もやってみてなんとなく効果があるような気がします(気の持ちようだけの問題なのかもしれませんが)。
「沼の底から湧いてくるメタンのような妄想」というのは、うまい比喩だなあ、と思いました。
ふとイヤなことを思い浮かべてしまうということについても、思い浮かべないようにする何かいい方法はないものだろうか、と思いますが、いまのところ僕はそのようなうんちくを持ち合わせていません。
突如、悶えてしまうほど恥ずかしいこととか、イヤなことを思い出してウツになることって、みんなないんですかね? ぜひ対処法を知りたいところです。
鏡に映る自分の顔が別人の顔に見える、夢と現実がわからなくなる、みんなが自分をイヤな目で見ている気がするし、顔を伏せている人はひょっとしたらお化けかもしれない――というあたりはいかにも病的ですよね。
人目が気になるという部分はわかる気がしましたが、あとは経験がないためでしょうか、あまり共感できませんでした(ということは、僕はウツや病みじゃないと思っていいのでしょうか?)。
「買おうかどうか迷っていて、結局買わずに帰り、だけどやっぱりほしくて、あとでまた買いに出かけたらすでにその品物はなかった」みたいなところは、たぶんかなり多くの人が共感できる部分じゃないかと思います。
ここでふと思ったのは、梶井基次郎さんは他人も共感できることを意識して書いていたのかなあ、ということ。
ただただ自分のことばかりを書いているだけのように見えて、どこかしら全体的に共感できる部分がある、というのが梶井作品のひとつの特徴のように思えるんですよね。
不思議な魅力のある作家さんです。
ラストは定番のドッペルゲンガーオチでしたが、どの作品で使われていても独特の余韻があって好きなところです。
これで梶井作品もだいぶ読んできたことになりますが、かなり好きな作品が多いんですよね……、すなわち僕は梶井基次郎さんという作家が好きといってもいいのかもしれないと、思いはじめている今日この頃なのです。
読書感想まとめ
負の連鎖、集中力、ウツ、病み――共感できるところの多い小説でした。
狐人的読書メモ
・『引込んでいるのがいけないんだよ。もっと出て来るようにしたらいいんだ』、ひきこもりには思わされる友人のセリフだった。
・梶井作品では「母への想い」が描かれているのも特徴的
・作中に出てくる「ライオン」について。サッポロビールが経営するビアレストラン「銀座ライオン」。創業1899年なので本作の頃には存在していたと考えられる。
・『泥濘/梶井基次郎』の概要。1925年(大正14年)、『青空』(7月号、青空社)にて初出。公の著作としては5作目にあたる作品。やはり不思議な共感力を持った小説。
以上、『泥濘/梶井基次郎』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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