狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『金時計/泉鏡花』です。
文字数8000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約22分。
人々を騙し、苦しめたアーサー・ヘイゲン。
知的な子爵家令息と勇士の相ある従者のコンビが、
悪をくじいて弱きを助ける!
腐女子におすすめできるかなあ?
三大推しだよ、ってなるかなあ?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
一番暑い夏の頃、西鎌倉長谷村にある壮麗な西洋館の門前に、以下のような広告板が立てられた。
『広告 昨夕散歩の途中で、館の周りの草の中に、金時計を一つ落としてしまい、これを見つけ、届けてくれた方にはお礼として金百円を差し上げます。アーサー・ヘイゲン』
ヘイゲンは東京の学校で講師をしている西洋人で、俗に洋妾と呼ばれる日本の美婦人を伴って、毎年この別荘へ避暑にやってきていた。
この話は即日村中に広まった。百円といえば当時の庶民の二、三年ぶんの所得だった。土地の者は老若男女を問わず、我先にと手に手に鎌をとって、ヘイゲン館の周辺の雑草を刈り始めた。
くる日もくる日も、百人を超える村人たちが厳しい暑さに耐えながら雑草を刈り続けた。ヘイゲンは微笑を浮かべて、館の窓からその様子を眺めていた。
それから幾日かが過ぎて、館周辺の雑草はことごとく刈り尽くされたが、金時計は影も形もなかった。無駄汗をかいた村人たちは逆上し、失望したが、裕福で高貴なヘイゲンを疑うことはなかった。
その夕方、ヘイゲンは洋妾と海辺に散歩に出かけて、「日本人の馬鹿め!」と大声で笑った。ヘイゲンの広告は、村人たちを騙して草刈りをさせるための真っ赤な嘘だったのだ。ヘイゲンが自慢げにポケットから金時計を取り出して見せると、突然洋妾が仰向けに転倒し、これにひどく驚いたヘイゲンがはっとして気がつくと、手の中から金時計はなくなっていた。
――ヘイゲンと愛妾の、英語で交わされる会話を、後ろのほうで聞いている者がいた。その者は従者の大助を連れた、とある子爵家の麟麟児、十七歳の三郎だった。三郎はことの真相を知って義憤をあらわにした。そして、偶然その場を行き過ぎようとしたスリの少年をつかまえて一計を案じた。
三郎は少年に掏らせた金時計を持ってヘイゲンの館に乗り込んだ。ヘイゲンは三郎を子供だと侮り、なんとか礼金を支払うことなく金時計を取り返そうとしたが、三郎は巧みな英語と弁舌を用いてやり返した。
「あなたの目論見を私はすべて知っております。文明国に生まれたあなたなら、名誉ということをよくご存知でしょう。私はむしろあなたのためを思って取り計らっているのです」
狼狽し、窓から海を見て落ち着こうとしたヘイゲンは愕然とした。海の上には篝を焚いた十数艘の漁船があり、無駄汗をかかされ憤怒した村人たちが示威運動を行っていた。待合室であるじを待っていた大助も、これに呼応して大声を上げた。
ヘイゲンはついに観念して、金百円を三郎に差し出した。三郎はその金を大助に渡して、「これをみんなに分けてやれ」と言った。大助が受け取った金を高々と捧げて村人たちに示すと、歓呼の声がどっと天に轟いた。
狐人的読書感想
ふむ、子爵家の令息で知的な三郎と、その従者で勇士の相ある大助の主従が、騙されてしまった村人たちのために、悪の西洋人・ヘイゲンを懲らしめる「勧善懲悪」のお話ですが、この設定って腐女子の方にウケないかなあ、腐女子の方におすすめしてみたいなあ、とか思ってしまったのですが、どうでしょうね?
三大推し、みたいな?
太敦とか、太中とか、太芥とか、敦芥とか、『文豪ストレイドッグス』のカップリングっぽくて、しかも文豪作品(泉鏡花)ということで、ウケないかなあ、とか思ってしまったのですが、どうでしょうね?
腐女子という言葉は、じつは1990年代末頃にはすでにネット上で使用されていたそうで、2005年頃から一般的に認知されるようになり、2015年にはメディアで取り上げられることも増えて、腐女子を公言する有名人や芸能人が増えたこともあって、最近ではかなりポジティブに扱われているそうですね。
たしかにツイッターなど見ていても、プロフなどに腐女子を謳っている方をよくお見かけします。
調べてみると、けっこうまじめな研究分析対象として、有名な作家さんなどもこれについて発言していて、大変興味深いのですが、これ以上踏み込んでしまうと『金時計』の読書感想ではなく、「腐女子」についての論考となってしまいそうなので(狐人的読書感想としてはなきにしもあらずなのですが)、今回はこのあたりで留めておいて、『金時計』の読書感想を綴っていきたいと思います。
さて、冒頭において「勧善懲悪」のお話と書きましたが、はじめのほうではヘイゲンが悪であるのかどうか、ちょっとだけ迷ってしまいました。
というのも、ヘイゲンは金時計を落としたと嘘をつき、賞金で村人たちを釣って館の周辺の草刈りをさせたわけですが、これはたしかにずる賢いやり方で、嘘をついているところもよくないわけではありますが、こういうことって、じつは現実の世の中にもたくさんあるように思ったからです。
ヘイゲンの場合は、日本人を馬鹿にして、どうせわかるわけがないだろうと、英語で自分の悪事をぺらぺら喋ってしまったがために、英語のわかる三郎にそれを聞かれてしまい、最後にはやっつけられてしまうわけですが、もっと慎重に行動していれば、バレずに一円の出費もなく館周辺の草刈りができるという得を得られたわけで、こういう「バレなければ悪とはならない」、みたいなことは、現実世界ではかなりまかりとおっていることなのではなかろうか、などとふと考えつきました。
さらに、悪意は善意で偽装することができます。今回の場合も気づかれなければ裏でいくら悪いことをやっていても「あの人は本当にいい人だ」となった可能性は充分ありますよね。自白がなければ三郎でもこれを証明するのは難しいでしょう。
結局善悪というのは人の主観でしかない、といういつもの結論に結びつけるしかないのですが、誰かがその行いを悪だと断じなければそれは悪とはなり得ず、また多数の人が支持しなければ悪とは認められず、しかし多数の人が悪だと判断しても、時代が変われば人々の認識も変わり、それは間違いだった、となることもあって、ここに善悪の不確かさみたいなものを感じたからこそ、僕は最初ヘイゲンの悪に違和感を持ったのだと思います。
あとは文体にも影響を受けたのかもしれません。『金時計』の書かれた時代には、ひょっとしたら外国人を嫌悪するような風潮があったのかもしれず、ヘイゲンが悪者として描かれているのはその影響があったのかもしれないとか考えてしまい、もしもその意図がヘイゲンという悪役キャラクターを生み出したのならば、一方的に悪と見ることには抵抗があるな、みたいな(これは物語を物語として楽しめていないので、あるいはあまりよくない読み方なのかもしれませんが)。
最近の小説、マンガ、アニメ、ゲーム、映画などでは、悪人にも悪人なりの理由があったりして、それである種魅力的なヒールになっていて、憎めなかったり人気になったりするキャラクターもいますが、爪の甘いヘイゲンもどこか憎めないキャラのように僕は感じましたが、とはいえあまりに日本人を馬鹿にしたいくつかの場面では怒りを感じざるを得ませんでした。
三郎は、もちろん怒りを感じてはいたでしょうが、やみくもに怒りをぶつけにいったのではなく、相手の立場を考え、礼儀をもってヘイゲンの不正をただしました。すなおにカッコいいなあ、と思いました。
英語が喋れない僕としては、外国人の方を目の前にして、どこか気後れしてしまうところがあるのですが、三郎のように語学力や勇気を持って、いろいろな人と接することができるようになりたいものだ、と思いましたが……(思うだけで行動にはなかなか移せないんだよなあ、という……)。
読書感想まとめ
腐女子におすすめしてみる?
狐人的読書メモ
この小説で一番気になったのは、じつは「洋妾」とという言葉。これは江戸時代末期から明治維新にかけて、外国人相手の遊女や妾となった女性を指すのに使われた蔑称。「羅紗緬」(羅紗綿、綿羊娘)とも。羅紗緬は綿羊のことで、当時西洋の船乗りが欲望のはけ口として羊を船に載せて利用していたという俗説から用いられるようになった語。
・『金時計/泉鏡花』の概要
1893年(明治26年)6月28日『侠黒兒』(少年文學、博文館)にて初出。泉鏡花初期の作品。少年活躍譚。文語体なのでやはり多少の読みにくさはある。腐女子におすすめできるか? 三大推し、となるか……。
以上、『金時計/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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